第四話 八人目の子
『まず、王国の政務に関しては、摂政として宰相が当たることとする。
これは王位継承が定まるまでの暫定措置である。次に、王位継承について——』
そこで、空気が変わった。
さっきまではベルの存在に向いていた意識が、一斉に遺言の中身へ向く。
誰もが居住まいを正した。肘掛けに預けていた腕が離れ、視線がまっすぐ文書へ集まる。
ベルもつられるように背を伸ばした。
今から聞くのは、亡くなった王の最後の命令だ。そう思うと、部屋の薄い空気まで重くなった気がした。
『余は、自らの子の中から一名を選んで王位を継がせる。
その一名は、余の子すべての合意を持って決定するものとする』
「…………」
『余の子は八名である』
静寂の中に、誰かが息を呑む音が聞こえた。
短く、鋭い音だった。
ベル自身も、喉の奥がひやりとするのを感じる。
八名。
自分を含めて、ということだ。
『八名は一か月の時間を与えられる。
この一か月は『秘喪の期間』とし、外部への余の死に関する発表を伏せ、城内で互いを知り、次の王を合議によって決定せよ。
一か月が経過した時、全員一致の合意が得られなければ——』
レオンハルトはいったん止まった。
読み間違えたのではない。ただ、次の一文をこの場で口にするために、一瞬だけ間が必要だったように見えた。
部屋の誰も催促しない。
その沈黙の中で、ベルは自分の鼓動ばかりを聞いていた。
『得られなければ、余の死を公表したのち、王政は廃止とする。
以上である。 ヴァルディア国王 ガレウス三世』
読み終えると、レオンハルトはゆっくり文書を閉じた。
今度の沈黙は、さっきよりも長かった。
重い、という言葉では足りない。
誰かが石を投げ込んだのではなく、床そのものが抜けたような沈黙だった。
「……八名」
最初に口を開いたのは、また別の人物だった。
今まで沈黙を守っていた、長い銀髪を一つに結んでいる、十五歳か十六歳ほどの少年。
今にも泣き出しそうな顔をしているのに、必死でそれをこらえているのが分かる。
「僕たちは七人じゃないの?もう一人って……」
「彼女のことだ、ヨアヒム」
金茶の髪の男が答えた。
軽い調子に聞こえる声だったが、視線だけは鋭くベルを見ている。
「そういうことだよね、兄上」
「そうなるな。彼女が八人目。父上が直接認知なさった唯一の子になる」
「唯一の……?」
ベルは思わず声を漏らした。
自分でも、ひどく小さな声だったと思う。
けれどこの部屋では、それでも十分に聞こえた。
「どういうことですか?王子は七人いるのに——」
「その言葉のままだ」
「俺たちは父の子であり、それぞれ第一王妃から第七王妃の子」
ルーペルトが机を叩いた。
乾いた音が響き、その鋭い目がレオンハルトを射抜く。
さっきベルに詰め寄ってきた時よりも、今の方がよほど危うかった。
「王子とされているにも関わらず、誰一人直接の認知はされていない」
「俺たちは本当に父上の子なのか?そう育てられてきたが——まさか、違うとでも言うのか?」
「ルーペルト」
レオンハルトが短く呼ぶ。
「落ち着け」
「落ち着けって言うのか、兄上!?『唯一』って言っただろ。『唯一』ってことは、俺たちは——」
「声を荒げても何も変わらない」
「…………」
低く、静かな声だった。
怒鳴り返したわけでもないのに、その一言でルーペルトの言葉が止まる。
けれど、止まっただけだ。納得してはいない。
ベルはその横顔を見て、胸の奥がざらつくのを感じた。
レオンハルトの目の奥にも、ルーペルトと同じ色の何かが宿っていた。
揺れている。
けれど、それを外へ漏らさないよう、必死で押さえ込んでいる目だった。
冷静なのではない。冷静でいようとしているのだと、ベルにも分かった。
「遺言を最後まで聞け。すべてはその後だ」
「…………」
ルーペルトはテーブルに手をついたまま、歯を食いしばった。
口は閉じたが、納得した顔ではない。いまにも椅子を蹴って立ち上がりそうな気配だけが残っている。
ベルはそっと周囲を見回した。
七人それぞれの表情があった。
レオンハルトは冷静を保っているが、その目の奥には複雑な光が見える。
ルーペルトは怒りを噛み殺している。
銀金髪のジークムントと呼ばれた人物は表情を変えず、ただ考えている顔だった。感情を見せないというより、見せる前に整理しているように見える。
カシミールは唇を噛み、ヨアヒムは青白い顔で膝の上の手をじっと見つめていた。
フロリアンは口元こそ緩いままだが、目だけが笑っていない。
そしてコンスタンティンは大きな目をぱちぱちさせながら、兄たちの顔を順番に見ている。幼いぶん、何が起きているか分からないまま、それでも何かが大きく崩れたことだけは感じ取っているようだった。
「まあ落ち着こうじゃないか。答えはこれから出てくる」
金茶のフロリアンが言った。
第二王子なのだろう。軽やかに場を回そうとしているようで、その実、混乱を飲み込ませようとしている声音だった。
「執事長。俺たちはこれから一か月、それぞれの別邸ではなくここに住むことになるのか」
「はい、フロリアン殿下」
「それはいい。部屋の用意は?」
「すでに整えてございます。ベル様のお部屋も」
「……僕の部屋も?」
初めて声を出したのは、さっきから一番端で縮こまっていた少年だった。
一番年下に見える少年。栗色の巻き毛に、大きな目。
不安そうに揺れるその視線は、兄たちの怒りや戸惑いとは別の種類の震えを含んでいた。
「もちろんです、コンスタンティン殿下」
「…………あの」
少年——コンスタンティンは、おずおずとベルを見た。
その目は怯えているようでもあり、確かめたいようでもある。
「お姉さん、なの?」
ベルは少年の顔を見た。
小さくて、まだ子どもだ。
けれどその目は、子どもらしからぬ真剣さを持っていた。冗談ではなく、本当に大事なことを聞いている目だった。
この子にとっても、自分は突然現れた他人では済まないのだ。
その事実が、遺言の文言より少し遅れて胸に落ちてくる。
「……そうみたい?」
ベルが答えると、コンスタンティンはじっとベルを見てから、こくりと頷いた。
「そっか」
それだけだった。
泣きもしないし、笑いもしない。
でもベルには、その短い一言にどれほどの重さがあるかが伝わってきた気がした。
受け入れた、というより、受け止めようとしている。
小さなその頷きが、この部屋の誰よりまっすぐだった。
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