39話「やめじゃ」
もうかれこれ30分程度、周囲には落下音だけが響いている。
アーリンが突きを出しては投げられ、転がされ、かといって老人の攻撃だけが有効かと言えばそうではなく、只々アーリンが地面から立ち上がり転ぶ姿が繰り返されている。
アーリンの相手をし始めた老人も、最初は余裕の笑みを浮かべてはいたが今は渋い表情を浮かべている。
「……」
「っく! はあ!!」
「やめじゃ、やめじゃ!」
「え?」
老人の声に伸び切らないアーリンの拳が、ゆっくりと戻っていく。
「……血濡れの一門がこんな臆病であるはずがない。無駄な時間だったわ」
「ちょっ! 待ってくださいよ。俺のどこが臆病だっていうんですか」
憶病と言われては、黙っていることができない。
積極的に手を出していたのはアーリンのほうである。
はた目から見れば、果敢に挑んでいたように見えるはずだった。
「全部じゃ全部。打たれるのが怖いから自分から動いて、怖いから守りに集中しすぎる。そこから動き出しても遅いんじゃ……かの英雄も指導はできなかったと見える」
「そんなことない! 師匠はちゃんと――」
「じゃあ、その伸ばした拳の次は? 伸ばして当たらないなら次の手を考えんか! ただ闇雲に動くのが血濡れの武なのか?」
「っ……」
アーリンの言葉が詰まる。
最後に伸ばした拳の先、そのビジョンは全くなかった。
ただ当たるまで伸ばし続けていたのかもしれない。
「よいか、武術とは想定された状況を打破するために行うものだ。そのために先んじて手を出すのは仕方がない。しかしだ、その後の状況を再確認して有効な射程と技の流れを見るんじゃ。お前にはそれが全くない」
エルフの若木を一蹴したことで、アーリンの心の中には驕りが住み着いていたのだろうか?
教えられていたあの頃を思い出す。
いつだったか、師匠の鍛錬を覗いたときだ。
師匠は一人森の木々を相手に頭を悩ませていた。
あれはどういう動きだった?
アーリンは思い出すまま突きから始まる一連の動きを模倣していく。
「その左手はなんで開く?」
動きを見ていた老人から問われる。
右手は突きを伸ばし、打撃の形で留まっている。
なのに左手は今までの突きの形とは逸脱している。
「これ『投網』か?」
そう言いながら蹴り技を受ける防御の技へと移行する。投網は相手の足を投げ終わった投網に見立てて引き込み相手の軸をずらす技だ。左に足を抱え右手で押さえながら絞る。
そして師匠はそのまま足を踏み込み、肩を相手に向けて突き出していた。
もちろんアーリンの目の前には誰もいないので、脚を踏み込んだ音がするだけだ。
そして上体を起こしながら左手の拘束を解き、体を入れ替え左手を突き上げる。
「それは?」
「もぐりこんだ後に相手の肩を押し上体を上げて、行動を抑制します」
「ふむ」
突き上げた左手を戻す際、抑えていた相手の足を離し右拳を相手の顎に向け右のひざで右ひじを強く蹴る。
蹴りの衝撃を乗せた拳が高く上がり、蹴り上げた足を体から遠い場所へと落とす。
そして重心を移動させながら拳を戻す勢いのまま、肘から下に落とす。
肘は架空の相手の胸へと深々と突き刺さる。そして左足を右足に半歩よせて上体をひねれば再びアーリンの前には老人が立っていた。
「たどたどしいが、一応型はできるようじゃな……いくつできる?」
「……型……これだけです、多分」
アーリンの言葉を信じていない老人はマーファのほうを見て確認する。
「わたしもそれぐらいしか知りません」
「驚きじゃ」
「え?」
「なら、あの天才拳士は状況に合わせて動いていただけってことか。道理で合理性がないわけだ」
戦場で勝手気ままに動くアルテアにとって、いかに攻撃を喰らわないか、どう当てるかは重要ではなかった。大抵の兵士は自分よりも遅く脆い。
さっきアーリンが行った型モドキもアーリンの打撃力を考慮して繋いだものだ。
しかも戦場で繰り出される攻撃は、アルテアにとっては想定以上のモノもなく拳を伸ばす時間さえあればなにも問題となることはなかった。
だからこそ、頭を悩ませながらつなぐことのできる技の幾つかをつないで見せただけというモノだった。
「はぁ~! 構えてみろ」
そういって老人は初めて自分の構えをアーリンに見せる。
老人が促すまま拳を伸ばすことで、老人の受けの動作をようやく見ることができる。
アーリンの伸ばした拳を、奥に構えた手のひらで受け流し手首を取り外旋させる。
突きの姿勢からわずかに外側に軸が動くところで老人の手が止まる。
「ここから肘を下から撃てば肘を壊し、もう少しひねりを加えてやれば地面に落とすこともできる。逆に内側に戻せば筋力で体の近くまでいく、そこを肘をもって押し上げれば脇が空く。そこにこうだ」
老人の肘がアーリンの脇に添えられている。
「型って言うのはただ流れの始まり。そこから何ができて何をさせないのか、状況に合わせて使い分けるのが型の意味じゃ」
それだけ言うと老人はアーリンに背を向けて歩き去っていく。
「……型か」
確かにアーリンの記憶にもそんなものがあった気がする。だが、それを知っているわけではない。
武に触れたのは師匠によって初めて触れたものだ。
体格や筋力を考えれば、技の精度が違うのは当然のこと。
それを忘れてしまっていたようである。
アーリンは小さくなった老人の背中に、深々と頭を下げるのだった。




