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クラスメートの記憶

 とある氷点下ギリギリの冷たいミゾレ交じりの雨が続いた冬の日のこと。


 突然の腹痛で目を覚ました俺は、同時に体温が異常に高いことにも気が付いた。熱を測ると三十九度を超している。


 正直、どんなに生活が苦しくとも、苦痛を強いられるものであろうとも医者にかかるような病気にはなりたくなかった。理由は当然、【カネ】がないからだ。


 それに今や医者も数を減らし町の病院は壊滅。総合病院か大学病院しか残っていない。


 数が減ると生き残った病院への権力は集中する。病院数に比べて圧倒的に多い患者数。病院側は患者を選べるようになってくる。


 風邪やちょっとした外傷程度ならば、流れ的に拒否権を行使されても致し方ないが、どんな重い病気や外傷でも拒否権を行使してくるようになった。



 その選定方法こそが、【カネ】である



 権力を持った病院は、診察前にカネを持っているかどうか、裕福かどうかで判断しだす。カネさえあれば、かすり傷程度でも診てくれるが、カネがないと重症でも門前払いだ。


 俺みたいなフリーターを診てくれる医者は、この世界にはもはや存在しなかった。


 せめて風邪薬だけでも入手しようと、腹痛と高熱でふらつく足を踏ん張らせて近くのドラックストアに気合でたどり着く。


 そして何とか風邪薬を手に入れた俺は、そのドラックストアの雑誌陳列棚で懐かしい名前を目にした。



 【期待の天才医師・一丸真希(いちまるまき)独占インタビュー】



 最新情報誌の表紙を飾るその名。小学校五年生の夏休み明け、突然ドイツ留学することが決まったクラスメートの女子の名前だ。


 ボサボサ頭で度のきつい丸眼鏡、服は色違いジャージのヘビーローテーション。何日風呂に入っていないのかと思わせる、凡そ女子とは言い難い風貌ながら、その年の秋口に飛び級でドイツの名門医大に進学した才女、通称【マルマキ】だ。


 そもそも小学校入学当初の彼女が、それほどの稀有な才能を発揮していたかというと少なくとも誰の記憶にもないらしい。せいぜいどこのクラスにも存在するような常に上位を独占する秀才レベルの児童のひとりに過ぎなかったと、当時の彼女のクラスメートが言っていたのを思い出す。


 しかし、ある時を境に、人が変わったかのようにその天才的頭脳の片鱗を垣間見せはじめた。


 三年生が終わる頃には、理数系学力は既に高校卒業レベルに達しており、授業に耳を傾ける素振りはなくなった。ただ黙々と化学や物理の書物を読み続けていたそうだ。


 だからと言って教師らが注意することはなかった。下手に授業に割り込まれて、他の生徒が困惑する事態を恐れたからだろう。さらに言うならば、教師ですら解答に困惑する質問が飛び出しかねなかった。


 事実、そんな生徒がいると知らされずに着任した教育実習の女学生が彼女との数学論争に負け、教壇上で(こぼ)れ落ちそうな涙を必死にこらえて立ち尽くしていた話は有名だ。授業中の自由行為を黙認するほかなかった。


 休み時間も黙々と書物に目を向け続ける彼女は、クラスメートの誰とも交わろうとはしなかった……。という言い方には語弊があるかもしれない。正確にはクラスメートの方が交われなかったというべぎろう。単純に彼女との会話が成立する小学生自体が存在しなくなったのだ。


 その理由は大きく分けて二つある。


 ひとつは知能レベルの問題。バラエティやスポーツ、アニメが会話の主体になる小学生相手に化学や物理の話題を持ち出されても返答に困る。本人は悪気なく話題にしていたようだが会話の接点が噛み合うことはなかった。


 もう一つの理由は、そもそもコミュニケーションが成り立たないことが原因だ。それは彼女の唯一の弱点とも言えるだろう。


 誤解なく言うと、彼女は他者を軽視したり見下すようなことはしない。話しかければ応対するし、知能レベルの差を鼻にかけることなどは決してない。彼女なりには普通に接しているように感じたが、問題は表情だ。


 脳内容量が理数系頭脳に極振りされた彼女は、その分感情を司る容量が不足気味になったのだろうか。喜怒哀楽の表現や常識レベルが希薄だった。


 彼女的には普通に応対していても、発せられた言葉と身振り手振り、そして表情だけでしか相手を推し量れない幼少期の子供に、人間の内面を推察できる力量はない。無表情から発せられるジョークと本気の境が分からない言葉に誤解が生まれ、次第に交友関係が希薄になっていったことが原因だった。


 そして五年生を迎える頃には理数系分野の学術は大学生レベルを超えており、その当時に実施された全世界の学生を対象とした医学系論文コンテストで入賞。彼女の才能に目を付けた学会からのオファーで推薦が決まったようだ。


 俺と彼女が同じクラスになったのは三・四年生の時と五年生の一学期。二年と約四か月の期間だ。


 そんな同窓生生活の中で彼女との思い出といえば、彼女から漂う独特な香りと、名前で呼ばれた記憶がないことくらいだ。今では何て呼ばれていたかも思い出せない。


 あれから八年、噂では最先端医学の提唱者として活躍していると風の噂で耳にしたことがあるが、ビンボーな俺に人を気遣う余裕などなかった。


 久々に目にする名前。今の彼女はどんな風に成長したのだろうか。


 彼女の独占インタビューが掲載されているというその雑誌が気になり、ふらふらの体に鞭を打ちつつも雑誌を手に取った瞬間、俺の足腰は唐突に力をなくし、両膝からそのまま床に崩れ落ちた。


 雑誌を手にしたまま床に倒れ込む刹那、光り輝く美しいシルエットを見た気がする。また同時に、そのシルエットから手が差し伸べられた気もした。もしかして天使、それとも……。



「神さま、何でもします、お助けを… …」



 生まれてこの方、神も仏も信じたことがない俺が、こんな時だけ神にすがっている姿は、自分で想像しても滑稽だ。苦しい時の神頼みとはよく言うが、こんな時だけ頼まれても神様としては迷惑千万だろう。自分でも都合が良いと感じる。


 寒さと腹痛で衰弱する体。とても起き上がれる状態ではない。それになんだか目の前もぼやけてきた。視力までもがエネルギー切れを訴えている。


 床の冷たさが気力を失った今となってはとても気持ちが良い。頬を伝う心地よい冷たさ。もういっそのこと、このままここで寝たい、いや寝てしまおう、永遠に… …。

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