001:融合文明時代
―――融合文明時代。
二つの世界が混じり合ってしまった現在の地球の総称だ。
科学文明を主軸に置いていた俺たちのよく知っている地球。
魔法文明が発達していた別宇宙の地球。
これが5年前、突然何の前触れもなく融合してしまったのだ。
文字通り、物理的な融合だ。
一説には太陽フレアや小惑星が飛来したことが原因だと言われているが、それを知る術はない。
なにせ、二つの異なる地球が重なった際に大融合が起こった。
大津波でもなければ大地震でもない。
二つの地球の表層が重なり、そして入り乱れて双方の生態系が一つの惑星にシャッフルした状態になったのだ。
例えるならサッカーボール同士がぶつかり合うのではなく、チャーハンを作るみたいに様々な具材が混ざり合って一つの料理になった状態。
そして別々の惑星が一つの星に融合してしまった結果、当然ながら地球の表面の地殻そのものに大きな反動現象が起こり、魔法世界の地球が合体してしまったのだ。
政府の公式記録では「大融合事変」という名称が付けられた。
普通であれば信じられない話だが、現実で起こってしまった以上は信じるしかないだろう。
俺だって信じているさ。
大融合事変の際に、世界中の大都市が魔法世界における狂暴なモンスターが跋扈するダンジョンと称される地域と融合してしまった。
モンスターが群れで襲い掛かった末に、瞬く間に都市部のインフラ網は壊滅。
高速道路も鉄道も、モンスターが蹂躙し尽くした。
蹂躙された都市はモンスターの棲み処となり、人間に変わる新しい住民となったのだ。
これをダンジョン化と呼んでいた。
その光景をテレビ越しに生放送で見ていたから分かる。
休みの日だったこともあり、俺は日曜日に放送されているアニメ番組を見ていた。
その時、突然緊急速報が流れてアニメ番組が切り替わった。
『武力攻撃情報』
テレビのテロップに映し出される文字。
それからテレビ局の中継映像で車両火災で燃え上がる首都高。
空を飛び交うドラゴン。
逃げ惑う人々。
逃げている人々にゴブリンやオークなどが棍棒を持って人々に襲い掛かる。
アニメでは味わえない世紀末的な光景。
今でも昨日の出来事のように思い出す。
『現在、東京の各地で大規模な襲撃が発生しているとのことです!詳しい情報は分かりませんが……ドラゴンのような生き物が襲っているとの情報が……』
『これ政府からの速達来てるよ!読み上げて!』
『現在分かっているだけでも名古屋や大阪でも襲撃が発生しており、政府は武力攻撃情報に伴う緊急非常事態宣言を発令し、自衛隊に対して出動を命じて……』
『やばいッ!スタジオにモンスターが雪崩れ込んできやがった!』
『おい、逃げろ!こいつら武器を持っているぞ!』
『きゃあああああっ!やめてぇっ!やめてぇっ!』
『助けてくれ!おれはまだ死にたくないッ!』
『いやああああああ!!!』
オークの群れが放送スタジオに雪崩れ込む。
多勢に無勢。
あっという間にスタジオは血の海だ。
女性アナウンサーの悲鳴と共に生放送が途切れた。
首都圏の各放送局はその日のうちに全滅。
政府機関も休日だった影響で職員の多くが不在であり、招集をかけてすぐに動けたのは首相官邸と自衛隊、それから警察機関に厚生労働省など限られた省庁だけだった。
霞が関は放棄され、首都圏では国会議員などを含めた国家公務員の8割が死亡ないし行方不明となった。
東京は埼玉や横浜などの東日本の首都圏、愛知県の名古屋を中心とする中京圏、大阪や神戸といった西日本の近畿大都市圏一帯が僅か一日でダンジョン化してしまった。
地上や地下から同時に湧き出たことで、最初の一日だけで120万人が犠牲になった。
これは厚生労働省が機能していた時の数値だけでこれだ。
それ以降の具体的な数値は不明。
一説には大融合事変の際に起こったダンジョン化現象によって関連死を含めて日本国内だけで9000万人以上が犠牲になったとさえ言われている。
死者・行方不明者9000万人を超える大災害……。
俺の家族もそのうちの行方不明者の中に含まれている。
あの日、東京のスタジアムで開催される予定だったJ-POPアイドルのライブのコンサートに行くため、親戚を含めて朝早くに高速バスで出掛けたっきりだ。
最後のメッセージは『ちゃんとお土産買ってきますね』だった……。
高速バスがドラゴンに襲われてしまい、家族はドラゴンに食い殺された。
奇跡的に生き延びた親戚のおじさんがそう話していた。
……大勢の人が死んでしまった。
大都市圏から逃れた人々は生き残った国道や高速道路、鉄道を使って着の身着のままの状態で逃げてきた。日本の中枢都市圏がやられたことによる損害は今でも癒えていない。
工業地帯が連なる太平洋ベルト地帯の壊滅。
