表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】七人の訳あり王子と、八番目の薬草姫  作者: 木風


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/35

第九話 第一王子の秘密③

ベルは手袋を持ち上げた。

内側。掌の当たる部分に、油が均一に塗られている。

王宮の革手袋は乾燥防止のために油を塗る。

そこへ混ぜれば——誰も気づかない。


手袋をはめるたび、少量ずつ皮膚へ移る。

しかも喪の装束なら、使う頻度も高い。


ベルは布の端で内側を拭い、匂いを確かめた。

苦い。

わずかに、舌の根が痺れるような匂いだった。

昔、母が「薬と毒は遠くから見れば似ている」と言った時のことを、不意に思い出す。


「執事長。手袋を管理している者の名簿を出してください」

「……はい」


執事長の顔が引き締まった。

動揺はもう消えている。今は王宮を守る人間の顔だった。


「仕立て係、侍従、洗濯係……関わる者は多い」

「多いからこそ、絞れます」

「なぜそう言える」

「全員が触れられるものほど、逆に手順が限られるからです」


ベルは手袋を見下ろしたまま答える。


「油を差す者。保管する者。着替えの時に渡す者。そのどこかです。途中で偶然混ざる量じゃない」

「つまり、意図的だと」

「はい。殿下に触れるものは、今日から全部見直してください。手袋だけじゃ足りません」


その一言で、部屋の静けさがさらに深くなった。

もう疑いようがない。

これは体調不良ではなく、誰かの手によるものだ。


ベルは布を畳み、静かに顔を上げた。


「この油は『新しい』。塗り直しが必要なほど新しい。昨日か今日、塗られています」


ルーペルトが机を叩いた。

乾いた衝撃音が、張りつめた空気をさらに尖らせる。


「昨日だと?ここにいたのは俺たちだけだぞ」

「だからこそ、城内の人間です」


ベルがそう言った瞬間、部屋の空気が凍った。

誰もすぐには言葉を返さない。

この場にいる全員が、同じことを思ったのだ。

外から紛れ込んだ敵ではない。王宮の中に、レオンハルトへ手を伸ばせる誰かがいる。


レオンハルトが顔を上げた。

その視線にはもう迷いがなかった。さっきまであった逡巡が、どこかへ消えている。


「解散」


短く、命令だった。


「今日の会合はここまでだ。各自、部屋に戻れ。外部との接触は禁止。手袋係、仕立て係、洗濯係、医師——全員の名簿と当直表を提出させろ」

「兄上」


フロリアンが身を乗り出した。

軽口ではない。確認の声だった。


「医師も?」

「当然だ。俺の手の荒れを『ただの手荒れ』で済ませた者がいるなら、共犯か無能だ」

「……っ」


冷たい声だった。

怒鳴っていないのに、室温が一気に下がった気がする。

ルーペルトが口を開きかけ、止めた。

この声には、今は逆らえない。そう悟った顔だった。


「ジークムント。帳簿だ。仕立てと洗濯の出入りも含めろ」

「承知した」

「執事長。ベルの部屋の出入りを当面制限する。必要な者以外は近づけるな」

「私の部屋?」

「お前が原因を見抜いた。つまり、お前は『邪魔』だ」


ベルは目を瞬いた。

レオンハルトは端的に言う。


「邪魔な者は消される」


言葉だけを拾えば、ぞっとするほど冷たい。

けれど、その中身は護りだった。

真っ先にベルを囲い込む判断をするあたり、この人は弱っていても第一王子なのだと分かる。


人が散っていく。

椅子が引かれ、靴音が遠ざかり、扉が一つずつ閉じていく。

喪布の陰が濃くなり、外の世界が遠のいた。

最後に残ったのは、ベルとレオンハルト、そして机の上の黒い手袋だけだった。


「ベル」


レオンハルトが呼んだ。

声が少しだけ低い。人がいる時より、わずかに地の響きに近い。


「俺の症状を、他の者に言うな」

「言いません」

「信じる理由は?」

「薬草師は患者の秘密を守ります」

「それだけか」


ベルは少しだけ迷った。

きれいな答えを返すこともできる。

でも、この王子にそれはたぶん響かない。

ここで試されているのは忠誠ではなく、どこまで本当のことを言うかだ。


