治療費
「まずは、名前と年齢だね、言える?」
マルマキはこれまでの経緯をまるで無視するかのように普通に診断し出したが、俺はこの当然の質問に固まった。
名前を言った時の彼女はどのような反応をするのだろうか。八年ぶりの再会を喜びあえるのだろうか。
そもそも交友関係が希薄だった彼女に、クラスメートの記憶など残っているはずもない。それも二年ちょっとの幼少時代しか共有していない俺のことなど記憶の片隅にもないかもしれない。
でも万が一、俺の名前に気づいてくれたなら――。
俺は僅かな望みを込め、再会を喜び合う光景をイメージする。
「オノダショウゾウ、十九歳です」
声のトーンを落とし、渋めに、そして少しだけ気取り気味に名乗ってみる。
「そう、私と同い年なんだ」
マルマキは眉根一つ動かさず、カルテに名前を書き込む。完全に記憶外だというのが分かる。分かってはいたがさすがに寂しい。そして恥ずかしい。
問診はそのまま何事もなかったように続く。
「腹痛、かなり辛かったでしょ」
「はい」
「熱もだけど、三九度を超えてた」
「そんなに……」
「ドラックストアで倒れたの、覚えてる?」
「はい」
「私の目の前で、突然」
「そうだったんですか」
「放っておくこともできないから、連れてきた」
「それはその――、助けていただきありがとうございます」
「その時、この雑誌、手にしていたんだ」
マルマキは情報誌を手にする。もちろん俺が抱え込んでいた雑誌だ。
「これ、手にしたの――、意図的?」
言っている意味が理解できず雑誌の表紙をのぞき込む俺。手にした時は気が付かなかったが、メイン特集のキャチコピーだけではなく表紙もマルマキだった。美少女だけにモデル並みに映えている。
「これ、女性誌だよね。体調の悪いあなたに、必要なものだとは思えないけど……」
その質問に関して即答できず思わず俯く。名前も憶えられていない相手に「君の名前が出ていたから」などと、正直に言うのも憚られたからだ。仮に正直に言おうものなら、隣で控えている口の悪い看護師に罵声を浴びせられるだろう。
「黙ってないで答えヤガレっ。表紙に欲情したっスよね? この変態クソ野郎」
何も言わずとも罵声が飛んできた。しかも『クソ』が増えている。これは何か言わなくてはならない流れだ。
「見ての通り俺はフリーターの一文無しです。とても医者にかかれる身分ではありません。著名な先生のお名前を見つけて。助けてもらいたくて藁にもすがる思いで手にしました。すみません。ご迷惑をおかけしたようですのでこれで帰らせて頂きます」
俺はない頭であらん限りの言葉をひねり出し、帰り支度をするためベッドから起き上がろうとした、のだか……。
「オイオイ、何勝手に帰ろうとしてやがるんスか。帰るなら治療費、耳揃えて置いてくっスよ!」
「治療費って?」
俺はマルマキを見る。
「あなたには、既に治療をしてるんだよね。CT、撮ってみたら結石が溜まってたよ。それが倒れた直接の原因。とりあえず、痛み止めを処方したんだけどね。あと高熱の原因は、インフルエンザ。検査結果は陽性反応だったから――、これには熱さましと点滴を処方しといたよ」
「つまりっスね――、変態クソ野郎には既に治療を施してやったっスよ。意味分かるっスよね」
なんかいろいろ検査され、処方されていることだけは理解できた。
でも今の時代、保健制度ないんだよなぁ。
「それっていくらになりますか」
「安く見積もって、百万円?」
「百万!?」
何故か顔色一つ変えず疑問形で答えるマルマキと、桁違いな金額に顔面蒼白になる俺。日雇いで暮らしている俺にそんな金があるはずもない。
「冗談ですよね」
「私、あまり冗談とかは、言わないよ」
確かに、マルマキから冗談なんか聞いたことがない。昔クラスの男子が少しからかっただけで、二度と歯向かえないくらいの精神攻撃を浴びせ、再起不能に追い込んだことを思い出す。
しかし、ない袖は振れない。ここは粘るしかない。
「割引、ききませんかね」
「そりゃ何割だ、オラァ」
俺の軽いジャブはマルマキではなく、リーザによって一蹴された。
「医療費に、割り引きセールはないはず……だね」
「そうっスよ。既に施設利用もしているし、投薬もしている以上、医療行為として記録済みっス、耳そろえて置いてくっス」
目の前が真っ暗になる。何年ローンになるんだ、十年、二十年、もっとか……。