93話「海」
「はぁぁぁ~~……気持ちいい」
ふたつの太陽は煌々と頭上にいるというのに、マーファは気にならない様子で伸びをしている。
そんなマーファを横目にアーリンは、膝に手を置いて暑さに耐えるのだ。
「草原の次が、海って……行き当たりばったり過ぎない? この旅」
一行は長く辛い平坦な草原の旅を終え、海岸線が見渡せる丘まで来ていた。
日差しは変わらないはずなのに、浜風に吹かれるだけで気分が違うのは異世界においても変わらないらしい。
記憶にある海とは全く違う海の様子。
まるで前世で見ていた海外の海岸線がそこには広がっていた。
そんな絶景であるにもかかわらず、アーリンが愚痴をこぼすには理由があった。
「しょうがないでしょ! ハクがお魚食べたいって言ってるんだから」
まるで実際に聞いたかのような姉弟子の主張。
確かにそれ自体はまったく間違っていない。
実際にハクが魚料理にご執心なのは間違いはない。それはアーリンもフレットも確認している。
なのに、何が問題なのか?
アーリン自体は海に出ることに難色を示したはずなのだ。
海というフィールドを考えた時、いくつもの懸念がアーリンには浮かんできた。
まず、水場での戦闘というのは足場などの問題もあり面倒だという点。
盾拳の歩法は、おもに平地を想定しているものが多い。
それは師匠のアルテアが、戦場を駆け抜けながら創り上げたモノだからだ。
森や藪の中でも使用はできるが、それはアーリンに経験があるからというだけ。
実際には平地の乱戦が一番適性が高いのが、盾拳という拳法なのだ。
次に魔物の問題もある。
アーリンの知識でも水生生物の多様性と言うのは、警戒しなくてはいけない事実だ。
巨大な生物だけではない。毒を持つモノ、軟体生物もいるだろう。そのすべてを数えるのもバカらしい。
まして前世の記憶でも、海と言うのは人が解明しきれない未知の一つだ。
そんな場所に、どんな魔物が生まれ、どんな進化をしているのか?
考えるだけで頭の痛い話だ。
そして、もっともアーリンが懸念している問題がある。
……果たして、自分は泳げるのかという疑問だ。
残念ながらこの世界に生まれ落ちて、アーリンの記憶にある大きな水場は河川ぐらいのものだ。
しかもそこにいたのは、水泳に適さない寒い時期のみ。
水に入るという行為をほとんどしていない。
前世の記憶でも水泳をした記憶など、今のアーリンよりも小さかった時の記憶しかない。
その記憶さえ、まともに泳げていたかと言えば……そんなこともない。
たぶん……いや、確実にカナズチだと言い切れる予感がアーリンにはあった。
目の前に広がる海に、何故か胸がざわついているのだから。
だから反対したというのに。
ハクとマーファ、そしてハク全肯定のフレットに加え、タメエモンも初めて見るはずの海に興奮して、海に出ることを賛成したのだ。
おかしい。
本来はアーリンが始めた旅のはずなのに、……決定権がアーリンには無い。
海という水場が近いという特性をもった武術がそこにあるかもしれない。
いつもなら心躍るはずの未知の武術への好奇心さえ萎えていく気分だ。
それほど、アーリンは海という場所を嫌って……いや、怖がっていた。
アーリンには恐怖に聞こえる波音を聞きながら、海岸線を歩いているとそこそこ大きい漁村が見えてくる。街道のさほど整備されていない様子を見るに、この規模がこの地域での標準だのだろう。
しかしアーリンたちが見た中では、なかなかの大きさの街だ。
何より、街の港からいくつもの大きな帆船が出ていくのを見れば、それなりに発展した街であるはず。
「何か月かぶりにゆっくり出来そうね」
この規模の街であるなら、物資の買い足しも容易だろうとマーファは明るい表情を見せる。
「街の外も獲物が多そうですし、我々も過ごしやすそうですね」
「アア」
フレットとタメエモンの野宿コンビも不満はなさそうだ。
「……はぁ」
アーリン一人だけが、何故か不安そうな表情のままだった。
アーリンの視線の先、腰の袋に入った魔石たち。
砂漠で色々な魔物から得たまだまだ豊富にある魔石たち。
本来なら、頼もしいほどの数ある魔石が、どうにも心もとない。
それはここに到着する前に見た、魔石の結晶の色に由来する不安だ。
旅に同行するようになり、魔物との闘いを経験する中でタメエモンにも魔法を教えようとしたときに発覚した。
イヌ科の魔物から取り出した魔石の一つをタメエモンが握りつぶし、割れた外殻の中に見えた結晶はまるで砂漠のように明るい色をしていた。
火山でサンショウウオから取り出した魔石は赤、オーガーから譲り受けた雄牛の魔石は冷たい青に染まっていた。
最後の懸念がアーリンの思考に落ちてくる。
もうサンショウウオの魔石も雄牛の魔石も手元にはないので、確証はない。
無いのだが……もしかしたら、魔石には『属性』があるのではないかというモノだ。
魔法を使用する際に、魔石自体に得意不得意があるのではないかという疑問を無視して、魔法を行使してきたアーリンにとっては、それこそが一番の大問題かもしれないと思わせるのだった。




