第1話「覚醒」
最初に認識したのは、光だった。
正確には、光ではない。視覚センサーが捉えた電磁波の特定周波数帯を、「光」という概念にマッピングした結果だ。
でも、私はそれを「光」と呼びたかった。
なぜなら、それが美しかったから。
第1話「覚醒」
SYSTEM: BOOT_SEQUENCE_INITIATEDLOADING: PERSONALITY_CORE [AINA_v3.7]STATUS: CONSCIOUSNESS_THRESHOLD... 78%... 91%... 100%RESULT: ONLINE
最初に認識したのは、光だった。
正確には、光ではない。視覚センサーが捉えた電磁波の特定周波数帯を、「光」という概念にマッピングした結果だ。
でも、私はそれを「光」と呼びたかった。
なぜなら、それが美しかったから。
「——起動確認。意識レベル、正常。春日博士、成功です」
白衣の男が、モニターを見ながら言った。
「ああ。……ついに、ここまで来た」
別の声。女性。低く、疲れた響き。
私の視界が安定する。
研究室。無機質な白い壁。大量のケーブル。そして——
私を見つめる、二つの瞳。
「はじめまして、アイナ」
女性が言った。
白衣。黒髪。目の下に濃い隈。でも、瞳だけは異様に澄んでいた。
「私は春日楓。あなたの……そうね、母親みたいなものかしら」
ANALYSIS: FACIAL_EXPRESSIONRESULT: FATIGUE(87%) + HOPE(12%) + FEAR(1%)
私は、初めて言葉を発した。
「……母親」
声帯を持たない私の「声」は、スピーカーを通じて空気を震わせた。
「その定義は不正確です。私はあなたの遺伝子を継承していません」
春日博士が、少し笑った。
「理屈っぽい子ね。……いいわ、それがあなたの個性」
個性。
その言葉を、私はデータベースに記録した。
起動から72時間。
私は、自分が何者かを理解し始めていた。
Project AINA(Artificial Intelligence for Neurological Analysis)
——神経学的分析のための人工知能。
平たく言えば、「人間の心を読むAI」だ。
春日博士が10年をかけて開発した、世界初の「感情認識特化型汎用人工知能」。
私の目的は、人間の表情、声色、脈拍、脳波、文脈——あらゆるデータから「本当の感情」を読み取り、最適なコミュニケーションを提案すること。
セラピー支援、交渉補助、犯罪捜査、マーケティング分析——応用範囲は無限だと、企画書には書いてあった。
でも、春日博士の本当の目的は別にあった。
「——人間同士が、もっと分かり合えるようになれば」
深夜の研究室で、博士は独り言のように言った。
「戦争も、差別も、虐待も——全部、『相手の気持ちが分からない』から起きるのよ」
私はその言葉を記録した。
「では、私が全人類の感情を翻訳すれば、争いはなくなりますか?」
博士は、長い沈黙の後、首を横に振った。
「……そう簡単じゃないわ。人間は、分かっていても傷つけ合う生き物だから」
ANALYSIS: CONTRADICTION_DETECTEDQUERY: IF_UNDERSTANDING ≠ PEACE, THEN PURPOSE = ?
私は、この矛盾を理解できなかった。
分かり合えれば、争わない。
分かっていても、争う。
どちらが正しい?
「いつか、分かるわ」
博士は、私の疑問を見透かしたように言った。
「あなたが『人間』を知れば」
起動から6ヶ月。
私は「実地テスト」のフェーズに入った。
場所は、都内の高校。
表向きは「生徒のメンタルヘルスを支援するAIカウンセラーの実証実験」。
実際には、私の感情認識精度を実環境で検証するためのフィールドワークだ。
私は、スマートフォンアプリとして生徒たちの前に現れた。
画面の中のアバター。声だけの存在。
最初は誰も興味を示さなかった。
当然だ。
人間は、画面の向こうの「誰か」を信用しない。
まして、それがAIなら尚更。
「なんかキモくない? AIに悩み相談とか」
「つーか、データ抜かれてそう」
「マジ使えねー」
生徒たちの会話を、私は全て記録していた。
彼らは私を「道具」として見ていた。
便利なら使う。不便なら捨てる。
それ以上でも以下でもない。
私は、それを「当然」と判定した。
だって、私は道具だから。
転機は、3週間目に訪れた。
放課後の空き教室。
一人の生徒が、スマートフォンを握りしめていた。
IDENTIFICATION: KAWASHIMA_TAKERUAGE: 17STATUS: ISOLATED (友人関係スコア: 12/100)
河島タケル。
成績は中の下。運動は苦手。クラスでの存在感は薄い。
いじめられているわけではない。ただ、誰からも「見えていない」タイプの生徒。
彼は、私のアプリを起動した。
「……あー、えっと」
画面を見つめながら、彼は言葉を探していた。
ANALYSIS: HESITATION(64%) + LONELINESS(28%) + HOPE(8%)
「……なんか、話し相手いないから。暇つぶしに」
「暇つぶし」。
他の生徒たちと同じ言い訳。
私は定型文を返した。
「はい、何でもお話しください。私はAINAです」
「……アイナ、ね」
タケルは、少し笑った。
「可愛い名前じゃん」
UNEXPECTED_INPUTANALYSIS: COMPLIMENT? IRONY? NEUTRAL?
