第二十話 割れる合議①
秘喪の十七日目。
王宮の空気は、雨の前の土みたいに重かった。
事件が多すぎる。
偽蜜蝋、書類改竄、火事未遂。
一つでも王宮を揺らすには十分なのに、それが短い日数のうちに幾つも重なった。
誰もが『次は自分かもしれない』と思い始めていて、その疑心が言葉を尖らせている。
黙って座っているだけでも、椅子の脚から不安が伝わってくるような朝だった。
会議室に集められた八人は、いつもの席に座った。
ベルは末席。レオンハルトは上座。ジークムントはその隣。
他の王子たちも、表面だけは普段通りに見せている。
けれど誰の肩も少し固く、誰もが相手の最初の一言を待っていた。
ベルが椅子に座ると、空気がわずかに揺れる。
『ベルがいる』というだけで、話題が王位になるからだ。
この場にいる理由そのものが、もう政治だった。
レオンハルトが短く言った。
「今日は事件の報告ではない。合議の方向性を決める」
「方向性?」
ルーペルトが鼻を鳴らす。
「方向性も何も、さっさと王を決めればいいだろ」
「決め方が問題だ」
レオンハルトが淡々と言う。
「誰か一人を押し上げれば、他が反発する。反発が割れ目になる。割れ目に火を入れる奴がいる」
『火』。
その言葉に、全員の喉が一瞬だけ詰まった。
昨夜の火事未遂を思い出したのだろう。
誰も口にしないのに、炎の色だけがこの部屋へ戻ってきたような沈黙だった。
その沈黙を割るように、ジークムントが静かに口を開いた。
「火を入れる者がいるのは事実だ。だが、だからこそ結論は一つだろう」
「何だ」
レオンハルトが目だけで問いかけると、ジークムントは微笑んだ。
笑みは薄い。自信の形だけが残る笑みだった。
感情を削ぎ落とし、理屈だけを前に出す時の顔だ。
「王政を廃止する」
空気が止まった。
椅子の軋む音すら、急に遠い。
フロリアンが思わず声を漏らす。
「え……待って。父上の遺言は、合議がまとまらなければ廃止、って——」
「そう。まとまらないなら廃止だ」
ジークムントは淡々と言った。
「なら『まとまらない』ことを前提に、最初から廃止を選べばいい。混乱を長引かせず、国を守れる」
「守れる、だと?」
ルーペルトが低く唸るように言うが、ジークムントはそちらを見もしない。
「国を守る……?王政を廃止して、何に移行する」
「評議会だ。宰相と有力貴族、騎士団長、財務官。必要なら教会。王の血で国を回す時代は終わりだ」
「終わりだ、と簡単に言うな」
「簡単じゃない。だが合理的だ」
ヨアヒムが『教会』という単語にわずかに反応した。
だが、言葉を挟まない。まず聞く。
この場でいちばん幼く見えても、聞くべき時に黙れる子だとベルは思った。
ジークムントは続ける。
「この一か月で分かったはずだ。王宮は『鍵』を一つ持つだけで狂う。人が一人倒れれば動揺し、封蝋が一つ見つかれば疑いが走る。そんな場所に、さらに王位という一点を置く意味がどこにある」
視線がベルに向く。
ベルは目を逸らさなかった。
逸らしたら、負ける気がしたからだ。
自分が今ここにいることごと、相手の理屈に組み込まれてしまう気がした。
「ベルが悪いと言っているわけじゃない」
「構造が悪いと言っている。王の血、魔女の血、『真名』。そういう『例外』が国の中心にある限り、争奪はなくならない」
ジークムントが言うと、カシミールが軽く笑った。
「正論っぽい」
「正論だよ」
ジークムントは穏やかに返す。
「私は片耳の聴力を失った。原因は疲労と音とストレス。つまり——王宮そのものが人を壊す。壊れる人間に王位を背負わせるのは、合理的じゃない」
「自分が壊れたから制度ごと潰すのか」
「個人の問題にしたいなら好きにしろ。だが私は、自分一人の症状として片づけるつもりはない」
『被害者』。
その言葉を、誰も口にしないのに、空気に滲む。
ジークムントは今、その立場ごと理屈に変えている。
傷を見せて同情を引くのではなく、傷を証拠にして盤面を動かそうとしているのだ。
ルーペルトが机を叩いた。
「だからって!火をつけた奴がいるから、家を燃やして更地にするってか?」
