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最終話 初夏、君色に染まる

 街は夕に染まり、祭りの空気が満ち始めていた。道行く人々は、各々が好きな着物を着て、誰かと歩き、笑いあう。君と僕は、どんな光景になっているのだろうか。カップル、友達、兄弟、それのどれでもないかもしれない。

 君の下駄の音が初夏を包む。


 「ねえ、早く行こうよ!」


 振り返って、奇跡を願わせる笑顔を僕に向ける君は何処までも透き通っていた。


 小さな君の手が、僕の少しだけ大きい手をギュッと包んで、人の波を掻き分けて走り出す。


 白樺神社までの行き方を知らないはずなのに、君は道を迷うことなく突き進んだ。僕は繋がれるままの手を振りほどくことなく、優しく握る。


 白樺神社は人で溢れ返っていた。いつもは閑散としているけど、この日だけはその影はなりを潜めて、人の笑い声が輝く。活気と、人の熱が気温を高める。


 君は境内にズラっと立ち並ぶ屋台に視線が吸い寄せられて、瞳の奥には紛れも無い夏が映っていた。


 「どれから行く!?」

 「チョコバナナとか」

 「センスがいいねえ〜! じゃあ、チョコバナナから行こう!」


 まだ握られたままの手は汗が滲んで、連れ回される証。立ち並ぶ屋台のひとつ、ねじり鉢巻が特徴的なガタイのいいおじちゃんが店番をするチョコバナナの店。


 「おじちゃん、チョコバナナ二つください!」

 「おっ、こりゃ可愛い嬢ちゃんだね、隣にいる兄ちゃんは彼氏かい!?」

 「ち、違いますよ!」

 「え、あ、そうですよ!」

 「アッハッハ! こりゃいけねえことをした! そうだ、チョコバナナあげるよ!」

 「え、でも」

 「いいから持っていきな! ほら、そこの兄ちゃんも!」


 からかいを謝るおじちゃんは、半ば強引に僕らにチョコバナナをふたつくれる。豪快に笑って、さっぱりとしたおじちゃんでとても気分が良かった。


 僕らは、ベンチに座ってチョコバナナを頬張る。繋いでいた手は解かれる。


 「うーん、美味しい!」


 パクリと一口、チョコのほんのり苦い甘さが口に広がる。棒が喉に刺さらないように気をつけながら食べ進めて、君に目をやるとチョコで口の周りを汚していた。


 「もう、口の周りチョコだらけだよ。ほら」


 鞄からウェットティッシュを一枚取りだして、君に渡す。全く、子供みたいなんだから。念の為に持ってきていて良かった。


 チョコバナナを食べ終わった僕らは次の屋台を探す。射的屋、水ヨーヨー、金魚掬い。どれもが魅力的で、一つに絞るのが難しかった。


 それは君も同じようで視線を行ったり来たりして、はち切れんばかりに感情を昂らせていた。


 僕は、母さんから昨日貰った七千円をそのまま持ってきている。きっと、ここにある屋台を全部巡ったとしてもお金は足りる。


 じゃあ、どうしたらいいかなんて分かりきっていた。


 「よし、決めれないから全部やろう!」

 「え!? でも、お金かかっちゃうよ?」

 「楽しむ時は楽しまないとさ、勿体ないよ」


 僕は君の手を握って、祭りの空気に飛び込む。


 どれがしたいとか、何がしたいとか、そうやって迷っている暇があったら、君との時間を有意義に使えない。限られた時間の中で、最大限のパフォーマンスをするなら、迷いも、憂いも捨ててしまおう。少し遠くにクラスメイトを見つけても、知らない顔をして君だけが僕の世界を色付ける。


