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38話「武術バカ」

「これもそっちに入れておいてね」

 そう言われてアーリンに渡されたのは、一本の白いトウモロコシだった。

 思わずかぶりつきたい衝動に駆られるが、事前の説明を受けているアーリンは口ではなく眼の前に持ちじっくりとそのトウモロコシの白さを凝視する。

 白い実の中には、幾つか透明がかった実もある。

 その中には甘い果汁の代わりに、キラキラとした結晶が輝いていた。

 これは、エンモロコシと呼ばれる家庭から旅路まで欠かせない貴重な塩分となる。

 通常二粒もいれれば、二人分のスープを味付けするには十分な塩分が含まれている。

 もちろん普通の塩もあるのだが、産地が限られ値が張るので大抵の家庭ではこちらが使われる方が多い。

 そんな摩訶不思議なトウモロコシを自分のバックに詰めながら、アーリンは誰に聞かれるでもなくポツリとつぶやく。

「異世界って、やっぱ異世界だわ」


 そうして買い物を続けていくうちにアーリンの眼に一人の人物が止める。

 思わずマーファの肩をつかんで揺らしてしまう。

「なに? 甘味はもう十分でしょ、旅って言うのはね……どうしたの?」

「マハ姉、あの人すげえ」

 マーファには眼を向けず、アーリンの視線はある一点にその眼は釘付けになっている。

 先にいるのは一人の老人だった。

 見た限りごく普通に見えるその老人に、アーリンの眼は打ち止められている。

 マーファはその老人の動きをつぶさに観察する。

 それでアーリンが何を言いたいのか即座に理解する。


 その老人の立ち姿、何気ない足の運び。

 それは二人の師匠にも引けを取らないような、強烈な武の香りを放っている。

 雑踏に紛れながらも確かなその動きを眼にしたアーリンが、ただの一歩、一歩そちらに向けただけでその老人は買い物客の大群に飛び込んでしまう。

 老人の行動に触発されるかのように、二人も走り出す。

 地上を追うアーリンには、老人の軌跡が見えている。

 しかし、それをそのまま追うことはかなわなかった。

 それがあるのは、雑踏の中。しかも人と人のわずかな隙間を駆け抜けている。

 辛うじて正面からぶつからないように、老人の速度の半分程度で肩を当てながらアーリンは進む。

 マーファは布槍術を駆使しながら追っていたので、アーリンよりは先に行っていた。

 マーファはマーファで信じられないものを眼にする。


 エルフの放った矢のような動きで、老人は人の隙間をぬって走っている。

 そう表現するしかない動きが、眼下の通りで披露されている。

 すれ違った人にではなく、マーファ一人に披露されている。

 通りにいる人たちの誰にも感知されず、通り過ぎた違和感さえ与えずその老人は裏路地へと消えていく。

 ようやく追いついたアーリンと合流し、再び老人の後を追う。


 町の外周の城壁近く、あばら家の目立つ区画でようやくその老人に追い付くことができた。

 二人は息を弾ませつつ、用水路を眺める老人に声をかけた。

「あなたいったい?」

「さぞ名の通った武術家とお見受けいたしました。どうか一手御指南願えないでしょうか?」

 疑問を投げかけたマーファをしり目に、アーリンは目を輝かせながらまっすぐに老人を見つめる。

 そんなアーリンをマーファは心の中でこう評する。

(この武術バカ)


 そんなアーリンに向けて、老人はこう答える。

「はっは、途上とはいえ『血濡れのガントレット』殿の一門に教えることなどおこがましい」

 そう謙遜しているようにも見える老人の眼は、いささかも笑ってはいない。

「まして夢破れたとはいえ、一度はその首を狙った儂がどの面下げて手ほどきしろと?」

 一瞬ではあるが、放たれた殺気が二人を射抜く。

 まるで体内に魔石を宿した獣と対峙したかのような錯覚を受ける。

 だがそうではないのだと、足元のハクが教えてくれている。

 毛は完全に寝ている。

 そしてあくびひとつすると、横の草むらに丸まってしまう。

「無礼は承知で、ぜひ!」

 そういってアーリンは構えをとる。

 マーファは呆れた表情で、ハクのもとにまで下がる。


「まったく、若さとは羨ましいものだ」

 そう老人が言いながらアーリンと正対する。

 ただ立っているかのように見える。

 実際近くを通った者には、老人が絡まれているようにも見えたかもしれない。

 しかし、絡んでいるように見えるアーリンの表情は苦しいものだった。

 望んで対峙したにもかかわらず、打ち込む隙など皆無に見える。

 師匠と対峙したときと同様の圧迫感が、アーリンの体を覆っている。

 しかも老人の目線はアーリンの全身にまとわりつき、起こりを見逃がしてはくれない。

「どうした? 来ないのか?」

 自分から言っておいて?

 そんなことはできない。もったいない。

 

 アーリンは渾身の突きで老人に突進する。

 当たる!

 そう思った瞬間だった。

 なぜかアーリンの視界の端に、地面があった。

 時間を切り取られたかのような違和感。

 しかし、かかる重力は本物で自分の体が落ちていることを否定できなかった。

 突きの態勢のまま地面に落とされたアーリンの眼に次に飛び込んできたのは、老人が今まさに振り下ろそうとしている脚だった。

 自分の喉を目掛けて落ちてくる足を腕全体の雨宿りでいなし、老人の裾を握って足を地面に押し留め反動を利用し自分の体を老人の体の上で回転させる。

 上空を使って体勢を立て直そうと試みるアーリンに、そのまま老人のは背撃が襲う。

 辛うじてその背撃を躱すと、投げ出された身体をどうにか制御しアーリンは地上へと帰ってくる。

 構えたアーリンにゆっくりと老人は顔を向ける。

 その老人の眼はわずかに笑っているように見えた。

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