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85話「もう一番」

 仮面のオーガーは困惑していた。

 本来なら自分の前に立つのは、神であるはず。

 神という見えない存在を感じるために、視覚を遮断しその気配を肌で感じる。

 それがこの儀式で仮面をかぶることの許された自分に許された対戦相手のはずだった。

 しかし今肌で感じるのは、先ほどまで戦っていた相手よりも強大な存在感を放っている誰か。

「あんたと戦って見たかった」

 そんなことを口にする誰か。

 今までそんなことを言うのは、今自分が送っている兄だけだった。

 兄と取る相撲が何より楽しく、誰よりも心を躍らせた。

 もうその兄もいない。

 それなのに、どうしてだろうか?

 姿も見ていない誰かに、自分の心が躍り始まている。

 仮面の下で目を閉じて、深く息を吸い込む。

 

 ダメだ。

 今の自分は兄の依り代。

 神と対等に渡り合えるほどの剛力を持つ、オーガー最強の漢を宿している。

 兄は誰が相手でも心をかき乱したりはしない。

 もっと深く兄と同じにならなくては。

 本来の儀式とは違うかもしれないが、これは兄が地上で戦う最期の一番なのだから。

 深く心が沈んでいく。

 心の底のさらに深い所まで、兄のいる場所へと潜っていく。

 

 吐きだした息と共に、オーガーは拳を土俵へと落としていく。

 誰かはわからないが、今の自分はオーガー最強の力士。

 真っ向勝負では歴代最強と言われた最高の力士の依り代は、見えないが巨大な存在感を放つ相手と気を合わせ向かう。

 立ち合いは本人同士の合意で決まる。

 それはオーガーの相撲であっても変わらない。

 緊迫した空気が二人を包んでいくのが、周囲には見えていた。

 誰かの喉が、その緊張に耐えられないと唾を飲み込んだ。

 そのわずかな音を合図にしたように、二人は立ち会った。


 仮面のオーガーが渾身の力で相手へとぶつかっていく。

 ただ真っ直ぐに、相手の気配の位置へと。

 身体がぶつかった瞬間、オーガーは奇妙な感覚を受け取った。

 軽い。

 相手があまりに軽いのだ。

 その存在感とは裏腹に、まるで何にも当たっていないかのような奇妙な感触だけを感じていた。


 仮面で見えていないオーガー以外は、当然の結果を見ていた。

 アーリンと相手の大きさは、大人と子供以上の巨人と小人。

 体重差など考えるべくもなく、アーリンが不利なのは目に見えていた。

 それなのに、アーリンは変化もなくまっすぐに最強の漢へとぶつかていった。

 それは確かに驚愕に値する。

 あの体重差で、真正面からぶつかるなど命を差し出しているに等しい行為。

 それをやってのけたアーリンの胆力は、オーガーであっても賞賛すべきものだ。

 だがしかし、こんな当たり前の結果さえ分からなかったのかと、蔑む目もある。

 相撲が肉体のぶつかり合いという原始的な行いであるのは、オーガーたちも理解している。

 だがだからこそ、その肉体を創り上げる努力をオーガーの戦士は怠らない。

 立ち木に、岩に、そしてオーガー同士でぶつかり合いながら創り上げたあの肉体は、ただ大きいだけではない。

 肉という肉が内側に密集し、筋肉という筋肉がはちきれるほど詰まった、それこそ神を宿した肉体なのだ。

 

 それに線の細い、ただの人種が考えもなくぶつかったのだ。

 ああなるのは当然の結果だと、宙に吹き飛ばされたアーリンを見ていた。

 ぶつかった勢いを相手へと返すように、仮面の手のひらがアーリンを押し上げる。

 その剛力を身体にぶつけられたアーリンは、土俵の外へと飛んでいた。

「っ!」

 完全に死に体となったはずのアーリンが、空中で身をひるがえす。

 完璧に制されたと思われた立ち合い、わずかだがアーリンは余力を残していたのだ。

 相手に吹き飛ばされることなど、アーリンは想定内。

 立ち合いで負けたとしても、何とか土俵の内側に残ろうと自ら飛んで相手の勢いを殺していた。

 

 しかし想定外だったこともある。

 着地したアーリンの足が、土俵を割っていたのだ。

「あ~、やっちゃった」

 アーリンが想定したよりも吹き飛ばされていたのだ。

 悔しがるアーリンの姿に先程まであった蔑む視線は無くなっている。

 何故あの小さな人種は、立っていることができるのか?

 それを強く感じていたのは、ほかのオーガーの戦士たちだ。

 あのぶちかましは、骨まで響き容易く意識を刈り取る。

 何度となく組み付いたままヒザを折ることしかできなかったオーガーの戦士たちは、思わず拳を握ってしまっていた。

 そんなわけが無い。

 しかし、それが有る。


「よし、もう一番!」

 しかも圧倒的な力を見せつけられたのにも関わらず、あの人種はまだ笑って土俵にいる。

 まだ最強の漢に向かっていける。

 儀式のために飲んだ薬湯のせいか? 幻を見せられているのか?

 異常なものを見ているのだと、そしてそれは本当に現実なのかと疑ってしまう。

 だが、オーガー以外の視線は呆れていた。

「またですか」

「本当に……あの子は!」

 まだ手足のしびれるマーファとフレットは、アーリンの笑顔を苦々しく見るしかできなかった。

 

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