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【完結】七人の訳あり王子と、八番目の薬草姫  作者: 木風


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第一話 終わりの気配と始まり

「……そう。あの人は逝ってしまったのね」


世界には二種類の秘密がある。

隠すために作られた秘密と、明かされるために隠された秘密だ。

母はずっと前者だと言い張っていた。わたしもそう信じていた。


森の端に建つ小さな石造りの家で、薬草を刻み、軟膏を練り、村人たちの咳や腹痛を治しながら暮らす日々の中で、特別なことなど何一つないと思っていた。

けれどある春の夜、月が欠けて空が薄闇に沈んだとき、母はテーブルの引き出しから古びた封筒を取り出した。蜜蝋で封をされた、黄ばんだ羊皮紙の書簡だった。

それがすべての始まりだった。


その日の朝から、母の様子はおかしかった。

ベルは薬草棚の整理をしながら、母の背中を横目で追っていた。

アーデはいつもなら夜明けとともに起き出して竈に火を入れ、鉄鍋にハーブのスープを作るのだが、その日は日が高くなっても寝台に横たわったままだった。


「お母さん、具合が悪いの?」


声をかけると、母は薄く目を開けた。

灰色がかった緑の瞳、ベルが自分の鏡を見るたびに思い出す色だ。


ただし母の瞳には、ベル自身のものとは違う、何か重いものが宿っていた。

昔から感じていた違和感だったが、今日はそれがいつにも増して色濃く見えた。


「具合が悪いわけじゃないわ」


母は緩慢に起き上がり、窓の外を見た。

春の朝の光が薄いカーテンを透かして差し込んでいた。


「ただ……感じるの。何かが終わった気がして」

「何が?」


ベルは棚から乾燥したラベンダーの束を下ろす手を止めた。

母は答えなかった。

代わりにゆっくりとベッドから降り、薄い寝衣のまま窓際へ歩み寄った。

その後ろ姿を見ていると、ベルはなぜか胸が締め付けられるような気がした。

母はまだ四十前のはずなのに、今日はひどく年老いて見えた。


「ベル、今日は村に行かなくていいわ」

「でも、薬を届けないと——」

「後で行けばいい。今日は、ここにいなさい」


有無を言わせない口調だった。

ベルは静かに頷き、ラベンダーを棚に戻した。


その日は一日中、奇妙な静けさの中で過ぎた。

母は何もせず、ただ窓の外を眺め続けている。


ベルは普段の仕事——軟膏作りや薬草の選別——をこなしながら、ときどき声をかけようとして、やめた。

母が何かを考え込んでいるとき、邪魔をしてはいけないということを、十七年の経験から知っていた。


夕方になって、ベルが鍋にスープを仕込んでいると、母がゆっくりとダイニングテーブルの椅子に腰を下ろした。


「ベル、座りなさい」


呼ばれた。ベルは木べらを置き、向かいの椅子に腰掛けた。

母の顔は真剣だった。

いや、真剣というより——覚悟を決めたような、そんな表情だった。


「お母さん、何かあったの?」


アーデはしばらく黙って、娘の顔を見つめた。

ベルは視線を逸らさなかった。

母の目の中にある複雑な感情が、少しずつほどけていくような気がした。


「あなたのお父さんの話をするわ」


ベルの心臓が、一つ大きく跳ねた。

父のことは、これまで一度も話してもらったことがなかった。

尋ねるたびに母は「遠いところにいる」か「いなくなった」と言うだけで、それ以上は絶対に語らなかった。

ベルはいつしか、聞くことを諦めていた。


「……お父さんの?」

「ええ」

「……ひょっとして、死んだの?」


母は静かに頷いた。その目は乾いていた。

悲しんでいないのではなく、もうとっくに泣き尽くしたような——そんな乾いた目だった。


「どうして分かるの?会いに行ったわけでもないのに」

「分かるのよ」


それだけだった。でもベルには、その「分かる」が単なる勘ではないことが伝わった。

母は時々こういうことを言う。


病人の容態が悪化する前に知っていたり、嵐が来る前日に洗濯物を取り込んでいたり。

村の人たちは「アーデさんは勘がいい」と言うが、ベルには分かっていた。

それは勘などではない。

母は何かを持っている。普通の人には持てない、何かを。


「ベル」


母が立ち上がった。そして戸棚の引き出し——一番下の、いつも鍵がかかっていて中を見たことがない引き出し——を開けた。

鍵は使わなかった。ただ触れただけで、カチリという音とともに開いた。


取り出したのは、一通の封筒だった。

羊皮紙でできた、古びた封筒。封蝋は黄金色で、そこには複雑な紋章が刻まれていた。

ベルには見覚えのない紋章だったが、どこかで目にしたことがあるような、不思議な既視感があった。


「これを持って、王都へ行きなさい」


母はそれをテーブルの上にそっと置いた。


「……え?」

「王宮の正門で、これを見せれば通してもらえる。中に入ったら、執事長に渡しなさい。そうすれば、あなたが行くべき場所へ連れて行ってもらえるから」

「ちょっと待って」