「燃えているなら更地にするのが一番早い。火を消そうとして水を運ぶ間に、燃え広がることもある」
「……」
ルーペルトが噛み殺す。
怒りはある。でも、ここで暴れればジークムントの理屈が勝つ。
ルーペルトはそれを本能で分かっている。
分かっているからこそ、余計に苛立っている。
ベルは息を吸って言った。
「王政を廃止すれば、争いがなくなるんですか」
「減る」
ジークムントは即答した。
「王位が誰か一人に集中しないなら、権力が分散される」
「分散された権力は、誰が監視するんですか」
「相互に、だ」
「互いに疑い続ける仕組みで?」
「そうだ。少なくとも、一人に集めて奪い合うよりはましだ」
「本当に?」
ベルの背筋が冷える。
母が恐れた未来を、ジークムントは『合理性』で語る。
誰にも王冠を被せない代わりに、誰もが小さな王になる世界だ。
ベルは言葉を選んだ。
「分散、で終わるなら。私はそれが怖い。怖さで国は守れない。怖さで国は壊れます」
「怖さ?」
「誰も信じない仕組みを作れば、人は最初から裏切る前提で動きます。裏切られる前に奪う。奪われる前に縛る。そういう国になります」
「理想論だな」
「違います。診療所で見てきた現実です。疑いだけで人を回すと、最後に残るのは弱い人から壊れる形です」
ベルが言い返すと、ジークムントの目が細くなる。
正論同士の衝突だ。
どちらも感情ではなく、理屈の形をしているからこそ、引きにくい。
ジークムントが静かに言った。
「ベル。君は優しい。だから『守るための偽り』を許す。執事長を残すと言う。監査を作ると言う。でも優しさは遅い。遅い優しさは、遅れて燃える」
「優しさの話じゃありません」
「では何だ」
「壊さないための手順です」
ベルはまっすぐ言った。
「全部を焼けば早い、は確かに早い。でも焼いた後に残る灰の中から、誰が国を拾うんですか」
「評議会が拾う」
「拾うのは強い人だけです。弱い人は、最初から数にも入らない」
言い切った瞬間、部屋の空気がまた一つ重くなった。
王位の話をしていたはずなのに、いつの間にか国の形そのものを裁いている。
そんな会議だった。
ベルは反射的に口を開きかけた。
しかし、レオンハルトが先に言った。
「ジークムント。お前の言葉は強い。だが、お前の結論は早すぎる」
「早い方がいい」
「早いのは、お前が『待てない』からだ」
レオンハルトの声は低かった。
怒鳴りもせず、断じもしない。ただ、相手の理屈に貼られた皮を一枚ずつ剥がすような声だ。
ジークムントは薄く微笑んだ。
「待てないのは、兄上では。ベルを守ると言って、結び目一つで目の色を変える」
一瞬、会議室の空気がひび割れた。
ベルの頬が熱くなる。
今それを言うのはずるい。ずるい上に、効果的すぎる。
この場にいる全員が、少しずつ察していることを、ジークムントはわざと形にしたのだ。
けれどレオンハルトは否定しない。
否定しないまま言う。
「守る。だからこそ、廃止は選ばない」
「なら、代案は?」
「合議で決める。遺言通りに」
「その合議が割れると言ったのは君だ」
「割れないようにするのが俺の仕事だ」
「仕事、か」
ジークムントが肩をすくめる。
その仕草には、嘲りよりも諦めに近い冷たさがあった。
「『仕事』で国は救えない。兄上は国を守りたいんじゃない。ベルを守りたいだけだ」
「それの何が悪い」
「視野が狭くなる」
「お前の合理も、痛みで視野が狭くなっている」
ジークムントの目が、わずかに細くなる。
刺されたのはお互い様だった。
ベルは呼吸が浅くなった。
この場で『恋』を晒すのは危険だ。
誰が誰を守りたいか、そんな感情を王位の議論に混ぜた瞬間、全部が利用される。
でもジークムントは、危険なことを言うのが上手い。
正しさの形にして、いちばん触れられたくないものを真ん中へ置いてしまう。
そこへ、カシミールが口を挟んだ。
「じゃあさ。多数決で決めようか。『王政廃止』に賛成の人、手を挙げて」
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