第六話 一か月の秘喪の始まり
一か月の秘喪が始まった。
外部への発表は伏せられ、王宮の一部が八人の居住区として整えられた。
王の死はまだ国の外には知らされず、城の中だけが静かに形を変えていく。
廊下を行き交う使用人の数は増えたのに、声はむしろ少なくなった。
誰もが何かを知っていて、でも口にはしない。そんな張りつめた日々の始まりだった。
その中で、それぞれの日々もまた始まった。
ベルは最初の三日間を、王宮の構造を把握することに費やした。
何も知らないまま一か月を過ごすのは危うい。そう思ったからだ。
どこに何があって、誰がどの道を使い、どこなら一人になれて、どこなら嫌でも人目につくのか。
薬草を採る時も、まず地形を覚える。道を覚え、水の流れを見て、日当たりを読む。
知らない土地で生きるには、それが一番早かった。
王宮も、きっと同じだ。
広い建物は中庭を挟んで東棟と西棟に分かれていた。
南には大広間と接見室、北には王の居室と書庫。そのほかにも礼拝室や小さな応接間がいくつもあり、一度歩いただけではとても覚えきれない。
ベルに割り当てられた東棟の三階から、中庭を挟んで西棟を見ると、王子たちの部屋が並んでいた。
朝、窓を開けた時。夜、部屋の灯りを落とす前。何気なく視線を向けているうちに、少しずつ見えてくるものがあった。
誰がどの部屋かは、明かりの消える時間で、なんとなく分かってきた。
一番早く明かりが消えるのは、最年少の部屋だ——コンスタンティンの部屋。
夜更かしが得意ではないのか、あるいはきちんと寝かされて育ってきたのか。
子どもらしい規則正しさが、灯りの消える早さにそのまま出ていた。
一番遅くまで明かりがついているのは、ジークムントの部屋。次にレオンハルトの部屋。
どちらも夜を使って考え事をする人なのだろうか、とベルは思う。
特にジークムントの部屋は、夜更けても影が動くことが少なくて、不気味なくらい静かだった。
座ったままずっと何かを読んでいるのか、それとも考えているのか。遠目には分からない。
レオンハルトの部屋は、逆に人が行き来することがある。
執事長や年かさの従者らしい影が入っていくのを、二度ほど見た。
やはり、あの人が中心なのだろう。
三番目の部屋は、夜中に煙草の煙が漏れることがある。
細く白い煙が窓の隙間から流れ、夜気に溶けていく。
あの煙草くさい書簡の断片を昨日廊下で見かけたのはルーペルトだったから、おそらくそこだ。
気が短くて、でも神経は細いのかもしれない。そういう人は、火をつけた煙草を途中で何本も無駄にしそうだ——そんなことまで考えて、ベルは少しだけ自分がおかしくなった。
「薬草師みたいなことをしてるね」
中庭のベンチで西棟を眺めていたベルの隣に、誰かが腰を下ろした。
気配に顔を上げると、フロリアンだった。
第二王子、十九歳。金茶の髪に、余裕のある笑顔。
その笑顔だけ見れば、今が秘喪の最中だということすら忘れそうになる。
「何が?」
「みんなのことを観察してる。気づいてるよ」
ベルは少しだけ居心地が悪くなった。
見られていないつもりで見ていたわけではない。
けれど、言葉にされると落ち着かない。
「バレてた?」
「兄上も気づいてると思う。彼はそういうのに聡いからね」
「……それは恥ずかしいな」
「別にいいんじゃない。知ろうとすることは悪くないよ」
フロリアンは背もたれに軽く体を預け、気楽そうに伸びをした。
よく晴れた朝に似合う、快活な動作だった。
でも、それがあまりに自然すぎて、逆に癖みたいにも見えた。
こうして明るくしておくことが、この人にとっての身のこなしなのかもしれない。
「僕たちだって、お互いをよく知ってるわけじゃないからね。それぞれ別邸で暮らしているし、意外と知らないことだらけ」
「兄弟なのに?」
「王宮っていうのはそういうもんだよ。公式の場では一緒にいる。でも本音はあまり話さない。特に兄上とジークムントは、いつも何か考えてるくせに話さないから」
「フロリアンはどうなの?」
何気なく返した問いに、フロリアンは一瞬だけ表情を揺らした。
本当に一瞬だった。
笑顔の端が、わずかに遅れる。その程度の揺れだったけれど、ベルは見逃さなかった。
「僕は……まあ、陽気で気楽な次男坊だよ。それ以上でも以下でもない」
言い方は軽い。
嘘ではないのだろうと思う。
でも、全部でもない気がした。
陽気でいることを選んできた人の言葉に聞こえた。
「一つ聞いてもいい?」
「どうぞ」
「みんな、それぞれに何か抱えてるんじゃないかと思うんだけど——わたしはまだここに来て四日目だから、なんとなくそう見える、という話だけど」
フロリアンは少し目を細めた。
笑っている時より、かえって年上に見える目だった。
「鋭いね」
「違う?」
「違わない。まあ、人それぞれ事情はある」
「フロリアンは?」
「……僕は」
そこで一拍あった。
軽くかわすかと思ったのに、フロリアンは逃げなかった。
笑った。けれど今度の笑いは少し力がない。
自分でも、格好がつかないと思っている人の笑い方だった。
「僕は、金に困ってる」
予想外の答えに、ベルは瞬きをした。
「第二王子が?」
「第二王子でも、馬鹿なことをすれば借金は積み上がる」
「馬鹿なこと……賭け事?女?お酒?どれ?」
「さすが薬草師。目がいい」
フロリアンは苦く笑った。
図星なのだろう。けれど、ただの放蕩だけで片づく話でもなさそうだった。
軽い口調を装っていても、その目の奥には重いものが沈んでいる。
第二王子という立場で、実態は次男として育ってきた人間の、見栄と諦めと、たぶん少しの反発。
きっとそういうものが、全部ない交ぜになっている。
ベルはそこで、ああこの人もなのだ、と思った。
レオンハルトとも、ジークムントとも、ルーペルトとも違う形で、この人もまた何かに押されながら生きてきたのだ。
王子という肩書きが、そのまま楽な人生を意味するわけではないらしい。
「ともあれ、よろしくね、妹」
「……妹と呼ばれるのは、まだ慣れないんだけど」
「僕もまだ慣れてない。でもそのうち慣れる」
言いながら、フロリアンは立ち上がった。
最後まで重い空気にしないまま、手をひらひらと振る。
「お前、観察してる時の目、ちょっと怖いから気をつけなよ」
「えっ」
「冗談だよ。半分は」
ベルが言い返す前に、フロリアンは笑って中庭を去っていった。
残されたベルはしばらくその背中を見送り、それから小さく息を吐く。
軽い人だと思っていた。
たぶん、それは間違っていない。
でも軽さの下に、隠しているものがある。
王を選ぶ一か月は、まだ始まったばかりだった。
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