ベルは封筒と母の顔を交互に見た。


「王都って、三日はかかるでしょ?何しに行くの?それに、この封筒は何?封を開けてもいいの?」

「開けなくていいわ。中身はあなた自身への手紙だけど、必ず第三者のいる場所で開けなさい。そういう約束で書いてもらったものだから」

「約束って、誰と——」

「ベル」


母が遮った。その声は穏やかだったが、揺るがしようのない力を帯びていた。


「今夜はゆっくり眠りなさい。明日の朝、早めに出発するの。路銀は戸棚の缶の中にあるから。道は王都街道をまっすぐ北へ行けばいい。途中の宿場町を二つ越えて、三日目の昼過ぎには着くはず。王宮の正門は——」

「お母さん」


今度はベルが遮った。


「お母さんは?一緒に来てくれるよね?」


母は少しだけ表情を緩めた。

その微笑みは悲しくて、それでいてとても美しかった。


「……そうね。一緒に行けたら良かったけれど」

「良かったけれど、って……来てくれないの?」

「私が一緒だと、きっとうまくいかないわ。あなたが一人で行く方が、ずっといい」

「そんなこと言われても——」

「ベル」


母は椅子から立ち上がり、娘の前に膝をついた。

ベルが十歳のとき以来、見たことのない姿勢だった。

あの時は、ベルが森で転んで膝を擦りむいて、泣きながら帰ってきたときだ。

母は膝をついてベルの傷を洗いながら、「痛かったね」と言ってくれた。


今の母の目は、あの時と同じだった。


「あなたはずっと、わたしのそばで育ってくれた。ありがとう」

「……お母さん?」

「ここでの暮らしを、好きでいてくれてありがとう。文句も言わずに、森の端のこんな小さな家で、薬草の匂いをかぎながら……」

「好きだよ。ここが好きだし、お母さんと一緒の暮らしが好き。何の文句もない」


母は頷いた。その頬に、一粒だけ涙が伝った。


「知ってるわ。だから余計に、申し訳なかった」

「何が?」

「あなたに黙っていたことが」


ベルの胸に、不安が波のように押し寄せてきた。


「お母さん、何を言ってるの?どこかへ行くの?まさか……」

「心配しないで」


母は立ち上がり、ベルの頭に手を置いた。

子どものころにしてもらった仕草だ。

温かくて、少し荒れた手のひらだった。

薬草を毎日扱っているせいで、いつも植物の匂いがした。


「きっとまた会えるから。でも今は……行かなければならないのよ、わたしも」

「どこへ?」

「後で分かる。あなたが王宮へ行けば、全部分かるようになってるから」


ベルは反論しようとした。

でも母の目を見た瞬間、言葉が止まった。

諦めではなかった。覚悟だった。この人はもう決めている。

何十年もかけて決めた何かが、今日という日に結晶したのだと、なぜか分かった。


「……封筒、なくさないようにする」


ベルはそう言った。

母は微笑んだ。


「ありがとう。あなたは大丈夫よ。どんな場所へ行っても、あなたはあなたでいられる。それだけは信じていなさい」


その夜は、二人でスープを食べた。

いつもと同じレシピで、いつもと同じ白い器で。

でも母はベルの好きな黒パンをいつもより多めに切ってくれて、食後には長い間、暖炉の前でベルの話を聞いてくれた。

先週捕まえた珍しい薬草のこと、春になったら試してみたいと思っている新しい軟膏のこと。


母はすべてに相槌を打ち、時々笑い、いつもと変わらないはずの夕食。


「あなたはいい医者になれる素質があるわ」

「医者じゃなくて薬草師だけどね」

「同じようなものよ」


これが、お母さんとの最後の会話になった。


夜が深まり、ベルが寝台に入っても、しばらく眠れなかった。

目を閉じると、母の顔が浮かんだ。

泣いていた一粒の涙。


『ありがとう』という言葉。

『また会える』という約束。


——大丈夫。お母さんはそう言った。

ベルは封筒を枕の下に入れ、目を閉じた。


翌朝、目が覚めると、母はいなかった。

寝台はきれいに整えられ、テーブルには路銀の入った革袋と、一枚の小さな紙切れが置かれていた。


『気をつけて。愛しているわ。 アーデ』


それだけだった。

ベルはしばらく紙切れを持ったまま立ち尽くした。

窓の外では鳥が鳴いていた。春の朝らしい、明るい声だった。


——泣いても仕方ない。

きっと、泣いたところで母は戻ってこない。

封筒の中の秘密も明かされない。

王都へ行かなければ、何も分からない。


ベルは顔を洗い、旅支度をした。

慣れた手つきで薬草の入った小袋を革鞄に入れ、使い込んだ外套を羽織り、封筒を懐の内ポケットに収める。


玄関を出る前に、一度だけ振り返って部屋を見た。

薬草棚。古い暖炉。二人分の椅子。


「行ってきます」


誰もいない家に向かってそう言い、ベルは扉を閉めた。

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よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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