53話「固き剣」
「シッ!」
門番ゴブリンの炎のグローブが、巨大なサンショウウオの表皮を焼いている。
鼻腔をくすぐるようなほのかな香りに、思わず食欲が刺激される。
もしかしたら……。
そんな感情はすぐに霧散する。
「おいおい、タフすぎだろ」
思わず、アーリンがつぶやく。
アーリンの眼にはもう何十発と門番の拳を受けたサンショウウオがいる。
表皮は所々焦げているにもかかわらず、気にしないかのように門番の後を追うように前足が振られている。
そう、これは誰の目にもノーダメージなのが理解できる。
門番の拳なぞまるで意にも介さないその猛攻。
救いなのは、門番に届くほどの速度ではないことだろう。
一方的に門番が殴るだけ。だがそれでは解決しないと現状は言っていた。
「ッグ!」
短い悲鳴を上げて、門番が大きく距離を取る。
「大丈夫か!?」
「ええ。……少し拳の皮がむけてしまいました」
「……」
炎とはいえ、グローブを付けたボクサーの拳が傷ついた。
それは異常な出来事だ。
生物であれば、炎による熱傷は致命的になりかねない。
それなのに、このサンショウウオはまるでそれを気にしない。
もう本当に別の生物になってしまったかのようだ。
「本当に魔物になったんだな」
アーリンが憐れみをもって、そう口にした瞬間だった。
焼けただれたサンショウウオの表皮の一部から火が吹き出来たではないか。
もしや、門番はこれを狙って……?
いや、そうではない。
門番の顔も困惑に染まっている。
まさか?
アーリンが再びサンショウウオに目を向けると、表面にあったヌメヌメから火花が出たかと思うと、サンショウウオは炎に包まれていく。
まるでさっき見た、門番ゴブリンのように。
「ウソ……だろ?」
サンショウウオは炎の中にあってもその殺意を衰えていなかった。
いや、その炎のようにさっき以上の殺気をまき散らしている。
サンショウウオが炎を纏い、大精霊に向かって再度咆哮を上げる。
その放たれた空気は、今まで以上にアーリンたちを熱する。
「ぅぐ!」
口を覆っている布などないかのように、熱せられた空気がアーリンたちの肺を焼く。
呼吸をするだけでも体に痛みが走る。
速くこの状況を脱しないと。
アーリンは飛びそうになる意識の中で、万素に向かって言葉を投げる。
『神と変革者の名のもとに願い奉る! 激流よ! かの脅威を疾く押し流せ!』
アーリンの拳がサンショウウオに向かって振り下ろされる。
「流撃!」
アーリンの拳から砲撃のような大量の水が放たれる。
その水はアーリンの拳の速度でサンショウウオへと迫っていく。
そしてサンショウウオに触れた瞬間。
轟音と共に大量の水蒸気となって、そこにあった空気を急激に押しのける。
高速に広がる衝撃波がアーリンとマーファに叩きつけられる。
「この……バカ、アーリン」
「ご、ゴメン」
倒れた二人に門番ゴブリンが駆け寄る。
「っ大丈夫ですか!?」
「寄るな、熱い」
「ああ、ごめんなさい! ですが、これでアイツも……」
門番ゴブリンの顔を見て、アーリンは理解した。
まだぼやける視界に写るあの巨体。まだ健在なのだろう。
それは確かに正解だった。
だが、少なからずダメージはあった。
突如爆発した空気の塊を顔に喰らったサンショウウオ。
その纏っていた炎も吹き飛び、乾いた皮膚が露出している。
アーリンははっきりとしない視界の中、動かないサンショウウオに追撃を試みる。
『か、神と変革者の名のもとに願い奉る……其は水の結晶。凍える水の固き剣なり』
朦朧とするアーリンは、新しい願いを口にする。
水の形状の一つ。
氷の刃がサンショウウオに向かって飛んでいく。
アーリンの放った氷の刃は、まだ熱を保ているはずのサンショウウオの皮膚を切り裂き侵入していく。
その巨体の内包しているはずの生命力をも切り裂いて。
首を地面に縫い付けられたサンショウウオが暴れだす。
まだ死ぬわけにはいかないと叫んでいるかのようなその行動。
アーリンは止めとばかりに一言発する。
「砕けろ、……氷刃」
アーリンの声に応えた氷の刃が、無数の刃に別れてサンショウウオを刻んでいく。
皮膚はおろか、その体内すら刃は駆け巡る。
アーリンの遠のく意識の向こうで、巨大な何かが地面に落ちる音が聞こえる。
アーリンは体が濡れる感覚に気が付いた。
主に顔に向かって、何かしらの液体がかかっている。
その液体は、やけに熱い!
「っっっっっ!!! ッ熱っっっ!!!」
火傷するかと思うぐらいの熱湯をかけられ、飛び起きるアーリン。
「ああっ! よかった! 無事でしたね!!」
「無事なもんか!! 火傷するわ!!」
何故かまだ炎の衣装をまとった門番ゴブリンがそこにいた。
介抱してくれていたのだとわかるが、どうしても抗議の言葉が先に出てしまう。
どういうわけか、門番ゴブリンの持つ桶は燃えないのにその中身には熱が伝わるという理不尽。
まあ、それも大精霊の御業だと理解するしかなさそうだと、アーリンはため息を落とす。




