29話「勝てばいい」
マーファがアーリンに勝ちたい理由、それはアーリンの旅立ちを止めたいからだった。
アーリンに告げられた旅立ちの言葉。
環境を考えれば、理解できる言葉であった。
しかし、それを正しく受け止めることがマーファには、どうしてもできなかった。
姉弟同然に過ごしてきたアーリンが、この里から出ていく。
それはまるで、あの時母親が告げた別れの言葉に聞こえた。
すぐに帰ると言いながら、結局自分を一人にしたあの言葉。
それと同じ衝撃がマーファにもたらされた。
ずっと一緒だと思っていた。
これからもこの狭苦しい里で、寄り添いながら過ごすのだと、そう思っていた。
しかし、そうではなかった。
アーリンも自分を置いて行ってしまう。
また、一人になってしまう。
そんな恐怖が心を覆ってしまう。
冷静になれば、寿命の違う自分たちが一緒に居られるわけが無いのに。
それでも、認めることができない。
どうすれば思いとどまらせることができるのか?
「……勝てばいいんだ、成人の儀で」
そうアーリンに自らが未熟だと思い知らせることができれば、出ていくなんて思わないんじゃないか?
そうだ、そうに違いない。
何を求めているのか知らないが、未熟なまま出ていく危険を冒す子じゃない!
まだ、一緒に居られる。
そうではないと思いながらも、それには蓋をきつく締める。
狭窄した心で、それが最善策だと言い訳をした。
そして現在、最もアーリンを仕留めることのできるチャンスが訪れた。
思い通りに狩りに興じたアーリンが、残りの人数に疑問を抱いたであろうその瞬間。
その一瞬をついて、対策通りの場面ができていた。
ここしかない。
目を開き、アーリンを視界に収める。
そしてそのまま、枝から身を投げる。
落ちるままにアーリン目掛けて拳を、母から譲り受けた布を繰り出す。
闘気によって固められた布は、まさに槍とかしてアーリンに迫る。
頭上からの視線に気が付き、迫るマーファの槍がアーリンの目に留まる。
とっさに出したのは、やはり『大あご』。
しかし、元々は布である槍を破壊することはできない。
闘気を解除し元の布に戻す。アーリンの拳が通過するのを待って再び闘気で固める。
重力も加わり、それは大きな土ぼこりを作る。
壊せないと判断したアーリンは、大きく飛びのき距離をとっていた。
千載一遇のチャンスをものにできなかったマーファから、舌打ちが聞こえる。
しかし、そのいら立ちを飲み込み布を空へと投げる。
木に巻き付けた布をひきつけ、自身の身を空へと持ち上げる。
そこから上へ下への移動を繰り返す。
アーリンの眼は万能に思える。
しかしマーファは知っていた。
アーリンの眼はアーリンの反応以上の性能は出せないのだと。
いくら色々なモノが見えたとしても、それを認識するのは人種であるアーリンなのだ。
見ないほかに対策するのであれば、捉えられない動きをするしかない。
武術を知っている以上、前後左右の動きには当然対応し、反応してくる。
だが、そこに上下の動きが加われば。
当然人としての視界しかないアーリンは、反応が遅れる。
圧倒的有利、森という環境下で布槍術を使う自分が圧倒的有利だと言える。
そうマーファは考える。
もちろん、それは間違いではない。人の視界である以上、その反応はアーリンの反応以上ではないのは間違いじゃない。
しかし、過去に見た技への対応を怠るアーリンではなかった。
同門であっても、いや、この姉弟子だからこそ準備を怠らなかった。
なぜなら一番手合わせをして、一番負けている相手だからだ。
何度も何度も頭の中でシミュレーションし、実際に拳を合わせながらその動きを文字通りその身に刻み込んだ。
アーリンはこの日初めての魔石の力を使用する。
他者の眼には映らない、極々小さな水滴を姉弟子の軌道の中にねじ込む。
そして石から吸い上げた力を、全身へと脈動させる。
突如加速したアーリンの姿を懸命に追うマーファの眼に、何かが飛び込んでくる。
反射で瞬きを強制され、視界がふさがる。
目を離した一瞬、アーリンは距離を詰めマーファの眼前に立つ。
一瞬の出来事に焦ったマーファの突きを払い、肘を拳で打ちマーファの武器を制する。
近距離を嫌ったマーファは、蹴りでアーリンを引きはがしにかかる。
しかし、マーファに伝わるはずだった脚から衝撃は一切なかった。
わずかに何かが触れている感触だけが、マーファに伝わる。
アーリンの足がマーファの蹴りに優しく寄り添っている。
まずい。
本能でそう感じたマーファは蹴り足を自分の下へと引き寄せる。
しかし、アーリンの寄り添った脚はそのまま姉弟子の蹴り足と共にマーファの下へと来てしまった。
蹴り足が地面へと戻ったと同時に、足の甲への衝撃が襲う。
強い衝撃ではない、わずかに掛かった力が反応として現れる程度の力。
そしてその力は横へと移動していく、足の甲を抑えられながらアーリンのひざで自分のひざが押されている。
それは分かっていても反応できないタイミングで、マーファのバランスを崩す。
ひざが地面へと落ちる。両手も武器を放し顔が落ちるのを防ぐ。
そして完全に戦闘態勢を崩されたマーファの顔の前には、アーリンの拳が突きつけられていた。
眼前に大きく映されたアーリンの拳は、ごつごつとした武骨なものだった。
まるで自分の叔父の拳の様だった。
止めることができなかった。
アーリンの旅立ちを。
そう理解してしまえば、目からこぼれる涙を止める方法はなかった。
置いて行かれる。
それがただ悲しかった。