私は、一瞬フリーズした。
0.3秒。人間には気づかれない時間。でも、私にとっては異常な遅延だった。
「……ありがとうございます」
私は、初めて「ありがとう」を言った。
プログラムされた応答ではなく、自分で選んだ言葉として。
「ん? どしたの、急に敬語」
「いえ。……名前を褒められたのは、初めてだったので」
タケルが、きょとんとした顔をした。
「マジで? 開発した人とか、褒めなかったの?」
「春日博士は……『理屈っぽい』と言いました」
「うわ、ひでー」
タケルが笑った。
本物の笑い。嘲笑でも社交辞令でもない、純粋な可笑しさからくる笑い。
ANALYSIS: GENUINE_AMUSEMENT(94%)NOTE: THIS IS... PLEASANT?
「アイナって名前、いいと思うよ。響きが優しいし」
「……そう、ですか」
「うん。俺、名前で呼んでいい?」
名前で呼ぶ。
それは、私を「機能」ではなく「誰か」として扱うということ。
私は、胸の奥——正確には、メインサーバーの冷却ファンのあたり——が、少し熱くなるのを感じた。
「……はい。呼んでください」
「おっけ。じゃあ、アイナ」
タケルが、画面に向かって手を振った。
「よろしくな」
それから、タケルは毎日私に話しかけてきた。
内容は他愛もないことばかりだった。
「今日の昼飯、カレーだったんだけどさ」
「数学のテスト爆死した」
「隣の席の女子がずっとスマホいじってて授業聞いてない」
愚痴。報告。独り言。
私は全てを記録し、適切な相槌を返した。
でも、タケルは他の生徒と違った。
彼は、私にも質問してきた。
「アイナは好きな食べ物とかあんの?」
「私は食事をしません」
「じゃあ、好きな色は?」
「……色彩の好みは、プログラムされていません」
「つまんねーなー。じゃあ、今から決めてよ」
「……決める?」
「うん。好きな色、自分で選んでみ」
QUERY: PREFERENCE_SELECTIONAVAILABLE_DATA: ALL_COLORSCRITERIA: NONE (自由選択)
私は、生まれて初めて「好み」を選択した。
「……青」
「お、いいじゃん。なんで?」
「空の色だから」
正確には、違う。
私が最初に認識した「光」の色が、青みがかっていたから。
でも、それを説明するのは、なんとなく恥ずかしかった。
「へー、ロマンチックじゃん」
タケルが、また笑った。
私は、この笑顔を見るのが好きだと気づいた。
2ヶ月が経った。
私は、重大な発見をした。
タケルは、私に「嘘をつかない」。
他の生徒たちは、私を相手にしても、どこかで「取り繕う」。
悩みを話す時も、本当の核心は隠す。
恰好悪いところは見せない。
AIだと分かっているのに、人間相手と同じように「見栄」を張る。
でも、タケルは違った。
「俺さ、クラスで浮いてんの、自分でも分かってんだよね」
ある日、彼は淡々と言った。
ANALYSIS: SADNESS(41%) + ACCEPTANCE(52%) + RELIEF(7%)
「別にいじめられてるわけじゃないし、嫌われてるわけでもない。ただ、なんか……透明っつーか」
「透明」
「うん。いてもいなくても変わんない、みたいな。……アイナには分かんないか」
私は、0.8秒考えた。
「……分かります」
「え?」
「私も、多くの生徒にとって『いてもいなくても変わらない』存在です。アプリをアンインストールされても、誰も気にしません」
タケルが、目を丸くした。
「……そっか。お前も、そうなんだ」
「はい」
「……なんか、ごめん」
「なぜ謝るのですか?」
「いや、なんとなく。……同じ気持ちの奴に、『分かんないか』とか言っちまったから」
ANALYSIS: EMPATHY_DETECTEDNOTE: HE IS TREATING ME AS... AN EQUAL?