「……それと、殿下が倒れたら困るからです」


レオンハルトの眉が動く。

侮辱ではない。興味の動きだった。


「困る?」

「この一か月が終わる。王政が終わる。私は森へ帰れなくなる。だから守りたい。自分の居場所を」

「自分のために?」

「はい。まずは」


わずかに間を置いてから、ベルは続けた。


「でも、今は殿下自身にも倒れてほしくないと思っています」


言い終えたあとで、少しだけ喉が乾いた。

言いすぎたかもしれないと一瞬思ったが、レオンハルトは笑わなかった。


ベルがそう言うと、レオンハルトは一瞬だけ目を伏せた。

何かを測るような沈黙のあと、静かに顔を上げる。


「利己的だな」

「そうです」

「だが、誠実だ」


その評価が、妙に重かった。

王子が誰かを褒める時は、甘さではなく責任が乗る。

軽く受け取ってはいけない類の言葉だと、ベルにも分かった。


「俺も、お前を守る。居場所ごと」


淡々とした声だったのに、ベルの喉が小さく鳴った。

守る、という言葉が、ここまで具体的に感じられたことはない。

森の家で母に守られていた時とも違う。これは庇護ではなく、同じ場に立つ相手へ向ける言葉だった。


「……殿下」

「香りではなく、手袋だと気づいたのはなぜだ」


問われて、ベルは正直に答えた。


「匂いです。革の油は、普通は甘いだけ。でも殿下の手袋は、苦味が混じっていました。それと——皮膚の荒れ方。擦れじゃない。中から出てる」

「中から、か」

「はい。表面だけ傷んだ手じゃない。内側に入ったものが、皮膚に先に出ています」


レオンハルトの視線が、机の上の黒い手袋へ落ちた。

その沈黙は短かったが、静かな怒りを含んでいた。


レオンハルトは小さく息を吐いた。

張りつめていた糸が、ほんの一瞬だけ緩むみたいな吐息だった。


「今まで、誰にも言わなかった」

「気づかなかったんですか」

「気づいていた」


低い声だった。

淡々としているのに、その奥には少しだけ苦いものが沈んでいる。


「だが、気づかないふりをした」


その一言が、ベルの胸に刺さった。

王子でいるために、痛みを無視する。

弱さを見せないために、身体を壊す。

そうしなければ立っていられない場所に、この人はずっといたのだ。


ベルは机の上の手袋を見た。

黒い革。上品な縫い目。喪の装束にふさわしい、隙のない仕立て。

そこに、静かな悪意が染みている。

こんな形で人を蝕むものがあることに、腹の奥がじわりと冷えた。


「殿下。今日から、手袋は私が確認します」

「……命令か」

「提案です。殿下が拒否するなら、私はできることが減ります」

「言い方は命令に近いな」

「そう聞こえたなら、きっと急ぐ話なんです」


レオンハルトの目が、ベルの顔に固定された。

試すようでも、威圧するようでもない。

まるで初めて、『対等に言い返してくる相手』を見つけたみたいな目だった。


「ベル。お前は怖くないのか」


ベルは少し考えた。

怖い、という感情がないわけではない。王子は権力だ。機嫌一つで、部屋の空気も人の運命も変えられる立場にいる。

でも今、目の前にいるのは権力そのものではなかった。

震える手を隠して、誰にも見せずに立ってきた、一人の人間だ。


「怖いより、面倒だと思ってます」

「面倒?」

「殿下は隠すのが上手すぎる。隠しすぎると、助けてもらえなくなります」

「それを俺に言うか」

「言わないと、また隠すでしょう」


レオンハルトは、一瞬だけ唇の端を上げた。

笑った、に近い。

けれどそれは、誰にも見せない種類の緩みだった。

この人もちゃんと笑えるのだと、そんなことをベルは場違いに思う。


「……変わっているな」

「村では普通です。王宮が変なんです」

「ずいぶんな言い草だ」

「だって本当に変です。具合が悪いのに黙っている人が多すぎます」


レオンハルトは短く息を吐いた。

呆れたのか、少しだけ可笑しかったのか、そのどちらとも取れない息だった。

ブックマーク、★★★★★、リアクション

よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