第4話
放課後、僕と君は先生に呼ばれて二人で教室に残っていた。
「何の話かな」
「お菓子食べたことバレたんじゃない?」
「それは君も共犯だから怒られる時は一緒だね」
「あまり嬉しくないけどね」
冗談を言い合っていると、教室の扉が開いて先生が入ってくる。視線をゆっくりと移す。
「ごめんな、二人とも放課後に残ってもらって」
「いえ、それは別にいいんですけど話って?」
「あぁ、そうそう。他の図書委員が大会前で部活に専念したいらしいんだ」
「はあ」
「それでな、二人は部活動には所属していないだろ?」
「してませんね」
「一ヶ月だけでいいから、毎日図書委員の仕事頼めないか」
申し訳なさそうに先生は視線を行ったり来たりさせる。
僕としては、誰も来ない空間で過ごしていいという提案だから、悪い気はしていなかった。きっと、一人だったら、すぐに「任してください」と言っていた。
でも、今は君もいるという状況で、一人の意思で物事を決めるのは良くない。
顔を横に向けて、君の顔を見る。
君は僕の顔を見て、何かを察したようにニコリと頷いて「はい、やります」と先生に言う。
了承の言葉を聞いた先生は顔を綻ばせて、嬉しくて仕方がないようだった。
「じゃあ、早速今日から頼めるか?」
「はい」
「本当にありがとうな。じゃっ、頼んだぞ」
僕らは荷物を持って、人気のない廊下を歩いて図書室へ向かう。
「良かったの?」
「ん?」
「これから、毎日が十七時コースだよ」
「家に帰っても勉強しなきゃだし、ちょっとの息抜き時間が貰えたみたいなもんだよ」
「なら、いいけど」
「もしかして、君といる時間が増えて嬉しいとか言って欲しかった?」
「んわけ」
「本当かなあ?」
「本当だって」
「仕方ないから、そういうことにしておいてあげる」
鞄を揺らしながら、ビードロの瞳に小悪魔が宿って僕を笑う。人気が無くなった廊下には、昼休みのような笑い声は響いてなくて、空気はガラリと変わっていた。窓から差し込む光は徐々にオレンジ色になって、途端に君が止まる。スカートが翻って、くるりと振り向く。
「ねえ、図書室まで走らない?」
突拍子もない提案に僕はアホ面を晒してしまう。図書室まで走るという提案の意味が分からなくて、頭は意味を理解しようと逡巡するけど、意味を理解することは出来なかった。
走る意味はどこにあるというのだろうか。いや、君のことだから、きっと大層な理由なんて考えていないのだろうな。
訳も分からないことに、唇からふふっと笑いが出る。
「なんで笑うの」
「あまりにも意味が分からなくて」
「言葉に意味がないことだって、たまにはあるもんでしょ」
「いや、ないよ」
「もう、ほら、早く!行くよ!」
「え、あ、ええ……」
走るって言ってないのに、君は駆け出す。
僕は後を追うように背中を追いかける。二つの伸びた影が白い壁に投影されて、荒れていく呼吸に高鳴る心臓が重なる。
タッタッタッタッタ、っと上靴の弾ける音が鼓膜を撫でて、埃臭い校舎は螢のように埃を舞わせる。図書室に着いた頃には、息が切れて心臓がバクバクとうるさかった。
「疲れた〜」
額に汗を浮かばせながら、君は肩で息をする。
「無駄に走るからだよ」
「いい運動になったでしょ」
「運動がしたい気分なら、最高だったよ」
息を整えながら、椅子で休息を取る。襟をパタつかせて、体を冷やす。ひんやりとした風が気持ち良くて、汗も徐々に引いていく。君は早々に復活していて、図書室を徘徊しながら本を何冊か抱えている。
僕はそれを見ながら、ずっと休息を取っていた。君の抱える本が増えていき、戻ってくる頃には両手いっぱいになっていた。
「これはまた沢山持ってきたね」
「君のおかげで本の面白さを知ったからね」
「それは良かった。でも、その量読んだら寝不足になって倒れちゃうんじゃない?」
「なったらそんときだよ」
健康度外視、本の情報をパソコンに打ち込みながら君は言う。貸し出し処理を終えて、また席を立つ。
「あれ、これは読まないの?」
「それは家で読むやつ。今からはここで読むやつを探しに行くんだ」
「本の虫だね」
「そこまでじゃないよ」
完全に本の虫になったと僕は思ったけど、ハマってくれたことが何よりだからこれ以上何かを言うのは野暮何じゃないかと考え直す。吐き出そうとした言葉を肺の中に閉じこめる。
僕も鞄から読みかけの小説を取り出して、文字の世界へ飛び込む。
頭の中に思い浮かぶ世界は現実からの逃避。一文字読めば、オブジェクトが追加されて彩りが増える。僕の生きている世界も、こうであってくれたならと願う回数は数え切れない。
小説を全ての逃避として消化し、救いとしている。空に星が煌めくように、小説は僕にとっての夜空と星である。
際限なく続いている、青空の向こうにある宇宙のように文字の空は果てしなく続いていく。途切れることなく、救いと逃避が訪れる。未来への憂いも、現在の憂いも、過去の憂いも、この瞬間だけは忘れられて全能感と勘違いしてしまう。
図書室の空気はひたすらに流れて、刻まれていく時計の針の音だけが呼吸の音と共に混じっては消えていく。
気付いたら時計は十七時になっていた。窓の外は橙色にすっかりと染って、ほんの少し先の空は紺色になっていた。二色のグラデーションが迫る夜を知らせて、僕らも図書室を後にした。
君は本を鞄に詰め込んで「重たい」と嘆く。鞄の紐が肩にくい込んでいるのを見て、流石に無視するのは人としてダメな気がするし、肩を壊すかもしれない。
僕は「半分持つよ」と言って、自分の鞄にも本を詰め込む。
途端に漬物石が肩にのしかかったかのような重みに襲われて、持つという提案をしてしまった自分が憎く思えた。
ではまた。




