3話「大っ嫌い」
幼い少年、いや、赤ん坊の目に飛び込んできた世界。
それは想像を超える美しさであった。
まだはっきりと映らない目であっても、その美しさだけは感じ取れた。
簡素な部屋に色とりどりの小さい者たちが飛び回る、幻想的な世界。
転生したての赤子を取り囲む小さな笑顔。
まるでその子供の誕生を祝うかのように、笑顔を向け時に近寄り頬を寄せる。
世界が祝福しているかと勘違いしてしまうかのような光景だった。
「あーうー!」
まだ音しか発せることの出来ない口を必死に動かし、まだ自由を得ていない手を必死に伸ばす赤子。
その手は小さき者たちを求めて、宙を掻いている。
触れることのできないことへのもどかしさより、向けられる笑顔に心を奪われる。
自然に漏れ出る笑い声。
これが転生者アーリンの見た、この世界の初めての光景だった。
時は過ぎ赤子が幼子へと成長するに従い、その目に映る光景は別のものへと変わっていく。
ここエルフの住む森の里は、自然と共に生活を行っているが大きな不便はない。
たとえ水場が遠くても、雨季で燃料が湿っていても不便はあり得なかった。
エルフは誰もが、とある技術を用いて生活しているかだ。
『精霊術』と呼ばれる傍らにいる小さき者たちの力を用いてあらゆる生活行為を代用している。
水も火も精霊の力によりもうすでに、そこにある。
目には見えずとも、必ず傍らにある。
そんな生活様式が、アーリンは嫌いだった。
「ご飯にするから、いい子で待ってるのよ」
エルフの養母がそういいながら、夕飯の支度をはじめる。
野菜が主体の食事であったが、人の子供であるアーリンを思って少ないながらも動物質を混ぜた食事だ。
味は悪くはない。
見た目も家庭料理としては彩にあふれている。
食事自体に問題はない。
でも、アーリンにはその食事の風景は残酷そのものであった。
食事の支度をする養母の傍らに、楽しそうに宙を泳いでいる小さき者、精霊。
「さてと」
養母は近くの器を手に取り、小さく何事か呟く。
精霊はそれに反応するように、周囲の何かを水に変え器を満たしていく。
そうして器を満たした精霊は、爆散すかのように光の粒へと姿を変え床へと消えていく。
それからしばらくたつと、その床からさらに小さくなった精霊が飛び立つ。
その光景はアーリンにとって目を覆いたくなるような光景だった。
この世界で初めて目にした美しい姿をした精霊が、まるで使い捨ての道具であるかのような仕打ちを受けている。
アーリンは精霊術が恐ろしく、そして嫌いになった。
エルフの生活には欠かすことのできない精霊術。
なぜか人でありながらエルフの里で暮らす少年には、周囲の者との溝を作る十分な理由になってしまった。
とはいえ、周囲の大人たちはそれを仕方がないことと理解している。
時折エルフの中にも、精霊を目にすることができる子供が生まれてくるからだ。
長寿であるエルフはそれが望まない光景であっても、成長に従い受け入れていく。自分の生活、自分達の生活の恩恵と犠牲を天秤にかけて、納得をしていく。
大抵のエルフは50年程度で、心の均衡を保つようになる。
自分達の生活に精霊術は欠かせないものだと。
この子も何時か理解する日が来るだろうと、周囲の大人たちはそれなりの温かさで見守ることにした。
しかし、この世界に多大な祝福をされたと勘違いした人間の子供アーリンは、精霊術を受け入れることが出来ずにいた。
「俺は精霊術なんか、大っ嫌いだ!!」
子供達に精霊術を教える勉強会のような場で、とうとう押さえきれなくなった感情が爆発してしまう。
若い大人は眉をひそめる。年がいった大人は呆れ顔だ。
子供達も一様に、アーリンの顔を見ている。
若い子供は意味がわからないといった表情を、人間にとっては年のいった子供達はあからさまな敵意をもってその顔を記憶に留めた。
その日からアーリンの生活は一変する。
迫害が始まった。子供達はことあるごとにアーリンを標的にした。
実際練習用の弓の的になることもあった。
年長の子供が年少の子供をけしかけ、仲裁する振りをして責を押し付けるなど、多勢に無勢の日々が始まった。
大人達も見てみぬ振りをするのが優しい方で、事故に見えなくもない方法でアーリンの体を痛め付けていく。
正直殺されないのが不思議なほどの日々だった。
命を永らえているのは、彼の養母が里の重鎮だという理由だけだった。
養母は他種族の国にも顔が利き、『新緑の貴婦人』の字を持つ有力者。
しかも里の誰もが一目を置く強者だ。
もともとエルフは他種族の中でも長命な種族である。そんなエルフは多芸に長けてて当然といった風潮がある。
そんな風潮のなかでも他種族の侵攻を阻む武力は、発言力を得るのに欠かせないモノだ。
長らく他種族との折衝を行っている養母ベガ・フルスシュテルンは、必然的に里での発言力も強く、敬われる存在だった。
アーリンの存在のせいで、一部勢力が糾弾しようと試みたが弁論でも腕力でもねじ伏せられた。
そんなこともあり、アーリンの生活は命の危険はないものの苛烈を極めた。
しかしアーリンは、一向に折れる様子もなく負けるのがわかっていても立ち向かう姿勢を崩さなかった。
正しいのは自分だと、一歩も譲らない。
ベガはそんなアーリンを見守り、育んでくれた。
「くそ! いつか見てろよ」
自分を打ち倒した金毛の集団に向かって、小さく悪態をつく。
そんなアーリンに落ちる影が一つ。
(今日は第2波もあるのかよ)
しかし、影の主の視線にアーリンは違和感を感じるのだった。