 射的は景品が上手く取れなくて残念賞だった。でも、屋台の人が気を利かせてお揃いのキーホルダーをくれる。


 「お揃いのキーホルダーだね……」

 「だね、どうする? 付ける?」

 「え、え、うーん。うん」

 「じゃあ、帰ったら鞄につけるよ」

 「なんか君変わった?」


 君が覗き込むように僕の瞳を見つめながら、不思議そうに言う。何をおかしなことを言っているのだろうか。僕はずっと僕だ。


 「え、いや、変わってないけど」

 「え、ええ? うーん、なんか乱れるなあ」

 「よく分からないけど、次は金魚掬いしようよ」

 「あっ、ちょっと!」


 僕は君の返事を待つことなく手を引っ張って、金魚掬いに行く。


 今にでも破れてしまいそうなポイを上手く扱って、水の中を泳ぐ紅い金魚を君はヒョイっと器に入れる。それに比べて、僕のポイは水に付けた瞬間に破れてしまった。僕はまたご好意に甘えることになって、なんとも情けない結果となる。


 「どうやったら水に付けた瞬間に破れるの?」

 「僕も聞きたいよ。破れるし、敗れたし……」

 「でも、楽しいね」


 感情が赴くまま吐き出されたかのような、純度の高い言葉。僕は君の整った横顔を見ながら「うん、すっごい楽しい」と。


 これは恥ずかしいから君には言えないけど僕はきっと――君とだから楽しい。


 手を繋いで、歩いていると君が右の足を庇いながら歩いていることに気付いて立ち止まる。


 「大丈夫?」

 「え、何が? 全然大丈夫だよ!」


 パッと顔を無理やり明るくして、何事もないように振る舞う姿。これはあの時と同じ、無理をしている時の顔だ。


 「いいや、嘘だね。足、怪我してる?」

 「あ、まあ〜うん。実は慣れてない下駄履いてきたから擦れて痛いんだよね」


 僕が強引に手を引っ張って走ったせいかもしれない。


 「ごめん、走らせすぎた」

 「ううん、君は悪くないよ。靴擦れなんて誰にも予測できないから」


 僕は時計を目をやって、まだ花火が上がるのは十八時二十分。今は十八時。二十分ぐらい余裕があることを確認する。なら、あの場所に行けるな。


 「背中に乗って、連れて行きたい場所があるんだ」

 「え、でも恥ずかしいよ」

 「本当は君と歩いていこうと思ったんだけど、その足じゃきっと無理だから」

 「ええ……うーん。分かった」


 僕は屈んで、君が落ちないようにしっかりと立ち上がる。人目があるけど、すぐにこの場から離れる。少しの辛抱だ。鞄から懐中電灯を取り出して、君に渡す。


「懐中電灯?」

 「これ持って、僕の前照しておいて。それと落ちそうだったら直ぐに言ってね」


 僕は足早に人混みで溢れる境内を抜け出し、静かな展望台へと続く道へ行く。目指すのはこの先にある展望台じゃない。僕だけが知っている秘密の場所。


 この展望台は元々山を切り開いて作られたもの。だから、少しだけ脇道に逸れると誰も寄り付かない鬱蒼とした森が広がっている。危ないから、と大人は入ることをもちろん許していない。


