解散宣言
それは今から八年ほど前、俺が十一歳の頃に見た夢だった。
少年時代特有のヒーロー願望を抱いていた俺は、自分が宇宙最強の英雄だと自負しており、あらゆる事象、事物を思うがままに動かせるパワーを宿していると設定していた。きっとそんな俺の心が作り出した夢物語なのだろう。
なぜ十九歳になった今、こんなことを思い出したのかというと、それは高熱を出して寝込んでいたからだ。子供のころ風邪で寝込んでいた時の記憶がよみがえる。
そして残念なことに俺は今、四畳半一間のボロアパートの一室で一人きりで暮らしていた。もちろん金もなければ彼女もいない、とてつもなく寂しい生活を送っている。
こんな時に頼れる両親は、といえば既にいない。いないと言っても死別した訳ではなく、単に俺を捨てていなくなっただけだ。
それは昨年、十八歳の誕生日を迎え、成人への第一歩を踏み出した記念すべき日の朝のことだ。
起きるなり居間に呼び出された俺は、てっきり【誕生日&成人のダブルお祝い】でももらえるのかと浮足立って行ってみると両親は朗らかな笑顔で言い放った。
「本日をもって小野田家は解散します」
意味が分からずもう一度聞き直すものの、帰ってきた言葉は同じだった。もちろん理由を聞く俺。すると父は次のように話し出した。
「解散する事は前々から決めていたことだったんだよ。でも私たちもお前が成人するまでは親としての責任を果たそうと頑張ってきた。そして今日、待ちに待った十八歳の誕生日をお前は迎えることができた。私たちは嬉しい。この日をどれだけ待ちわびてきたことか、お前には分かるまい。この家は先日売りに出し、明日にでも引き渡す契約になっている。でも安心しろ。お前が今後住む部屋はすでに手配してあるし、一年分の家賃は前金で渡してある。その後のことはお前次第だ。頑張れよ若者」
全く理解できなかった。しかし両親は早々に会議を切り上げ、各々の荷物をまとめだす。そして午前中には二人とも新たな旅立ちといわんばかりに、何の憂いも後悔もなく家を後にしていった。
残された俺は翌日、引き取り業者に強制的に追い出され、父が手配したというアパートに移り住むことになった。
幸いにも新しい居住地は近所だったため自品を移動する事は可能だったが、四畳半一間に入る分量には限りがあり、必要最低限の品に留まった。
後日聞いた話だが、解散の理由の一つは十数年前に政府が決定した【国民皆保険制度の廃止】が原因だったようだ。
それまで多少ながら国が負担していた医療費は、老若男女問わずに全額、被保険者が支払うことになった。同時に薬剤費の税負担も一切なくなる。つまり国家医療財政の破綻だ。
これにより医療費が払えなくなったり、不安を抱えた家族が即時解散する社会現象が続発。ある意味、成人まで育ててくれた両親はそれに比べれば良い方の部類に属するようだ。全ての責任から解放され、晴れ晴れしたあの笑顔の理由が今でこそ分かる。
アパートに移り住み数日の間、俺は両親に捨てられた状況が腑に落ちずにふさぎ込んでいた。しかし、ふさぎ込んでいる時間はあまり残されていなかった。手持ちの貯金がみるみるなくなっていったからだ。
父が払い込んだアパートの家賃が尽きる一年という期限を待たずして、このままでは資金不足に陥ると察した俺は仕事探しを始めるが見つからず。
こうなってみて初めて実感する。この世は【カネ】でできているのだと。
服を買うのも、飯を食うのも、寝泊まりするのも、当たり前のようだがカネがなくては何もできない。
だからと言って、誰しも給与や待遇の良い仕事にありつける訳でもなく、その貧富の差は広がるばかりだ。とは言え、仕事があるだけまだ御の字。安定したアルバイト先すら見つけられず、日雇いで日々を暮らしている者だって大勢いる。
それが今の俺だ。
日雇いのバイトが決まらなかった日は不安だ。明日も入らなかったらどうしようというマイナス思考があふれ出す。
それでも雨風を防げる住処があるだけマシだと思い込んでいたが、そんなささやかな願いすら叶わなくなるのが現実世界だ。
ボロアパートの二階に位置する俺の部屋は、雨が降ると当たり前のように雨漏りが数十か所で炸裂した。夕立のあった日は最悪だ。日雇いバイトから戻ると水浸しの畳を拭き取るところから始まる。バケツ一杯に搾り取られた雨水を捨て、畳が乾くのを待つ。当然直ぐには乾かないから、布団さえ敷くことができずに夜明けを迎える。
また隙間風などは日常茶飯事だ。窓ガラスが欠けているため、隙間風を通り越して普通に風が入り込む。夏ならば多少は心地良いが、冬は絶望的だ。もはや死と隣り合わせの罰ゲームとしか言いようがない。
さらに暖房器具もないため、体を温めるものはカチカチのせんべい布団のみ。硬くて薄い布団を体に巻き付けて越冬するしかないのだった。
こんな日々を送っていれば、当然病気に罹ってもおかしくはなかった。