第11話
一人の世界が徐々に侘しさを醸し出し、僕の心に君という存在が刻まれたことを鮮明に感じさせられて変な気持ちになる。
最近、この気持ちを抱くことが多くなった気がする。君の顔を見た時、笑顔を見た時、声を聞いた時、心臓が脈打つ度に、一つ、一つ、君が再生されていく。
土足で人の心に踏み込んでくる君は鬱陶しくて、今すぐにでもどこかに行ってほしかった。僕の静寂を壊して、掻き乱して、好き勝手にして。なのに、どうして。
僕の頬は熱く、眠れない熱帯夜のようなもどかしさがあった。
フッ、と風が吹いて伸びきった前髪が揺れる。もう、長いこと髪の毛を切っていない。最後に切ったのは――いつだろうか。祭りへこのまま行くのは、流石に良くない気がするな。
僕は家に帰るなり、母さんに「西さんの美容室に行きたいからお金貰えるかな?」と交渉すると口をあんぐりと開けて、手に持っていた煎餅を床に落として驚かれる。
西さんとは昔から通っている美容室にいる美容師さんだ。金髪の髪に、耳に沢山空いたピアスが特徴の少しだけチャラめの気さくな男の人で、実の兄のように慕っている。
「か、薫が自主的に西さんのところに行きたいって!? 私が勝手に予約取らないと行かないのに……夢かしら?」
「失礼だなあ……長いこと切っていないから切りに行きたくなっただけ。明日とか行けるかな?」
「ちょっと待ってね。予約取れるか聞いてるわ」
母さんがスマホを操作して、西さんに予約が取れるか確認してくれる。急だったから無理かもしれない、と覚悟していたが「明日の十七時なら空いてるから来てだって」と言われて安堵する。
「ありがとう」
「……好きな子でも出来た?」
「そんなんじゃないし」
「あらあら……」
「もう、うるさいな。あっ、日曜日、友達と祭り行くから帰り遅くなるけど大丈夫?」
「あら……ごゆっくりして帰ってきなさい」
何かを察したみたいな顔をして、母さんはふんわりと笑う。僕は面倒くさくなって、特に返事をすることなく部屋に戻る。
別に好きな人が出来たとかじゃない。君の横を歩くには、この髪型は不相応だと思って、だから切りに行こうとしただけで。あれ、でも、なんで君の横を歩くためだけに僕は髪の毛なんかを切りに行くんだ。
――その時、宇宙を駆け巡るように思考が逡巡して顔が熱くなっていく。太陽の表面温度を超えているのかと錯覚するほどに、体が火照って、僕は「違う」と必死に言い聞かせる。
思考を捨てるように勉強や小説ノートに打ち込んで、星を跨いで、次の日。僕の髪の毛は相変わらず寝癖が付き放題だった。
西さんのところに行くまでは、ボケっと色々なことをして時間を潰す。と、その前に母さんから今日の散髪代を貰わないと。
僕はリビングで寛いでる母さんの所に行く。
「母さん、散髪代貰ってもいいかな?」
「あぁ、そうね」
母さんはソファから立ち上がって、財布から僕に一万円も渡してくる。
「えっ、一万円もいらないよ」
「余ったお金はお小遣いにして、お祭りの時に使いなさい」
「え、でも……祭りでそんなに使わないよ」
「いいのよ、持っておきなさい」
「えっと、ありがとう」
有難い話ではあったけど、突然こんな大金を渡されるのは何かあるのではないか、と疑ってしまう。
僕は一万円を財布に仕舞って、遅れないようにと二十分前ぐらいには家を出た。
階段をおりて、駐輪場に停めている紅い色の自転車に跨る。風を浴びながら街を颯爽と駆け抜け、十分ぐらいで「タブラ・ラサ」と書かれた美容室に着く。白い外壁に、木目調の屋根はお洒落なお店は街一番。
チリンチリン、と扉に付いた鈴が僕が来たことを、椅子に座ってゆっくりしていた西さんに知らせる。
「薫くん〜、久しぶり〜。待ってたよ」
間延びした挨拶で西さんが駆け寄ってくる。僕は軽く会釈をしながら「こんにちわ」と言う。
それから、椅子に案内されて鏡の前に僕は座る。
「てか、薫くんから切りに来たいって珍しいよね? そもそも、この前来たの半年前ぐらいだよ? 何、好きな子でも出来た?」
「西さんも母さんと同じことを……。違いますよ、友達と日曜日に祭りに行くので切っておこうかなって」
「え、それって女の子? 男の子?」
西さんの鋭い質問にちょっとだけ口篭る。
「お、女の子です」
「ええ〜! 青春じゃん! 待って、じゃあバッチリ決めないとじゃん」
西さんはいつもこうだ。見た目はチャラくて、近寄り難いのに口を開けば、女子高生みたいにキャピキャピとはしゃいで、根掘り葉掘り色々なことを聞いてくる。
「今日はどんな感じにする?」
「刈り上げは校則でダメなので、それ以外でカッコよくしてください」
「薫くんからカッコよくしてなんて言われたことないよ、俺。いつも、お任せでって無愛想なのに……」
「……いいじゃないですか、別に」
西さんは鋏を手に軽快なリズムで伸びに伸びきった僕の髪の毛をすいていく。パサり、パサりと落ちていく髪の毛を見ながら、こんなにも伸びていたのかと少しだけ驚いてしまう。
「え、その一緒に行く子は同じクラスの子?」