 でも、僕はそんなことをお構い無しに森へ足を進み入れて、懐中電灯が作る光の道を歩く。そして、少しするとぽつんとした拓けた場所に出る。


 「つ、着いた」


 ここまで来るのに上り坂を何個も超えてきたから、息が絶え絶えになっていた。背中に乗っている君を静かに下ろす。眼下に広がる、夜景の美しい街並み。


 ここは僕だけが知っている秘密の花火スポット。森の中を抜けて来ないといけないから、来る人影は一つとしてない。


 「わあ〜! すごい、綺麗!」

 「僕だけの秘密の場所。ここからだとよく花火が見えるんだ」


 毎年、花火が上がる前になるとここに来る。夜空に咲く満開の花びらが散る瞬間を、誰かに邪魔されることなくゆっくりと眺められる。


 「あ、そうだ、足。絆創膏持ってきてるから貼っちゃおう。って、座るところないしそのまま地べたに座ると着物汚れちゃうよね」

 「頑張って貼るよ」

 「でも、転けたりしたら危ないし。僕が貼るよ、足出して」

 「……う、うん」


 君が恥ずかしそうに差し出す足に僕は絆創膏をそっと貼る。応急処置だけども、少しはマシになるはず。


 僕は立ち上がって、夜空を見上げ、点々と灯り始めた星々が淡く光っている。横に居る君も同じように空を見上げて、場所が違ってもこの空だけは繋がっている。


 静寂に二つの呼吸だけが流れる。ヒューっと何かが打ち上がる音がして、ドンッと花は満開になり、次から次へと満開の花を咲かせては散ってゆく。短い命を咲かせては、刹那に散る姿は儚く、人々の光景に刻まれる。君の瞳に映る花はどんな風に映っているのだろうか。


 「わあ……綺麗」

 「うん、綺麗だ」


 君とこうやって花火を見れるのはあと何回あるのかな。今年は見れたけど、僕らはもう中学三年生。進学したら別々の高校に行って、疎遠になったりするかもしれない。


 そしたら、来年は一緒に来れないかもしれない。確定してる未来じゃないから、不確定な未来だから、この足元が怖い。君が僕の横で笑って、馬鹿やって、それで笑いあって、くだらないことを一つと重ねていく毎日はいつまで続く?傷付いた時に隣にいられる権利はずっとある?傘を差す権利は?別に僕じゃなくていいはずなのに、全部、その全部が僕じゃないと嫌なんだ。



 ――あぁ。そうか。僕は君のことが。




 「好きなんだ……」


 ポロッと口から出た言葉。


 「えっ?」


 さっきまで響いていた花の音がパタリと止んで、心臓が煩く聞こえる。


 君は僕の瞳をじっと見つめて、視線を行ったり来たりさせる。一人のために描いた言葉を、僕はここで止めてしまっていいのだろうか。


 いや、きっとダメだ。緊張も、後悔も、今ここでやめたら一生後悔する。


 心臓の煩さは無視しろ。君の瞳を見ろ、このビードロの瞳にずっと映っていて欲しいのは僕なんだから。


 「……僕は君のことが好きなんだ。明るくて、弱くて、人の優しさに気付ける君が好きなんだ」

 「え、あ、え」


 耳が熱くなって、君の頬が赤く紅潮していく。

 世界の時間が止まったみたいで、息をするのを忘れそうになる。手汗が滲んで、僕はその手を差し出す。


 「もし、僕と付き合ってくれるならこの手を握って欲しい」


 ギュッと優しく握られた手。

 君は優しく微笑む。


 「よろしくお願いします」


 空に花がドンッと咲いて、散っていく。


 君の瞳から一筋の涙が頬を伝って、浮かぶ花が散る頃僕の恋は実った。


 途端に緊張の糸が切れて、僕はその場にへたり込んでしまう。


 「……あぁ、良かったあ」


 大きく息を吸って、呼吸を整える。

 君が横に膝を曲げて屈んで、僕の顔を見て「私達付き合うってことでいいんだよね?」ともう一度確認する。改めて言われると、なんだか気恥しさがあった。


 「うん。そうだね」

 「じゃあ、これからは薫って呼んでもいい?」

 「えっ……え〜。うーん」


 恋人になったわけだから、君と呼ぶわけにもいかないのは分かっているけど、突然したの名前で呼ばれるのは心臓的にも良くない気が。でも、ここで断るのも違うよな。


 「まあ、うん。いいよ」

 「本当? じゃあ、私のことは凪って呼んでよ」

 「……な、凪」

 「なんでそんなぎこちないの」


 今まで下の名前で呼んでいなかったのだから、ぎこちなくなるのは仕方がなかった。


 でも、凪はそんなことお構い無しに僕のことを「薫」ってからかい気味に呼んでくる。その度に、耳が熱くなっていく。


 「花火も終わったし、帰ろ。薫」

 「そうだね。すっかり暗くなっちゃったし、しっかり手握っててよ、凪」


 まるで言い返すかのように僕は凪と言って、君の手を強く握る。指と指が絡み合って、波打つ血液が二人の間を通う。微かな月明かりと、星灯が僕らの足元を照らして、帰る道を教えてくれる。


