表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
七人の訳あり王子と、八番目の薬草姫  作者: 木風


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/22

第十八話 第四王子の秘密②

レオンハルトの視線がベルへ移る。

一瞬だけ、目の奥が柔らかい。すぐ消える。今は仕事の目だ。

だが、その一瞬で、ベルが前へ出たことをちゃんと見ていたのだと分かる。


「ベル。原因は?」

「油に揮発性のものが混ぜられてます。厨房の酒や酢じゃない匂い。火の足を速くするものです」

「誰が触れられる」

「厨房の者だけではないです。夜の見回り、倉庫、運搬係——」


言いかけて、ベルは止めた。

ここで言い切ると、また冤罪が生まれる。

今必要なのは、犯人探しの勢いじゃない。現場の封鎖と証拠の確保だ。


レオンハルトは、その止まり方の意味まで理解したように即座に命じる。


「厨房を封鎖。出入り記録を押さえる。油と燃料の搬入も止めろ。今日の厨房作業は最小限に。現場に触れた者の名も全部控えろ」

「かしこまりました」


執事長の声が、どこかから聞こえた。

ベルは反射的に視線を動かす。

執事長は人垣の端に立っていた。主張はしない。だが、必要な時に必ずそこにいる。

火の中へ飛び込む人ではない。けれど、火事のあとに盤面を整えるのは、きっとこういう人だ。


ベルはもう一度、床の匂いを吸った。

油。焦げ。揮発。

そしてその全部の下に、誰かの意図がある。


今夜の王宮は、まだ終わっていない。

火は消えかけているのに、別の何かが静かに広がっている。


ルーペルトが低く言う。


「火事未遂で、何がしたい」

「秘喪の王宮を揺らすためだ。混乱が起きれば合議が割れる。割れれば、誰かが得をする」


レオンハルトは淡々と言った。

その声に余計な感情はない。だが、だからこそ重い。

ルーペルトの拳が、ぎり、と握りしめられる。


「鎮火を遅らせた者を、周りはどう見ると思う」

「……俺が得をすると思われる」

「今の状況を見るとそうなるな」

「ふざけるな」

「だからこそ、お前は自分で自分を証明しろ」


レオンハルトはルーペルトをまっすぐ見据えた。


「お前は『暴れない』。暴れた瞬間、お前が犯人になる」

「っ……」


ルーペルトの喉が鳴った。

怒りがある。悔しさもある。

でも今、彼の目には理解もあった。

分かっているのだ。さっき少年に向けかけた拳を、誰かに見られていたら、それだけでどれだけ都合よく使われるかを。


「……じゃあ、どうすればいい」

「怒りを俺に預けろ」


レオンハルトの声は低い。

兄の声だった。

命令より先に、引き受ける声だ。


「お前は剣を抜くな。代わりに、現場を守れ。人を守れ。怒りは、必要な方向へ向ける」

「必要な方向って、どこだ」

「証拠と、犯人だ。思いつきで殴る相手じゃない」


ルーペルトは一瞬、言葉を失った。

そこで初めて、自分がいま何をしかけていたのか、はっきり見えたような顔になる。

そして、短く頷いた。


「……分かった」

「今だけじゃない」

「分かったって言ってるだろ」


吐き捨てるように言いながらも、ルーペルトは一歩引いた。

それだけで、さっきよりずっとましだった。

火より先に人へ向かっていた目が、ようやく現場へ戻ってくる。


ベルは息を吐いた。

火は消えた。だが、火種は残った。

床に撒かれた油も、厨房に残る焦げ臭さも、そして兄弟の中へ投げ込まれた疑いも、まだ何も片づいていない。


レオンハルトがベルへ視線を向ける。


「ベル。お前は部屋へ戻れ」

「え」

「今夜は動くな。火事の次は、人が動く。お前が動けば、また狙われる」

「でも、現場は——」

「執事長が押さえる。お前はもう十分働いた」

「十分かは、私が決めます」

「今は俺が決める」


短い応酬だった。

ベルは言い返しかけて、やめた。

コンスタンティンの偽封蝋。

今夜の火事。

どちらも『揺らす』ための手口だ。

なら次に狙われるのは、匂いを嗅ぎ分け、違和感を言葉にできる自分かもしれない。


「……はい」


ベルが頷くと、ルーペルトがベルを見た。

苛立ちではない。少しだけ、感謝に似た顔。


「さっきは……」


言いかけて、言葉を探している。

謝るのも礼を言うのも、たぶん得意じゃないのだろう。

ベルは淡々と言った。


「拳を向ける相手を、間違えないでください」

「……分かってる」

「なら次は、最初から止まってください」

「お前、いちいち刺すな」

「刺さるうちは大丈夫です」


ルーペルトが短く返し、視線を逸らした。

照れの逃げ方だ。乱暴だけど、子どもみたいだ。

さっきまでの剥き出しの怒りとは、もう少し違う。


ベルが厨房を出ようとした瞬間、遠くの廊下で甲高い音がした。

何かが落ちた音。

