表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
七人の訳あり王子と、八番目の薬草姫  作者: 木風


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/31

第十九話 第三王子の秘密①

ベルは続ける。


「殿下。今すぐ治療を始めないと、戻りにくくなります」

「脅しか」

「事実です」

「どれくらい急ぐ」

「今です。今夜のうちに」

「……」


ジークムントの顎がわずかに固くなる。

認めたくない。でも、無視もできない。そういう沈黙だった。


ベルは声を落とした。


「聞こえにくいだけで済むとは限りません。早く手を打つ方がいいです。今なら、まだ戻せる可能性がある」

「可能性、か」

「はい。だから急ぎます」


ベルは淡々と言った。

淡々と言うしかない。感情で説得する相手ではないからだ。

相手が冷たくなるほど、こちらは熱を引かせなければならない。そうしないと、この場では言葉が負ける。


レオンハルトはそのやり取りを黙って聞いていたが、ここで短く命じる。


「医師、必要な処置をすぐ始めろ。記録も残せ。ベル、お前も残れ」

「はい」

「医師は何と言っている」

「耳の炎症か、疲労かと」


宮廷医師が答えた。

言い方が曖昧だ。

断定を避け、責任も避ける言い方だった。

いちばん危ない時に、いちばん役に立たない種類の慎重さ。


ベルは医師を見る。


「『突発性難聴』の可能性は?」

「それは……」


医師が言い淀む。

その瞬間、ジークムントが冷たく言った。


「ベル。お前の『薬草師の勘』で騒ぎを大きくするな」

「勘じゃない。症状です」

「症状で政治は止まらない」

「止めるのは政治じゃなくて、悪化です」


ベルは息を吸った。

ここで引いたら、彼はこのまま悪化する。

悪化すれば、彼はそれすら武器にするかもしれない。

聞こえないままでも平然と座り、合議の場で自分を削る。そういう人に見えた。

それが最悪だ。


ベルは一歩だけ近づいた。

詰め寄るのではなく、逃がさない距離まで。


「政治が止まらなくても、殿下の耳は止まります」

「……」


ジークムントの目が細くなる。

怒りではない。刺された目だった。

一番触れられたくない場所を、正確に突かれた人の目だ。


ベルは続けた。


「殿下が今、聞こえない側の席に誰かが座ったら——あなたは会話の半分を落とします。聞き返すか、聞こえたふりをするか、その二つしかなくなる」

「……」

「どちらを選んでも、合議では不利です。判断が遅れる。反応がずれる。合議をする資格が削れます。だからこそ、今治療です」


ジークムントの喉が動いた。

言い返したいのに、言い返せない。

事実だからだ。

そして、彼自身ももう気づいているのだろう。左から入る音が薄く、世界の片側がぼやけていることに。


レオンハルトが低く命じた。


「ジークムント。治療を受けろ。これは命令だ」

「兄上」

「命令だ」


短い。

王子の命令。

逃げ道を塞ぐための、最短の言葉だった。


ジークムントは一拍だけ固まり、次に薄く笑った。


「……命令で治るなら苦労はない」

「命令で『治療を開始させる』」


レオンハルトは淡々と言い返す。

その淡々が、強い。

感情で押していないから、押し返せない強さだ。


ベルは医師へ向き直った。


「今すぐできることを。まず安静。音を遮断。次に、急性期の治療を開始してください。できないなら、できる者を呼んで」

「……承知しました」


医師が頭を下げる。

ベルはさらに付け足した。


「耳の血流を落とさない。冷やしすぎない。余計な刺激は避ける。薬はすぐ。できれば今夜のうちに投与を始めて」

「分かっております」


医師は言ったが、目が泳ぐ。

ベルは内心で舌打ちした。

王宮の医師は『責任』を避ける。失敗した時に首が飛ぶからだ。

だから判断が遅れる。遅れてから、誰にも責任がない顔をする。

ジークムントが低い声で言う。


「ベル。お前は、そんなふうに命令する立場じゃない」

「命令してません。治療の手順を言ってるだけです」

「同じだ」

「違います。命令は責任を伴う。私は責任を取ります。耳が戻らなければ、私は恨まれていい」


ベルは言い切った。

言い切った瞬間、自分の声が少し震えたことに気づく。

怖いのは、ジークムントではない。

『間に合わない』ことだ。

ここで見誤って、あとから『あの時すぐ動けば』になることの方が、ずっと怖い。


ジークムントは一瞬だけ、言葉を失った。

そして、冷たく視線を逸らす。


「……好きにしろ」


負けた時の言い方だ。

負けを認めない負け方。

だが、拒み続けるほどの余力はもうない。そういう響きでもあった。


レオンハルトが医師に命じる。


「必要な薬と処置を。今日の会合は延期。ジークムントは安静。異論は認めない」

「兄上」


ジークムントが言いかける。

レオンハルトは遮った。


「耳を失うな。失ったら、取り返しがつかない。政治は取り返せる」

「……」


ジークムントの顎が固くなる。

屈辱だ。彼にとっては。

優先順位を他人に決められること自体が、もう屈辱なのだとベルにも分かった。


