55話「昔のこと」
アーリンは姉弟子に負けた事実よりも、姉弟子に心配をかけてしまったことに頭を下げている。
そんなアーリンを見て、門番ゴブリンは好意的な視線をアーリンたちに投げていた。
「そうですか。あなたが今代の変革者でしたか……。あの方よりもこの世界を愛しているようで安心しました」
「え?」
アーリンとマーファは同時に門番ゴブリンを見る。
アーリン以外の変革者。アーリンのように珍しい生い立ちのヒトを複数知っているさらに珍しい存在。
「ああ、あれはそうですね。……どれほど昔かは忘れましたが、私にボクシングを享受してくれた方、私の師が変革者であったはずです」
「そうか、それでそんなに洗練されたボクシングを」
「ええ。遥か昔の話ですがね」
「遥か……昔……?」
アーリンはこの世界に似つかわしくないボクシング技術があることに納得し、姉弟子はそれが伝えられた時期に疑問を覚える。
「あの……ゴブリンさん? 昔ってどれくらい?」
マーファはどことなく、年老いたエルフにモノを聞くような感覚を覚える。
経過年数を軽視しているからこそ、気軽に発言される時代錯誤な話題。それのすり合わせをさせられるような、そんな衝撃に備える準備運動的思考の準備。
それがこのゴブリンの話にも必要なんじゃないかと言う、本能にも似た予感を感じていた。
「そうですね。……まあ、少なくとも1000年は立ってないと思いますけどね」
にこやかに話したゴブリンの顔を、凝視してしまうアーリンとマーファ。
「……せ、千年?」
「ええ。私が精霊様に捧げられたのが、かれこれ1000年前の話ですからね」
「せ、千年?」
「はい」
辛うじて二人はゴブリンの言葉を復唱できている。
それは過去にエルフと対話した経験があるから。そうでなくては、彼の言葉を信じることができないでいただろう。
「この山に火災が起きて、その鎮火と恵の復活のため。私は生贄に選ばれたのです」
「生……贄」
「ええ! まあ、生贄なんて精霊様は望んでいるわけではなかったのですがね。それでも上位の存在に縋らないと我々のような弱者は生きていけません。それでゴブリンの村で一番魂が活発であった私が贄に選ばれたんですよ」
災害を受けて生贄に捧げれる。そこまでは確かにアーリンも想像していた。
だがしかし、こうして実際生贄本人と会話するとは思っていなかった。
「私の魂の一部には、精霊様のお力の一部が保存されています。そのお陰で私自身はこうして1000年の時間を戴いたのです」
精霊と共に生きてきた門番。だからゴブリンの村でも発言力が異常なのだと理解ができる。
ただの長生きではない。彼らが神と崇める存在の分身体とでもいうべき存在。
道理で気軽に自分たちを大精霊の元に招くはずだ。
「私の知る、先代の変革者はこの世界をどうにか抜け出したいと常々言っていました。この世界は自分がいるべき場所ではないと」
その言葉を口にしたゴブリンの顔は、どこか悲し気だった。
きっとボクシングを習う間も彼のことだ、師を慕っていたに違いない。
でも、師は彼を含む世界自体を愛してくれなかった。
尊敬すべき師の尊敬できない部分を、彼は多く見てきたのだろう。
それでも彼はボクシングを忠実に守り、ゴブシングと名前を変えても習った戦い方を変えはしなかった。
「……好きだったんだな。師匠のこと」
「……どうでしょうね。なにぶん昔のことですから」
話がひと段落して、アーリンは炎の大精霊と向き合う。
炎の大精霊も、水の大精霊と同様活動の限界点が迫っていることを自覚していた。
それを回避する方法はやはり、他の種族の身体を借り受けるしかない。
「炎の大精霊、キミはどうする?」
「私は……そうね。あの子にしようかしら」
炎の大精霊は洞穴の壁を指さしていた。
アーリンたちが、いったい何がいるのか凝視している傍ら、門番ゴブリンは眉間を抑えて大精霊の言葉を受け入れがたく思うのだった。
「何かいる?」
「なんか、熱源はあるから。生き物はいると思う……だいぶ小さいけど」
「仕方ありません。捕まえてあげますよ」
門番ゴブリンは無造作に壁に向かって歩き、何かしらの生物に手を伸ばす。
アーリンたちの目には突如壁から炎が噴き出したように見えた。
その炎を意にも介さないゴブリンは、壁から何かを捕まえてアーリンたちの元までやってくる。
「な、なに?」
「何が起きたの?」
「これの威嚇攻撃ですよ」
そうして門番ゴブリンが差し出した手には、小さな動物が乗っていた。
もう絶命しているトカゲが一匹。
「これは、この地方で自滅トカゲと呼ばれる生き物です。さっきみたいに攻撃されると炎を吐きます。そしてその炎で自分を焼いてしまうのです」
まじまじとトカゲを見ているアーリンたちの前で、門番ゴブリンがトカゲの素焼きを半分に割ってみせる。
「ちなみに、ここいらじゃ子供のおやつにもされています」
アーリンたちはトカゲの素焼きを口にしながら、炎の大精霊のほうを見る。
なんとも悪戯好きそうな可愛らしい笑顔の大精霊がそこにはいた。