AIなどを活用した高度情報化社会の終焉。
そして終末世界の到来だ。
俺たちは生き延びたライフラインで食いつないでいる。
日本の基盤産業であった自動車や精密機械に関しては完全に停滞状態だ。
古い機械や中古品のリバースエンジニアリングをするのが精一杯。
新規に部品製造を出来るリソースはかなり限られている。
古い工場などを再稼働させて、精密機器などを使わない基盤で製造できる技術で再開させており、大融合事変を生き延びた日本海側や山間部の都市での工場稼働を進めている。
だが、科学文明技術や生産能力は1970年代の水準まで落ち込んでいる。
日本ですらこの様な有様。
世界の名だたる国家は軒並み壊滅し、直接的な被害を免れた国はいない。
アメリカやヨーロッパ諸国の被害は甚大だ。
まずヨーロッパで発生したダンジョンに対して北大西洋条約機構は軍事力による集団自衛権を行使したが、ダンジョン化した都市が同時多発的に発生したため、連携が取れずに西ヨーロッパの大部分が失陥した。
イギリスのロンドン、フランスのパリ、ドイツのベルリン……。
名だたるヨーロッパの都市群はダンジョン化した。
西ヨーロッパの地域がモンスターの群れに呑まれてしまった。
オーストリアの首都であるウィーンにヨーロッパ諸国の臨時政府が置かれて、新ヨーロッパ諸国と名乗っているという。
世界経済の中心であったアメリカも例外じゃない。
国際連合の本部や世界屈指の証券取引所が置かれていたニューヨークもダンジョン化したため、暗号通貨や株価は大暴落を起こして紙屑同然となり、世界経済そのものが機能不全状態に陥った。
五大湖周辺の工業地帯や、西海岸のサンフランシスコやロサンゼルスもダンジョン化し、国土の大部分がモンスターによって蹂躙された。
世界最強と言われたアメリカ合衆国、アジアでも有数の軍事大国である中国ですら軍事力でダンジョン化した都市の奪還は出来なかった。
何故なら大都市圏から郊外の地方都市にまでダンジョンが広がり、生き残っていた地域の防戦に精一杯だったからだ。
また、大都市圏だけでなく大陸間弾道ミサイルや原子力潜水艦などに搭載されている核兵器や、毒性の強い化学兵器・生物兵器等が保管されていた軍事基地や保管施設も大融合事変の際にダンジョン化した為、こうした人類の切り札となる兵器の殆どが使えなくなった。
唯一ロシアでは奇跡的に生き残った弾道ミサイル搭載型原子力潜水艦「カレリア」「トゥーラ」の2隻によるダンジョン化したモスクワに対する弾道ミサイルを使った核攻撃が実行されたようだが、攻撃の直前に核ミサイルが爆発して着弾しなかったという。
そして攻撃した直後に海中に出現した巨大クラーケンによって潜水艦ごと捕食されたらしい。
世界各国の軍隊はダンジョン化した都市や軍事基地に有効な反撃手段が取れず、人類の生存圏は縮小の一途を辿った。
これは魔法世界の住民も同じであった。
融合時に魔法世界の住民が地球上のあらゆる場所に出現したのだ。
主に、魔法世界の村や都市が丸ごと転移してきた。
出現した場所の多くがセーフゾーン近辺であり、農村部の田園地帯のど真ん中であったり、廃村となって地図から名前だけになっていた地域に出現する例も多かった。
中には都市郊外のサッカースタジアムの中に魔法世界の街が出現した例も存在する。
ダンジョン化した都市の中に存在する魔法世界側の都市にはモンスター除けの魔法陣が敷かれている安全地帯となった場所が複数あり、危険ながら貴重な資源をダンジョンから確保する前線基地となっている場所も多い。
人間種は勿論のことだが、エルフやドワーフなどの人間の見た目に近い種族から、果てはリザードマンや獣人といった爬虫類や動物が二足歩行しているようなファンタジー種族までやってきたのだ。
まぁ、ファンタジー小説にとって平和で友愛に満ちた接触……。
だったらどれ程良かっただろうか……。
現実で人間同士が分かち合えずに戦争をするように、魔法世界側もまた同じであった。
この融合世界で流入した魔法世界住民の定住を巡って、主に田舎では都市圏から逃れた人々との摩擦も生まれた。
なにせ言語も違えば信仰している宗教も違う。
魔法世界もまた、こちらの世界のように複数の国家群によって統治されており、その統治機構たる国家も様々であった。
世界各地に出現した集落や都市が属していた国家は主に三つ存在する。
複数の種族が諸国連合を率いて王政政治を続けている「王国派」
軍部の権限が強く、魔法世界では有数の軍事国家であった「帝国派」
そして、議院内閣制を採用して魔法至上思想を掲げている「連邦派」
……上記の三つである。
これらの国家群の集落や都市が世界各地に出現し、彼らの属していた国家の都市はバラバラに配置されてしまったのだ。