ベルはソファの横の小机に湯を用意させ、月の葉ではなく、刺激の少ない鎮静の茶葉を取り出した。

匂いを確かめる。香りは柔らかい。眠りを助けるが、頭は鈍らせない。

今のジークムントに必要なのは、意識を落とすことではなく、神経の張りを少しだけ緩めることだった。


「殿下。飲めますか」

「……要らない」


ジークムントが拒む。

ベルは頷いた。


「要る要らないじゃなくて、飲め」

「言い方が変わったな」

「早く効かせたいので」

「随分と強気だ」

「間に合わないよりいいです」


ベルが水差しを差し出すと、ジークムントは渋々受け取った。

指先が少しだけ震えている。

怒りか、耳鳴りの不快か、どちらもだろう。


それでも受け取った。

その事実だけで、今夜はまだ間に合うかもしれないと、ベルは思った。


医師が薬を用意し始めた。

瓶の蓋が開く音。紙が擦れる音。水差しが小机の上でかすかに鳴る音。

その一つ一つの小さな音すら、今のジークムントには刺さっているかもしれない。


ベルはそっと言った。


「音、辛いなら布を」

「……黙れ」


ジークムントの声は鋭い。

でも、怒りの鋭さではない。

弱みを見せたくない鋭さだ。

聞こえないことも、辛いことも、全部『少し』で済ませたい人の声だった。


ベルは黙った。

黙って、カーテンを少しだけ閉め、部屋の音を減らした。

人の声は低く。足音は消す。水の音も控える。

椅子を引く音さえ立てないよう、侍従へ手で合図する。

薬草師ができる最初の治療は、環境だ。

薬の前に、神経をこれ以上逆撫でしない空間を作ること。それだけで救われる身体もある。


レオンハルトがベルの横へ来た。

二人きりの声で言う。


「……間に合うか」

「間に合わせます」


ベルは即答した。

即答したが、胸の奥は冷たい。

突発は、間に合っても残ることがある。

戻る人もいる。戻りきらない人もいる。

それを口にするのは、まだ早い。

今ここで必要なのは可能性の話ではなく、手を止めないことだ。


レオンハルトの目がわずかに細くなる。


「残る可能性は」

「……あります」


ベルは正直に言った。

誤魔化しても、この人には意味がない。

レオンハルトが一瞬だけ目を閉じ、すぐに開く。

その一瞬に、兄としての感情を押し込めたのだとベルにも分かった。


「ジークムントに言うな」

「言いません。今は治療の邪魔になる」

「そうだ」


レオンハルトが頷いた。

そして、ジークムントへ向き直る。


「ジークムント。今日は終わりだ。眠れ」

「眠れるか」

「眠れ」


命令の形。

でもそれは、兄の祈りに近かった。

眠ってしまえば少しは楽になるかもしれないと、言葉にできないまま押しつける声だった。


ジークムントは返事をしなかった。

ただ、聞こえる側の耳をレオンハルトへ向けるように、顔をわずかに傾けた。

それが屈辱であり、現実の証拠でもある。

片側へ世界を寄せないと、人の声が届かない。その事実だけで、この人には十分屈辱なのだろう。


ベルはその仕草を見て、胸の奥が痛んだ。

ジークムントは、この屈辱を忘れない。

忘れないから、強くなる。

強くなる方向が、よいとは限らない。

今日の痛みを、いつか冷たい刃に変える人かもしれない、とベルは思った。


処置が始まり、時間が流れる。

ベルは医師の手元を見ながら、必要な指示だけを短く挟んだ。

過剰に口を出さない。

でも外さない。

薬の量。水の温度。灯りの位置。横にならせる角度。

小さなことばかりなのに、小さなことほど今は外せなかった。


夜が更け、ジークムントの顔色が少し落ち着いた頃、レオンハルトがベルへ目配せした。

部屋を出る合図だ。


廊下へ出た瞬間、ベルはようやく息を吐いた。

石壁の冷たさが、背中へ貼りつく。

部屋の中で張りつめていたものが、外へ出た途端にどっと重くなる。


レオンハルトが低い声で言う。


「……よくやった」

「仕事です」

「仕事でも、助かった」


ベルは返事をしなかった。

返事をすると、心が揺れる。

助かった、と言われると、少しだけ救われた気になるから危ない。


レオンハルトは続ける。


「ジークムントは、これを武器にする」

「ええ」

「弱みとして隠すだけじゃない。使える形に変える」

「そう思います」

「だから、お前は狙われる」

「分かってます」


ベルは頷いた。

分かっている。

分かっていても、止められない。

見た以上、嗅いだ以上、分かったことを言わずにはいられない。

それが面倒の種だとしても、今さら変えられなかった。


ベルが廊下の角を曲がろうとした時、背後からジークムントの声が聞こえた気がした。

幻聴ではない。

彼の声は、まだ耳の奥に残っている。


——好きにしろ。


好きにする。

あの言い方は、引いたようでいて引いていない。

受け入れたようでいて、受け入れた借りを忘れない声だ。


その言葉を、ジークムントはいつか別の形で返してくる。

恩か、刃か、それはまだ分からない。

分からないまま、ベルは冷えた廊下を歩き出した。

ブックマーク、★★★★★、リアクション

よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