『神様が「大洪水」を起こすらしいので、俺は「豪華客船(ノアの方舟)」でクルージングすることにした』
「け、警報! 世界崩壊警報です!!」
リビングでくつろいでいた俺の耳に、天使(新入りバイト)の悲鳴が飛び込んできた。
彼は顔面蒼白で、震える指で窓の外を指差している。
「く、来るぞ……! 『創造神』による強制リセット……! 通称『大洪水』だ!!」
「大洪水?」
俺はこたつから顔を出した。
「ここ、高度1万メートルだぞ? 水なんか届くわけ……」
言いかけた時だった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ…………ッ!!
空が割れた。
いや、空そのものが『海』に変わったかのような錯覚。
頭上の雲が真っ黒に染まり、そこからバケツを引っくり返したような……いや、滝のような豪雨が降り注ぎ始めたのだ。
「うわっ!?」
窓の外の景色が一変する。
ただの雨じゃない。
紫色の怪しい光を放つその雨は、触れたものをデータのように『消滅』させていく。
俺たちの庭(浮遊大陸)の端が、ジュワジュワと溶け始めているのが見えた。
「ひぃぃぃ! 『虚無の雨』だ! 触れれば存在ごと抹消されるぞ!」
「主様、結界が保ちません! このままではログハウスごと溶解します!」
アイリスが珍しく焦りの声を上げる。
ポチ(天竜王)は怖すぎてテーブルの下に頭を隠している。
「チッ、せっかくの休日なのに……」
俺は舌打ちをした。
神様だか何だか知らないが、嫌がらせにしては度が過ぎている。
「アイリス、難民たちを広場に集めろ! 全員避難だ!」
「避難と言われましても、逃げ場が……!」
「あるよ。……とっておきのがな」
俺はアイテムボックスを開き、昨日のガチャで出た『超特大のカード』を取り出した。
「まさか、ここで使うことになるとはな」
俺は庭の広場(まだ溶けていない部分)に向かって、カードを投げた。
「来い! 【UR:不沈の豪華客船】!!」
ズドォォォォォォォォン!!
水しぶきならぬ、光の粒子が舞い上がる。
出現したのは、俺のログハウスが豆粒に見えるほどの、超巨大な白い船体だった。
全長500メートル。
10階建てのデッキ。
屋上にはプールとウォータースライダー完備。
「……は?」
天使が口をあんぐりと開けた。
「ふ、船……? なぜこんな高所に船が……?」
「説明は後だ! 全員乗れ! あれなら『虚無の雨』だろうが何だろうが弾く!」
【船体効果:絶対耐性(全属性無効)、環境適応、極上の乗り心地】
俺の号令と共に、3000人の難民たちが我先にとタラップを駆け上がった。
◇
数分後。
地上の全てを飲み込み、水位が高度1万メートルまで達した『死の世界』。
その海原を、一隻の白い巨船が優雅に航行していた。
「……信じられん」
船のデッキにて。
天使は、目の前の光景に現実感を失っていた。
世界は滅びかけている。
下を見れば、紫色の海が全てを溶かし、地上の文明は跡形もなく消え去っているだろう。
まさに地獄絵図だ。
だが、この船の上は――
「キャッキャッ! 冷たくて気持ちいー!」
「おーい、ビーチバレーしようぜ!」
「こちらの屋台では、焼きそばが無料ですよー!」
完全なるリゾート地だった。
船上プールでは子供たちがはしゃぎ、デッキチェアでは大人たちがトロピカルジュースを飲んでくつろいでいる。
船全体が強力なバリアに守られているため、雨一滴入ってこない。
それどころか、人工太陽まで設置されており、ポカポカと暖かい。
「な、なんなのだこれは……!? 世界の終わりではないのか……!?」
「まあ、一杯飲んで落ち着けよ」
アロハシャツに着替えた俺が、天使にカクテルグラスを渡す。
「いい船だろ? ジャグジーもあるし、カジノもある。滅亡待ちの時間つぶしには最高だ」
「滅亡待ち……!? 貴殿は、この状況を『バカンス』に変えたというのか……!?」
「神様が水をくれたんだ。楽しまなきゃ損だろ?」
俺はサングラスをずらして、ニカっと笑った。
その時、ポチがプールサイドで腹を出して寝ているのが見えた。
セラフィナは競泳水着(UR)を着て、本気でクロールの練習をしている。
アイリスは……なぜか水着の上にエプロンをして、焼きそばを焼いていた。
「平和だなぁ」
「狂っている……。だが、最高だ……」
天使は震える手でカクテルを飲み干した。
もう、考えるのをやめたらしい。
◇
――神界、管理室。
「…………なぜだ」
創造神(少年)の顔が、怒りで歪んでいた。
モニターに映し出されているのは、悲鳴を上げて死に絶える人間たち……ではなく、ウォータースライダーで「ヒャッハー!」と叫んでいる人間たちだった。
「なぜ沈まない!? あの雨は、データそのものを分解するウイルスプログラムだぞ!? なぜあの船だけ、物理演算を無視して浮いている!?」
彼はキーボードを叩きつけた。
【エラー:対象のオブジェクトは『破壊不能属性(UR)』を持っています】
【削除できません。削除できません。削除できません】
「ふざけるな! 私の世界で、私以上の権限を持つアイテムなど……!」
創造神のプライドは、ズタズタに引き裂かれた。
自分が本気で起こした災害が、ただのアトラクションとして利用されている屈辱。
「許さん……。絶対に許さんぞ、ライル……!」
彼は立ち上がり、管理室の奥にある『封印された扉』へと向かった。
「こうなれば、直接排除するしかない。この世界を維持する『中枢システム』……いや、女神そのものをアバターとして降臨させる!」
彼が手をかざすと、扉が重々しい音を立てて開いた。
中には、青白い光の中で眠る、一人の美しい女性の姿があった。
彼女こそ、この世界の法則そのもの。
『理の女神』。
「起きろ、女神よ。そしてあのふざけた船を、乗客ごと消し去れ」
創造神の命令コードが、女神の脳内に書き込まれていく。
「……御意」
女神が目を開けた。
その瞳には感情がなく、ただ冷徹な『殺意』だけが宿っていた。
◇
――豪華客船、プールサイド。
「ふぅ、いい湯だった」
俺がジャグジーから上がった、その時だった。
【ピロン♪】
【緊急クエスト発生:『女神』の襲来】
【注意:相手はガチャの『運営(運営)』側です】
「……は?」
俺が見上げた空。
そこから、一人の女性がゆっくりと降りてきた。
天使のような翼はない。
だが、その存在感は、天使の比ではなかった。
彼女が指先を向けただけで、船を覆っていた最強のバリアに、ピキピキと亀裂が入ったのだ。
「……バグ検知。対象、ライル。……削除ヲ開始シマス」
無機質な声と共に、彼女の背後に無数の魔法陣が展開する。
「おいおい、今度は女神様のお出ましかよ」
俺は苦笑いしながら、アイテムボックスを探った。
運営が出てきたなら、こっちも『運営対策グッズ』を使うしかないか。
「アイリス! ポチ! 遊びは終わりだ! ……神殺しの時間だぞ!」
ついに、俺vs世界の管理者。
最終決戦のゴングが鳴った。
(続く)