それも、こちらの世界で生き延びた住民たちの貴重な安全地帯に出現したことで、彼らとの接し方が課題にもなった。
なにせ中東や南米では現地政府と魔法世界住民との間で対立が激化し、生存圏内のコロニー同士での紛争になったケースも多い。
特に複数の連邦派支配地域は科学文明側の知恵を『魔法の出来ない劣等種が産み出した産物』と揶揄するなど差別意識が強く、日本に出現した連邦派の地域は半数以上が閉鎖的で孤立している状態だ。
まだ王国派と帝国派の集落や都市のほうが話が通じることがあるため、日本政府はこれらの王国派と帝国派の集落や都市に対して個別に条約などを締結している。
ただ、最初の半年間は日本でも諸外国同様に魔法世界側の住民とトラブルにもなり、流血沙汰にもなった事例が複数あった。
俺の住んでいた地域ですら魔法世界側からの住民たちに対して『受け入れ派』と『反対派』が揉めてトラブルになっていたぐらいだ。
魔法世界の住民との大規模な衝突や軋轢を回避するべく、生き残った与野党の政治家や言語学者、地元の有力者によって魔法世界側の住民の受け入れを表明し、行政が介入することで紛争を寸での所で回避することができたのだ。
元の世界で対立していた魔法世界側の三か国を含めて、地球側の残存国家は疲弊していた。
無傷だった国家はないのだ。
大融合事変から3年後の日本にて、暫定首都として遷都された新潟で生き残った世界各国の都市部や地域間の連携と科学文明側、魔法世界側との大融合事変後に発生した紛争などを踏まえた上で、ダンジョン化をこれ以上浸食することがないように『生き残った互いの都市や集落などを攻撃しない』『お互いの技術を使って文明レベルを回復する』事を条件に、全世界において国家間同士の戦争や地域間の紛争に対し、無期限の停戦協定も発効されたのである。
皮肉なことに、大融合事変が起こったことで世界中で国家同士の戦争が無くなったのだ。
あの大融合事変から5年の現在……。
……今では、21世紀の事を懐かしむ『テクノロジー・ノスタルジア』と呼ばれる風習すら生まれてしまった。液晶テレビやパソコンやタブレット端末は新規製造できず在庫分だけであり、10年前の型落ちスマートフォンですら公務員が3か月働かないと買えない値段にまで高騰してしまっている。
家電量販店に置かれていたパソコンに至っては行政府による『重要作業電子機器』の指定を受けて、許可なく販売されることができなくなった。
その代わりに、1970年代までの技術による製造ラインの構築には目途がついたため、昭和時代のトランジスタラジオや小型冷蔵庫などを魔法世界の技術を応用して新規生産している。
魔法世界の技術によって失われた科学文明の補填をある程度補う能力があったからだ。
医療でも治癒魔法が致命傷でも回復できる能力を有していることが分かり、高度情報化社会時代の日本ですら成し得なかった効果を発揮している。
そのため、今では回復魔法に特化しているヒーラーがもてはやされる時代となった。
魔法世界で使われていた『魔石』と呼ばれる魔法を産み出す鉱石資源……。
これが科学文明の製品にも適合できる事が分かり、魔法世界の学者なども参加して『文明復興事業』を立ち上げた。
1970年代までの技術水準までを再構築することができたのも、この魔石によるお陰だ。
魔石はダンジョン化した都市などに出現した大樹の根元に自生する鉱石であり、主にダンジョン化した都市部の周辺に住み着いているモンスターを倒すことで入手することができる。
大樹にはドラゴンが住み着いているため、軍隊でも容易に近寄る事は出来ない。
ダンジョン化した都市部やモンスターを狩らないと入手できない代物だ。
俺はそんなダンジョン化した大都市で魔石を回収する仕事……『魔石回収屋』で生計を担っている。
このポストアポカリプスな終末世界においては無くてはならない存在。
危険な仕事だが、文明維持において欠かせない仕事でもある。
色々と昔の事を思い出したが、まぁ……悪くない。
デジタル腕時計のアラームが鳴る。
時刻は午前6時。
マグカップに注がれていた残りの代用コーヒーを飲み干す。
代用コーヒーはタンポポの根を乾燥して焙煎した代物だ。
独特の風味と口触りが口の中で余韻として残っている。
「さてと……そろそろ時間だな……マスター、会計を頼む」
「はい、かしこまりました」
「支払いは配給券でいいかな?」
「ええ、勿論大丈夫ですよ」
配給券を渡し、会計を済ませて喫茶店の外に出る。
窓の外の朝焼けを眺めて、ダンジョン化した都市から魔石の回収を行うために駐車場に留めているオフロード車で出発する。
魔石回収屋の仕事初めだ。