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第12話

 待ち望んでいた明日は存外早くて、僕は太陽の眩しさに目をやられながら目を覚ます。髪の毛を切ったから、もう寝癖がつくことはなくて、そわつく心を落ち着かせながら約束の十六時を待つ。


 ニュースをボケっと見ていたら、どうやら今日は六月なのに、真夏日になるらしい。

 僕はカーテンの外に目をやって、煌々と照らされる草木に納得する。


 刻々と刻まれていく時計に目をやりながら、最終的な荷物のチェックを済ませる。鞄には、絆創膏に汚れた時用のウェットティッシュに、財布。あとは、あそこに行くための懐中電灯。これで何かあった時に、対処ができるはず。


 荷物のチェックを終えて、ゆっくりとしていた僕だったけど、十六時前には家を出てしまった。はやる気持ちは、感情の制御を振り切って、君の家へと向かう。


 ペダルを漕ぐ足に力が入って、スピードはぐんぐんと上がっていく。移ろっていく景色に、すぐそこまでに迫った君の家。


 家に着いた僕は下にある駐輪所に自転車を停めさせてもらう。エントランスにあるオートロックを押す手が震える。早鐘を打つ心臓を抑えながら、ピンポンを鳴らす。


 『はーい』


 出たのは、君じゃない声。僕はすぐに君のお母さんだと理解する。


 てっきり、君が出るものだと勝手に思っていたから言葉に困る。


「あ、あれ?」

 『あれ、薫くん? 凪に何か用?』

「はい。今日祭りに行く約束してて」

 『え、そうなの? ごめんね、凪なら暑さに耐えかねて川に行くって』

「川にですか?」

 『うん、ごめんね。多分、すぐ近くの川にいると思うから』

「いえ、ありがとうございます」


 そうしてインターホンは途切れる。


 僕は駐輪場に停めた自転車に跨って、近くにある川へと向かう。


 空は太陽が燦々としていて、青くどこまでも澄み渡って、雲一つすらない。新緑の葉は木陰を作り、紅い自転車は走る。風が肌にあたって、火照る肌を冷ましていく。


 眩しい日差しが目をいたずらに刺激して、瞼をほんの少し閉じる。さぁっ、と風が地面を撫でて葉を揺らす。眉の上で髪が揺れ、額の汗が太陽に輝く。ぽつりと、頬を伝って煌めく汗が一筋。


 自転車のスピードをグングンと上げ、移ろう景色は君への道標。耳の奥に聞こえてくる川のせせらぎ。


 視界の隅に反射する川。自転車を道脇に邪魔にならないように停めて、君がいないか探す。


 そして、見つけた、川の中で天女の如く舞い踊る君を。


 その姿に瞳は惹き付けられ、淡く濡れゆく服と水飛沫が宝石のように宙に飛ぶ。胸の高鳴りが激しくなって、僕は心臓を抑える。


「あっ、おーい!」


 びしょ濡れの君が僕に気付いて、手を振る。


「なんで家にいないのさ!」

「だって〜! 暑かったから〜!」


 川越しに喋るから二人とも必然的に声が大きくなって、住宅街に木霊する。


「ちょっと待ってー! これ喋りづらいからそっち行く!」


 僕は川岸へ続く階段を使って、君の近くに行く。

 じゃり、じゃり、と石を踏みしめる音が楽しげにハーモニーを奏でる。


「びちゃびちゃじゃん」

「かれこれ二十分ぐらいここにいるからね。どう、一緒に入る?」

「いや、いいよ」


 ビシャリと濡れた服。滴る水滴。水がしみた紺色の服は黒みががっている。誘いを断られて、不貞腐れる君。


「あれ、髪の毛切った?」

「うん」

「似合ってるね、さっぱりしててそのかっこいいよ」


 照れ臭そうに視線を下げて、モジモジとしながら言う姿に胸がまた高鳴る。君の不意に見せる愛らしい姿は、僕の心を酷く震わせてゆっくりと時間が流れゆく。


「ありがとう」

「あ、服もお洒落だね」


 照れると分かっていながらも、しっかりと言葉にする姿が好きで、処理しきれない感情はとめどない。


 川岸に腰を下ろして、僕は一人川で遊ぶ君を眺める。

 パシャパシャ、と君が飛ぶたびに水飛沫が太陽に反射して宝石のように輝く。一粒の宝石が僕の肌に当たる。じんわりと宝石は溶けてなくなる。


 二十分前には川に来て、一人で遊んでいたというのに、まだ遊べる体力は底なしで、僕は呆然と凄さを感じながら、ずっと見ていた。


 でも、そろそろ家に帰って準備をしなくちゃ祭りに遅れてしまうから「おーい、そろそろ帰らないと遅れるよ」と声をかけると、流石の君も川から上がって僕の横に座る。


「汚れるよ」と言っても「どうせ着替えるし大丈夫だよ」と汚れることを気にしないで、空を呆然と眺めている。暑さがじわじわと体力を削って、汗は滝のように流れ、背中を伝う。


 君は濡れたままの姿で、ずっと僕の横にいる。まるで、水の妖精が川からでてきたようで、僕の瞳は釘付けになって、気付いた君が「どうした?」とへにゃりと微笑む。


「ん、いや。暑いなって」

「今日は真夏日らしいからね」


 少しだけ早い夏がやって来て、聞こえないはずの蝉時雨が聞こえてくる。川のせせらぎが熱くなっている風を冷やす。


「そろそろ行こうか、祭りに遅れちゃうといけないし」

「だね、私は着替えないといけない」


 立ち上がって川岸から階段をのぼって、自転車を停めていた場所に行く。すると、僕の自転車を見た君は瞳を思っいきり輝かせて「二人乗りしようよ!」と言い出す。


 僕は怪我させたくないし、危ないから断りたかったけど、この瞳の輝きはきっと何を言っても無駄だと察する。


「怪我しても知らないからね?」

「君がちゃんと運転してくれたら大丈夫だよ」


 急かし気味に背中を押されて、僕はサドルに君はリアキャリアに腰を下ろす。


 サラリとした髪が、絹のような柔らかい腕か、僕の肩に、腰に。煩いほどに心臓は高鳴って、平常心を装う。


「さっ、出発進行〜!」


 君は元気よく声を上げて、僕はペダルに力を入れる。二人乗りなんてしたことが無かったから、自転車はグラッと右に傾く。


 けど、君に怪我をさせてはならないという、呪いを背負っている僕は何とか持ち堪えて自転車はヨロヨロと千鳥足で走り出す。


 僕の心が『転ける! 転ける!』と不安でぐちゃぐちゃになっているのに対して、君はケラケラと楽しそうに声を上げて笑っている。


 徐々に慣れてきて不安定さはなくなっていく。足に力をグンッと入れて、スピードを上げて新緑の木々の中を駆け抜けていく。二つの影が木陰に足される。風を掻き分けて、恐怖すら吹き飛ばす。水飛沫が肌に当たって、髪が揺れて、初夏が極まっていく。


 空に浮かぶ太陽が君の服を乾かして、聞こえない蝉時雨の中、僕らは走る。


 今の僕らは自由に揺蕩う真っ白い雲のように、恐れも、縛りも、何も無い。ここにあるのは、二人の空間、そして時間。雄大な世界を飛び駆け抜ける。

ではまた。

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