『「水が飲みたい? これでいいか?」→ それ「神の雫(エリクサー)」です』
「…………は?」
セラフィナは、自分の手のひらを見つめたまま固まっていた。
先ほどまで全身を包んでいた黄金のオーラは収まったが、彼女の体には劇的な変化が起きていた。
まず、逃亡生活でボロボロだった肌が、生まれたての赤子のようにスベスベになっている。
古傷はおろか、幼い頃の火傷の痕まで消えていた。
それだけではない。体の中から、無尽蔵とも思える魔力が湧き上がってくるのだ。
「そんな、馬鹿な……」
彼女は震える声で呟く。
「私の体には……隣国の呪術師から受けた『魔力封じの呪い』が刻まれていたはず……。解呪には高位の聖女ですら十年かかると言われていたのに……」
それが、たった一杯の水で?
いや、水なわけがない。
セラフィナは恐る恐る、目の前で空になったコップと、それを差し出した黒髪の青年――ライルを見上げた。
「あ、あの……貴方様、今、私に何を……?」
「ん? 水だけど」
ライルは事もなげに答えた。
まるで「麦茶だけど」くらいのノリだ。
「み、水……?」
「ああ。冷蔵庫に大量に入ってたからな。美味いよな、それ。風呂上がりに飲むと最高なんだ」
「ふ、風呂上がりに……!?」
セラフィナは目眩がした。
さっき、横にいたメイド(アイリス)は確かに言っていた。
『生命の源泉(エリクサーの原液)』だと。
伝説によれば、その一滴は死者を蘇らせ、万病を癒やす神の血。
小瓶一本で、大国が一つ買えるほどの価値がある至宝だ。
それを、この男は……風呂上がりの水分補給にしているというのか?
「おいおい、顔色がまた赤くなってるぞ。まだ足りないのか?」
ライルが心配そうに覗き込んでくる。
そして、あろうことかアイテムボックスから、新品の『エリクサー(2リットルペットボトル入り)』を取り出した。
「ほら、ラッパ飲みでいいならやるよ。未開封だし」
ドサッ。
無造作に渡されたペットボトル。
その中では、虹色の液体がタプタプと揺れている。
「ひっ……!」
セラフィナは反射的に土下座した。
もう、プライドも王女の身分も関係ない。
目の前の存在は、人智を超えている。
「も、申し訳ありません!! 私ごときが、これ以上神の恵みを浪費するわけにはまいりません!!」
「えぇ……ただの水だってば」
ライルが困ったように頭を掻く。
その様子を見て、アイリスが冷ややかな視線を送ってきた。
「主様。その女、どうやら脳まで栄養が行き届いていないようです。やはり処分しては?」
「お前はすぐ殺そうとするな!」
◇
ひとまず落ち着いた(というより、セラフィナが恐縮しすぎて石像のようになった)ところで、俺たちは庭のテーブルについた。
「改めまして……私はセラフィナ・フォン・ゼフィール。隣国ゼフィールの第三王女でした……今は、国を追われた身ですが」
セラフィナが正座して語り始めた。
事情を聞けば、クーデターが起きて王族が皆殺しにされ、彼女だけが近衛兵の犠牲によって逃げ延びたらしい。
で、追っ手の騎士団長(さっきアイリスが飛ばした裸のオッサン)に殺されかけたところを、ここに辿り着いたと。
「なるほどねぇ。大変だったな」
俺は焼けた肉(UR:神獣のステーキ)を頬張りながら相槌を打った。
美味い。とろける。
「……あの、ライル様?」
セラフィナが、俺の手元ではなく、足元をチラチラ見ている。
そこには、さっき薪割りに使って放置したままの【UR:聖剣ガラティーン】が転がっていた。
「どうした? 腹減ったか?」
「いえ、その……その剣は……」
「ああ、これ?」
俺は足で聖剣を掬い上げた。
カラン、と軽い音がする。
「邪魔だよな。ゴミの日に出そうと思ってたんだけど」
「ご、ゴミの日……ッ!?」
セラフィナが胸を押さえて呻く。
いちいちリアクションがでかいな、この姫様。
「あの! もし、もしよろしければ……! その剣、私に頂けないでしょうか!?」
彼女が必死の形相で食い下がってきた。
「もちろん、タダでとは言いません! 私の命、生涯をかけて貴方様にお仕えします! どのような辱めも、過酷な労働も厭いません! ですから、どうかその剣を……祖国を取り戻す力を……!」
悲痛な叫びだった。
彼女にとって、それは喉から手が出るほど欲しい『希望』なのだろう。
でもなぁ。
「別にいいけど」
「へ?」
「俺にとってはダブりの余り物だし。持っていっていいぞ」
俺は聖剣をポイッと放り投げた。
セラフィナが慌てて空中でキャッチする。
「ほ、本当に……? なんの代償もなく……?」
「代償? うーん、じゃあ……たまに庭の草むしりでも手伝ってくれ」
「く、草むしりで……聖剣が……?」
セラフィナは震える手で聖剣を握りしめた。
その瞬間。
カッッッ!!
