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【完結】七人の訳あり王子と、八番目の薬草姫  作者: 木風


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第二十三話 夜明け前の書記局

その夜。


ベルはわざと、草案の束をルーペルトの机の上へ戻した。

書き換えられた文言も、そのまま残す。

見つけた側が腹を立てるくらい露骨な文だったが、だからこそいい。

犯人は『まだバレていない』と思いたいはずだ。


そして、レオンハルトの命令で配置された衛兵が、書記局の廊下の影に立つ。

ベルはその影の向こう側——外からは見えない位置に身を置く。

灯りは絞られている。喪布越しの夜は暗く、廊下の石床は冷たかった。

呼吸の音一つが浮きそうで、ベルは喉の奥まで静かにした。


少し時間が経って、足音がした。

忍び足。慣れている足音。書記局に慣れた人間の足音だ。

物を盗みに来る足ではない。何かを『戻しに来る』つもりの足音。


扉が開き、誰かが入る。

ランプの火が揺れ、紙が擦れる音がした。

机の上の束を確かめるように、指先で紙をめくる音。

一枚ではない。二枚、三枚。探っている。


ベルは息を止めた次の瞬間、紙の束をめくる音が止まった。

代わりに、誰かが小さく舌打ちしたのが聞こえた。


(……バレてないと思ってたのに、思ったより見られてる)


その苛立ちが、音になる。

人は焦ると、静かにしているつもりでも雑になる。

ベルは影の中で、レオンハルトの方を見る。

彼は無言で頷いた。

今、動く。


「そこまでだ」


レオンハルトの声が落ちる。

低いのに、夜気を裂くみたいによく通った。

衛兵が扉を塞ぐと、部屋の中の人物が振り向く。


——執事長補佐。


ベルが見たことのある男。

年齢は四十前後。身なりは整っている。普段は目立たない顔。

目立たないまま、誰かの横で帳面を抱え、鍵や紙を受け渡すような人間。

こういう人が、いちばん長く影にいられる。


男の顔色が変わる。

だが怯えではない。計算が外れた顔。

逃げ道を探そうとして、まだ探しきれずにいる顔だ。


「殿下、これは——」

「言い訳は後だ」


レオンハルトが冷たく言う。


「今夜、なぜここにいる。なぜ草案に触れた」

「私はただ、ルーペルト殿下の指示で——」

「ルーペルトは指示していない」


ベルが静かに言うと、男の視線がベルへ刺さる。

その一瞬で分かった。


この人は、私を外したい。


書類を直したいんじゃない。

ベルを『合議の外』へ置きたい。その意図が先にある。


補佐が口元を歪めた。


「……ベル様は、お優しい。だから余計なことをなさる」

「優しいんじゃない。しつこいだけです」

「しつこい方は厄介です」

「そうでしょうね」


ベルが言い返すと、レオンハルトの目が一瞬だけ細くなる。

笑いを堪えた目。

補佐はそれを見て、わずかに表情を変えた。

ベル個人を揺らすつもりが、逆にこの場の距離を見せつけられたのだろう。


補佐は視線を逸らし、急に態度を変えた。


「殿下。私は命令に従っただけです。上からの——」

「上は誰だ」


レオンハルトが問う。

補佐は、口を開きかけて閉じた。


沈黙。

その沈黙が答え。

『影』はまだ名を出さない。

出さないからこそ、怖い。

名が出ない限り、疑いはいつでも別の形へ流せる。


レオンハルトが低く命じた。


「拘束はしない。ただし監視を付ける。書記局への出入りは禁止。今夜の行動は記録しろ」

「かしこまりました」


衛兵が補佐を連れていく。

最後まで男は取り乱さなかった。だが、去り際に一度だけベルを見た。

恨みとも軽蔑とも取れる目。

あの目は、まだ終わっていない目だとベルは思う。


扉が閉まり、書記局に静けさが戻る。

戻ったはずなのに、さっきより静けさが重い。

ベルはようやく息を吐いた。

でも、胸の奥は軽くならない。


「殿下」


ベルが言うと、レオンハルトがこちらを見た。


「まだ終わってないですね」

「終わらない。だが、線は見えた」

「補佐の上に、まだいる」

「ああ」


レオンハルトは一歩だけ近づき、声を落とした。


「ベル。囮にしたくはない」

「さっき囮にするって言いましたよ」

「……言った」


レオンハルトは短く認めた。

認め方が妙に素直で、ベルは少しだけ返事に困る。


「弟たちなら理由がある。だが、お前に対しては——」

「説明できない、ですよね」

「そうだ。だから、余計に苛立つ」

「殿下が?」

「俺が」


レオンハルトは視線を逸らし、すぐ戻しながら淡々と言った。


「お前を守る理由が、責任では片付かない。……それが分かっているのに、まだ名前が付いてない」

「名前が付いたら困るんですか」

「困る」

「そうですか」

「そうだ」


ベルは返せなかった。

返したら、場が壊れる。

今は壊していい場面じゃない。だから、仕事へ逃げる。


「殿下。次は、封蝋です。偽蜜蝋と、同じ棚に手が伸びている」

「……ああ」

「補佐が口を割らないなら、物の方を追った方が早い」

「香料庫と封蝋庫、両方だな」

「はい」


ベルは胸の奥が騒がしくなるのを感じて、咄嗟にさらに仕事へ逃げた。

レオンハルトは頷きながら、ベルを見た。


「ベル。用がないと来てはダメなのか」

「今それ言うんですか」

「用はある」


レオンハルトは短く言い、そして付け足した。


「お前が無事か確認する用だ」


ベルは一瞬、言葉を失った。

王子の言葉としてはあまりに素直で、だからこそ怖い。

こういう言葉は、受け取った瞬間に形を持つ。

形を持ったものは、あとで無かったことにできない。


ベルは結局、いつもの結論に逃げるしかない。


「……過保護ですね」

「弟たちには過保護かもしれない。ただ、お前に対しては、やはり説明できない」

「便利ですね、その言い方」

「便利だ。今はそれでいい」

「よくないです」

「知っている」


レオンハルトは言い切り、先に歩き出した。

その背中は迷いがないのに、歩幅だけが少し速い。

ベルはその背中を追いながら思う。


書類の改竄は止めた。

けれど『影』は残った。

残ったまま、たぶん次の手を考えている。


そして、その影はきっと——封蝋のところで笑う。

コンスタンティンの偽蜜蝋は、まだ解決していない。

あれを作れた手が、まだ王宮のどこかで動いている。

ブックマーク、★★★★★、リアクション

よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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