 境内はすっかりと人が少なくって、立ち並んでいた屋台も店仕舞いを始めていた。溢れていた人の熱と活気は、夜の冷たさと共に覚めていく。


 街はすっかりと宵に染まり、街灯がアスファルトに明滅する。夜が脆い幸せを肌に沁みさせる。


 カランコロン、下駄の音が耳に。言葉を交わすことはなかった。けど、凪の呼吸音が、体温が、酸素になって僕の体内に流れ込んでくる。


 手に持ったキーホルダーと金魚。それらは祭りの残滓を抱えて、君の家へ向かう。


 生温い空気がまとわりついて、三度目の君の家へと着く。


 「ただいま〜」

 「おかえり、凪。薫くん」


 凪のお母さんが僕と凪を迎えてくれる。手には紙袋を持ってて、それを僕に渡してくる。


 「はい、これ。薫くんの服、多分来るかなと思ったから袋に入れておいたよ」

 「あ、ありがとうございます。甚兵衛は洗って返します」

 「あぁ、それなんだけどね。うちの人太ってもう着れないらしいからそれあげるって」

 「え、いいんですか?」

 「ええ、いいわよ。凪の彼氏さんなら」

 「えっ?」


 僕と凪の声が重なる。まだ付き合ったことは報告していないのに、どうしてバレたのだろうと思って手に視線をやるとガッチリと握っていたことに気付く。


 「あ……えっと。はい、その凪さんと今日お付き合いさせてもらう事になりました」

 「あらあら、ご丁寧に。でも、薫くんなら安心だわ」

 「ちょっとお母さん、もういいから!」


 恥ずかしさに耐えれなくなった凪が怒鳴って、凪のお母さんは飄々とした表情でからかい続ける。


 でも、そうだよな。僕は凪を幸せにしないといけないんだ。愛を注いで育ててきた愛娘を、どこから生えたかも分からない男に付き合う許可を出す訳にはいかないはず。


 だから、これは一種の信頼で。それを裏切ることはしてはいけない、と僕は心のネクタイをキュッと締める。


 「じゃあ、僕は家に帰ります。今日は色々とありがとうございました。じゃあね、凪」

 「うん。バイバイ、薫」


 閉じられた扉を背に、僕はまた一人の世界へと繰り出す。


 告白した事実が今になって襲ってくる。手が震えて、嘘だったんじゃないかと、頬を抓るけどちゃんと痛い。嘘じゃなくて、現実なんだ。


 世界を嫌ったふりをして、カーストを嫌って、自分の殻にこもっていた僕が、凪という異色に染って出来上がった世界は心地が良かった。


 誰もいないより、誰かがいる世界が良いなんて分かりきった答えのはずのに、一歩を踏み出すことは勇気じゃないと吐き捨てた。踏み出さなくちゃ、ずっと負けたままの人間なのに。これが「大人」になるということなら僕は「成長」を捨てたくない。


 家に帰ると母さんが出迎えてくれて「おかえり」と何かを聞きたそうにしているのがすぐに分かった。でも、僕はあえて何も言わずに「ただいま」とだけ。


 部屋に戻った僕は日記を開く。


 『君に告白をした。しようと思ってしたわけじゃないなら、自分でも驚いてしまったのが情けなかった。本当はもっと色々と練ってかっこよくしたかった。でも、あれが僕らしいといったら僕らしいのかもしれない。何はともあれ、楽しい一日だったな。今日は疲れたな。もう寝よう』


 僕はパタリと日記を閉じてベットに横になって、また凪と会う日を胸に夢の世界へと誘われる。

ではまた。

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