86話「結びの一番」
土俵中央に悠然と戻るアーリンを見ているしかない観衆。
何故負けたはずの相手が再び我らの英雄の前に立つのか?
そう異議が誰かから出てくるのを待ちながらも、自分から声を出すことができないでいた。
あまりにも体格の違う二人が土俵の中心で佇んでいる。
人種の子供は笑っている。
我らの英雄はいったいどんな顔をしているのだろうか?
仮面で見えないというのがもどかしい。
アーリンの視線を受けて、仮面のオーガーが一二歩下がり腰を落とす。
「おぉ」
見守っていた者たちから、どよめきが生まれる。
当事者二人が仕切り始めると、まるで二人の周りに空気が吸い寄せられているかのように感じてしまう。
見ているだけでも重く、苦しい二人の立ち合い。
しかし、どこか、心のどこかに熱を感じずにはいられなかった。
見送るはずだった自分たちの英雄の戦い。
それが儀式を終えてもまだ見れるという喜び。
それを感じずにはいられなかった。
「……」
何故仕切ってしまったのだろうか?
仮面の下では自分の行動に疑問が噴出していた。
だが、答えは出ない。
……いや、考えるのはやめよう。
今の自分は自分自身ではなく、兄なのだから。
兄が自分の身体を動かしたのだ。
そうに違いない。
そうで無ければ、あれほど簡単に勝った相手の再戦を受けるはずがない。
肉体同士がぶつかった時に感じる衝撃が、全く感じられなかった相手。
きっと相手はその衝撃を受け止めることの出来ない貧弱な体をしているのだ。
だから、そんな相手に自分が何かを感じるはずはない。
きっと好奇心の強い兄だからこそ、感じる何かがあったのだろう。
ならば、兄の意思を優先させなければいけない。
今の自分は兄の依り代なのだから。
兄を自身の中に感じた仮面のオーガーに、再び剛力が宿る。
その身体から出る湯気が、まるで神気のように立ち昇ている。
息をのむ観衆とは違い、土俵に見える唯一の顔は笑っている。
その笑みにもしかしたらを感じてしまう。
そんなことは無いと言うのは、先ほどの一番でわかり切っているはずなのに。
土俵に見えていた笑顔が消えた一瞬。
同時に立ち上がった両者。
「ああっ!」
見ていた者たちから悲鳴のような声が漏れる。
立ち会った瞬間、仮面のオーガーは自分の顔だけが吹き飛ばされたかのような錯覚を受けていた。
強い衝撃が顔を襲い、あまりの衝撃に頭が胴体から切り離されたかと思うほど。
一瞬の思考停止。
そして追い打つように胸にさらに強い衝撃が到達する。
慌てて相手の腰を掴む。
想像以上に細い腰。
オーガーの女と比べてもなお、細い。
相手の腰骨近くの布を両手でがっちりと掴んで、上手の形をとる。
元々の自分の得意な形。
これまで幾度となく取ってきた形だからこそわかる、一種の勘所。
仮面で視界がふさがれているからこそ感じる違和感がそこにはあった。
重い。
まるで自分と同等かと思わせるほど、重く感じてしまう。
そんな訳はない。
さっき掴んだ腰の細さ。
そのギャップが仮面のオーガーに混乱をもたらす。
そして先ほどの張りの衝撃、胸へのあたりの強さ。
オーガーの常識にはない、体格と衝撃力。
……負けるわけにはいかない。
例え相手が自分の常識の外にいようとも、今の自分は兄の依り代。
いや、兄そのものでなくてはいけない。
組み合ったまま、仮面の下で大きく息を吐きだす。
「っ!」
その剛力をいかんなく発揮するために、あらゆる変化に対応できる心を取り戻す。
アーリンの身体が沈み込んでいる。
自分から沈めたわけではなく、仮面のオーガーの力で地面へと押し付けられている。
「っく!」
アーリンはわずかな隙間へと自分の重心を動かしだす。
最近身に着けた闘気で相手を殴る感覚。
その応用、自身の重心を闘気で動かし衝撃力へと変換する。
それはわずかな間であっても、予想以上の衝撃により相手に動揺を産む。
さっきまでのように沈み込む勢いのまま、自分の重心を斜め下へと走らせる。
足でけり上げた地面からの抵抗を腰まで伝達、その勢いのまま闘気の循環で重心を沈み込ませ、生まれた膨大な力を肩を出口に相手へと押し付ける。
アーリンが訓練してきた盾拳には、拳以外の攻撃手段はない。
それは天才拳士であるアルテア・ポーラシュルテンに師事した弊害だと言える。
彼は多くの技を用いることなく、拳を突き出すだけで戦場を駆け巡った。
拳の当たらない距離にいる相手に近寄るための歩法。そして相手の攻撃を受けないようにする防御力だけに注視した結果、そのような歪な武術として形成されていった。
だから、アルテアが教えたのは相手を拳で殴るために距離を縮める知識のみ。
しかしアーリンはそこまで体格に恵まれたわけでも、天性の打撃力があるわけでもない。
今まで手合わせした武術家のエッセンスを自分の中で煮込んで出来たアーリンだけの技。
この体当たりもそうだ。
無双流鍬術の使い手に、打撃の重さを出す手法を聞き自分なりのアレンジを加えた体当たり。
その研鑽が異常な体格差を克服するに至った。
仮面のオーガーは再び感じた衝撃に悶絶しながらも、何とか耐えアーリンを投げ放とうと動きだす。
わずかながら浮いたオーガー重心。
その下に潜り込んで、今度は闘気の流動を利用して相手の重心ごと上へと昇る。
「マ、マサカッ!」
あり得ないと思わず声が出る。
さっき掴んだあの細い身体で、自分を吊り上げるなど不可能。
そう常識では言っている。しかし現実に自分の足が地面を離れている。
吊り上げられ、そして一瞬だけ空中で静止したかと思うと背中から全身に走る痛み。
土俵へと叩きつけられた痛みが、あり得ないと思う心を超えて敗北を頭にまで伝達していた。
叩きつけられた衝撃のせいか、それとも立ち合いの衝撃のせいか、オーガーの仮面が割れていた。
初めてアーリンを肉眼で見てもなお、信じることができない。
こんなにも小さな身体で、自分を吊り落としたというのか?
「やっぱり、あんた……強いな! さあ! 結びの一番と行こうか!!」
アーリンの顔には疲労が見える。
それよりも笑顔が印象的だ。
割れた仮面をそのままにオーガーは立ち上がり、三度の勝負へと歩いていく。