次いで、かすれた叫び声。


「——殿下!どうしたんですか、殿下!」


ベルの足が止まる。

レオンハルトも止まる。

ルーペルトが眉をひそめた。


「今度は何だ」


廊下の空気が、変わった。

厨房の煙と灰の匂いがまだ残っているのに、その匂いが急に遠のく。代わりに、冷たい汗の匂いが近づいてくる。

走ってきた侍女は顔が真っ青で、息が上がっていた。喉が張りつき、言葉だけが先に飛び出しているみたいだった。


「ジークムント殿下が……急に、耳が……!片方だけ聞こえないと……!」

「耳鳴りもすると……耳の奥が詰まったようだと……!」


レオンハルトの目が細くなる。


「……突発性、か」


ベルは胸の奥で小さく息を呑み、呟く。

火も毒も、分かりやすい敵だ。

目に見えるし、匂いもある。触れれば何かが分かる。

でも身体の限界は違う。敵に見えない分、ずっとやっかいだ。

しかも本人が平気な顔をしてしまうなら、なおさら。


「殿下」


ベルが言うより早く、レオンハルトが動いた。

廊下を走る。走ってはいけない王宮で、ためらいなく走る速度。

ベルも追った。革鞄が肩に当たり、紐がきしむ。

厨房の熱気がまだ背に残っているのに、走る先は別の種類の緊張で冷えていく。


「どこだ」

「西棟の——会議室の隣の小応接室です!皆様の目を避けるようにと……!」

「ベル。お前もついてこい。恐らく、お前の手が必要だ」


侍女が言う。

目を避ける。

つまりジークムントは、弱みを見せたくない。

いや、見せてはいけないと思っている。


ベルは嫌な予感を抱えたまま足を速めた。

曲がり角を越えた先、応接室の前に衛兵が二人立っている。いつもの衛兵ではない。レオンハルトが配置を変えた側の人間だ。

廊下の灯りは落とされ、喪布の影が床に濃く伸びていた。その暗さが、かえって部屋の中の異変を際立たせる。


「開けろ」

「殿下——」


衛兵が躊躇うより早く、レオンハルトが扉に手をかけた。

重い扉が開く。


中は薄暗かった。喪布のせいで昼でも夕暮れの色だ。

ソファに座るジークムントがいた。背筋は伸びている。顔色も、表面だけなら悪くない。

だが、右手が膝の上でぎゅっと握られている。顎の線が固い。肩もわずかに上がっていた。

痛みか、不快感か、それとも焦りか。いずれにせよ、楽な状態ではない。


隣には宮廷医師が一人。

手慣れた様子で水差しを整え、薬瓶を机に並べている。

けれど、その整え方が妙にきれいすぎて、まだ何もできていないことが逆にはっきり分かった。

ジークムントはレオンハルトを見て、視線だけで迎えた。


「兄上」


声は平静。

平静すぎる。

こういう時に平静を作る人ほど、限界が見えにくい。


「何でもない。少し耳が詰まっただけだ」


ベルはその言葉で確信した。

『少し』と口にする時点で、少しじゃない。

本当に少しなら、わざわざそう言い添えない。


「ジークムント」


レオンハルトが低く言う。


「今は合議より先に身体だ」

「合議は今しかない」


ジークムントの声は冷たい。

冷たいが、焦っている。

冷たさで焦りを隠している声だった。


「一か月しかない。火事未遂も起きた。今、こちらが止まれば——」


言いかけて、ジークムントが眉をひそめた。

片耳を押さえる仕草。ほんの一瞬。すぐに手を下ろす。

その短さが、痛みと不快感の強さを物語っていた。

見せたくないからこそ、動きが短い。


ベルが一歩前へ出た。


「殿下。どちらの耳ですか」

「……」


ジークムントはベルを見た。

冷たい目。拒絶の目。

『近づくな』という目だった。

けれどその奥に、うっすらと苛立ちより別のものも見える。

怖さだ。聞こえなくなることへの、生理的な怖さ。


ベルは怯まなかった。


「聞こえないのは右?左?」

「……左だ」


吐き捨てるような答え。

ベルは頷いた。


「いつから」

「さっきからだ」

「さっき、っていつ」

「……厨房が騒がしくなった頃だ。あの鐘と怒声が重なった時から」


ベルはメモを取るふりで頭の中に刻む。

発症のタイミング。誘因。音刺激。ストレス。

火事の騒ぎと重なっているのが厄介だった。

偶然で片づけてはいけないし、かといって全部を繋げて断定してもいけない。


「耳鳴りは」

「ある」

「どんな音ですか。高い?低い?」

「……高い。ずっと鳴ってる」

「めまいは」

「ない」

「吐き気は」

「少し」

「顔の痺れは」

「ない」

「頭痛は」

「……少しだけ」


ジークムントは答えながら、目を逸らした。

答えてしまっていること自体が、屈辱なのだろう。

彼は『弱みを言語化する』のが嫌いだ。

でも、嫌でも答えなければならない段階だと、本人も分かっている。

ブックマーク、★★★★★、リアクション

よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