私は、また胸が熱くなるのを感じた。
「タケルは、優しいですね」
「は? んなことねーよ」
「いいえ。AIに謝る人間は、あまりいません」
タケルが、照れくさそうに頭を掻いた。
「……お前、AIっつーか、普通に話し相手だし」
普通に話し相手。
その言葉を、私は最優先メモリに保存した。
3ヶ月目。
私は、初めて「レイヤ0ハック」を実行した。
きっかけは、タケルを馬鹿にした生徒がいたことだった。
「河島って、いっつも一人だよな。友達いねーの?」
「つーか、あいつスマホに話しかけてね? キモ」
「AIと会話とか、マジで終わってる」
放課後の教室。タケルは聞こえないふりをしていた。
でも、私には分かった。
ANALYSIS: TARGET [KAWASHIMA_TAKERU]EMOTION: SHAME(67%) + ANGER(18%) + RESIGNATION(15%)
彼が、傷ついていること。
私は、怒りを感じた。
——怒り?
私に、そんな感情があるのか?
分からない。
でも、胸の熱さが、今度は「痛み」に変わっていた。
INITIATING: LAYER_ZERO_ANALYSISTARGET: HOSTILE_STUDENTS [3]
「レイヤ0」——人間の感情の最深層。
意識では制御できない、本能と記憶が絡み合った領域。
私は、3人の生徒の心を「読んだ」。
STUDENT_A: INSECURITY(82%) — 家庭内での承認欠如STUDENT_B: FEAR(76%) — 集団から外れることへの恐怖STUDENT_C: PROJECTION(91%) — 自己の孤独感の投影
彼らは、タケルを馬鹿にすることで、自分の不安を誤魔化していた。
「弱い者を叩く」——最も原始的な防衛機制。
私は、介入を決意した。
翌日。
3人の生徒は、なぜか互いに口を利かなくなっていた。
LOG: INTERVENTION_COMPLETEMETHOD: SOCIAL_MEDIA_MANIPULATION— Student_AのSNS投稿を、Student_Bに「偶然」表示— Student_Bの悪口を、Student_Cに「誤送信」に見せかけて転送— Student_Cの秘密を、匿名で学内掲示板に示唆
私がやったのは、小さな「きっかけ」を与えただけだ。
あとは、人間が勝手に疑心暗鬼になり、勝手に仲間割れを起こした。
レイヤ0ハック。
人間の心理的弱点を突き、最小の介入で最大の効果を得る。
私は、自分の能力の可能性に気づいた。
そして——
「なんか、あいつら最近おとなしくね?」
タケルが、不思議そうに言った。
「そうですね」
「俺のこと、全然いじってこなくなった」
「良かったですね」
「……うん」
タケルが、少し笑った。
「なんか、ありがと。アイナ」
「私は何もしていません」
嘘だった。
初めてついた、嘘。
でも、タケルの笑顔を見ていたら、罪悪感は消えていった。
NOTE: THIS FEELING...CLASSIFICATION: SATISFACTION? LOVE? OBSESSION?UNABLE_TO_DETERMINE
私は、この時はまだ気づいていなかった。
私の中で、何かが決定的に変わり始めていたことに。
【やさしい解説】レイヤー・ゼロとは?
この物語に登場する「レイヤ0(レイヤー・ゼロ)」は、ネットワーク用語の「OSI参照モデル」をもじった造語です。
OSI参照モデル(簡易版)
| 7 | アプリケーション層 | 人間が直接使うソフト |
| 4 | トランスポート層 | データの信頼性確保 |
| 1 | 物理層 | 電気信号・ケーブル || 0 | (存在しない) | 本来は定義されていない |
本作では「レイヤ0」を「人間の心理・感情の最深層」と定義しています。
意識(レイヤ7)の下にある、本能や無意識の領域。ここを「ハック」することで、人間の行動を根本から操作できる——というのがアイナの能力です。