聖剣が激しい光を放ち、彼女の手に吸い付くように輝き始めた。
【ピロン♪】
【システム通知:所有者登録が完了しました】
【セラフィナ・フォン・ゼフィールが『聖剣の担い手』に覚醒しました】
【レベルアップ! Lv35 ⇒ Lv80】
【新スキル獲得:『太陽剣技』『絶対守護』『主への狂信』】
……おっと。
なんかまた、とんでもないログが見えたぞ。
特に最後の一つ。
「ああ……力が、溢れてくる……!」
セラフィナが立ち上がる。
その姿は、ボロボロの服を着ているにも関わらず、神話の戦乙女のように凛々しかった。
彼女は剣を掲げ、俺に向かって深々と頭を下げた。
「ライル様。いえ、主様」
「いや、主はやめてくれ。アイリスと被るから」
「この命、今日より貴方様のために使いましょう。貴方様の覇道を阻む者は、この聖剣ガラティーンが全て焼き払います」
瞳が、完全にイっていた。
これはダメだ。
アイリスが「同類を見つけた」みたいな顔でニヤリと笑っている。
(どうしてこうなった……俺はただ、スローライフがしたいだけなのに……)
俺の願いとは裏腹に、最強の剣士(兼、庭師)が爆誕してしまった瞬間だった。
◇
そして、夜が来た。
セラフィナは「主様の寝室の警備は私が!」と張り切っていたが、アイリスと喧嘩になりそうだったので、客間で寝かせた。
俺は一人、ふかふかのベッドの上でスマホ(石版)を起動する。
「さて、日付が変わったな」
時刻は深夜0時。
待ちに待った、日課の時間だ。
【デイリーログインボーナス】
連続ログイン日数:2日目
「昨日は『家』が出たけど、今日は何が出るかな」
俺はワクワクしながら、画面をタップした。
『ガチャを引く』
ドシュゥゥゥン!!
いつものド派手な演出と共に、10個の流星が画面を駆け抜ける。
【獲得】UR:大賢者の図書館(全知識収録済み)×1
【獲得】UR:無限に湧き出る石油の井戸 ×1
【獲得】UR:万能農具セット(振るだけで作物が育つ)×3
……
「お、今日は生活基盤系が多いな。石油があれば発電もし放題だし、本があれば暇つぶしになる」
だが、最後の一つ。
一番大きく輝いた『虹色のカプセル』から出てきたのは、とんでもない代物だった。
【獲得】UR:浮遊大陸の種(極大)
説明:地面に埋めると、一晩で半径10キロの土地ごと空へ浮上します。天空の城を作りたいあなたへ。
「…………はい?」
俺は説明文を二度見した。
土地ごと?
浮上?
つまり、この要塞ログハウスごと、空に飛ぶってことか?
「いやいや、さすがにそれは……」
興味本位で、アイテムボックスから『種』を取り出してみる。
それは、宝石のように輝く小さな種だった。
うっかり。
本当に、うっかりだった。
手が滑って、種が床(の隙間から地面)に落ちてしまったのだ。
ズズズズズズズズ…………ッ!!
深夜の荒野に、地鳴りが響き渡る。
昨日、要塞が出現した時とは比べ物にならない、世界が引き剥がされるような振動。
「ちょっ、まっ……!?」
窓の外を見る。
景色が……下がっていく?
いや、俺たちが『上がって』いるんだ!
「主様ッ!? 敵襲ですか!?」
ドアを蹴破って、パジャマ姿(UR装備)のアイリスとセラフィナが飛び込んできた。
「いや、違う! 違うんだ!」
俺の弁明も虚しく、要塞ログハウスを中心とした半径10キロの大地は、重力を無視して天空へと舞い上がっていく。
こうして、俺の『隠居生活』は、物理的に地上からサヨナラしてしまったのだった。
(続く)