「はい。つい、最近転校してきたばっかりの子で」
「転校生ともう夏祭りに行くほどの仲になるなんて、薫くんも隅に置けないね」
「だから、そんなんじゃないですって」
語調を強めて否定するけど、西さんはケラケラと笑う。
母さんも、西さんも、そうじゃないと何度言っても君を「好きな人」として扱いたいらしい。仲が良いだけで、「恋人」という特別な関係でも無いし、「好きな人」という特別な感情はないはず。
誰も彼もが僕にそんな扱いをするせいで、昨日から頭の中ではグルグルと同じことが巡って、君とは何なのかということを自問自答している。
「はい、終わったよ〜。どう?」
西さんが後ろに鏡を持って、後ろ髪も確認させてくれる。随分とさっぱりして、頭が軽かった。隠れていた耳も久しぶりに外の空気を吸えて、よく聞こえる。
「最高です」
「良かった〜。じゃあ、お会計しよっか。えっと、今日はカットだけだから三千円だね」
財布から一万円を出して、お釣りの七千円を仕舞う。西さんは扉を開けて「またね来てね」と手を振って、見送ってくれる。
「はい、また半年後ぐらいに来ます」
「ちょっと、もうちょっと早くに来てよ」
軽口を叩いて、僕は軽く頭を下げて自転車に跨り家へと帰る。来た道を戻っているだけのはず。なのに、風景がガラリと変わったような気がして、目元で靡いていた髪の毛はどこにもいなかった。鮮明な初夏の匂いと景色が、夏の背中を感じさせて祭りの前夜祭が始まったような気分になる。
キラキラと眩しい太陽がアスファルトを照らして、陽炎がのぼる。今日はいつもより暑くて、額に汗がじんわりと滲む。
家に着く頃には、喉が砂漠のように干上がってカラカラになっていた。僕は扉を開けて薄暗い廊下に「ただいま」を木霊させる。
「おかえり〜。さっぱりしたね」
「かなり軽くなったよ」
「これで明日はバッチリだね」
「……まあ、うん」
僕はお茶を濁しながら手を洗いに行って、鏡に映る違う僕を見る。
かなりさっぱりして、ガラリと印象は変わった。明日、君はなんて言うかな――ってそんなことはどうでもいいか。
部屋に戻って、クローゼットを開く。中にズラッと並んだ服たち。その全てが、よれたり、小さかったり、柄がド派手だったりと明日着ていくにはかなり厳しめのものばかり。
それもそうだ。僕は一年ぐらい前に服を買ったきり、全然更新していない。あまり、外に出ないため服には無頓着でこれまで生きてきた。それがここでこんな悪いふうに作用するとは。
仕方ない、お洒落好きな父さんの服でも借りよう。僕は静かにクローゼットを閉じて、父さんの居るリビングに向かう。
「ねえ、父さん……明日祭りに行くんだけどさ、服貸してくれないかな?」
「……おい、薫。とうとう、服に目覚めたのか!?」
リビングでソファに座りながら、寛いでいた父さんが目にも止まらない速さで僕の肩をガッと掴んで、目を輝かせている。
「目覚めてはいないけど、ただ着ていく服があまりなくて……」
「母さん、俺は夢を見ているのか? 薫が俺に服の相談をしているぞ」
「好きな子が出来たのよ、あなた」
「何!?」
「違うって!」
「いや、いいんだ薫。分かるぞ、恥ずかしいよな」
謎に父さんは共感を示して、目頭を抑えているが別にそんなんじゃない。僕はため息を零す。
「で、なんかいい服あるかな」
「あるとも、父さんに任せなさい」
息子に頼られたのが余程嬉しかったのか、父さんは半分スキップになりながら服を取りに行く。数分すると、手に沢山の服を持って、父さんはまたリビングに来る。
「薫、これなんかどうだ?」
「うーん、これは少し派手かも。もう少し落ち着いた感じがいいかな」
「じゃあ、これだな」
一枚、一枚、マネキンのように着せられてどれがいいかを選別していく。派手な服は除外して、なるべく落ち着いた雰囲気のものを選んでいく。最終的には深緑色のカットソーに黒色のカーゴパンツとなって、僕の人生史上一番オシャレな格好となる。
父さんも満足そうにうなづいて、洗い物をしている母さんも何故か満足そうにしている。
「薫、いいじゃないか。よし、その服はあげよう」
「え、でも。これ父さんの服だし」
「いいんだ……父さんは最近腹が出てきて着れなくなってきたんだ」
「あぁ……じゃあ貰うよ。ありがとう、父さん」
遠い目をした老化を嘆く父さんから、僕は有難く服を貰う。
これで君の横を歩いても、少しはマシな格好になったかな。
父さんから貰った服をハンガーにかけて、ベットに体を預けて明日へ思いを馳せる。
波打つ思い出の破片の欠片に君が煌めいて、瞼の裏に繰り返し浮かぶ。人生のグラフを作るとしたら、そこには必ず君は居る。
僕は自ら何かをするということをあまりしない。けど、君がいると何かをしなければならない場面に遭遇することが多くて、それが新鮮でいつも楽しい。
鈍感な心が過呼吸みたいに、ドクンとドクンと脈打つ度に、満たされる多幸感は別れを言うことを嫌がらせる。
何も無いのに掴む動作をして、静かに顔に腕を下ろす。
――あぁ、早く明日にならないかな。
ではまた。




