14話「だれ?」
(こっちよ、そう。そのまま真っ直ぐ)
語り掛けられる声を頼りに、暗くなりつつある森を疾走する。
すぐ後ろに凶暴な狐を引き連れて。
幸い突如走り出したアーリンを警戒してなのか、はたまた疾走中には牙を振るえないのか、狐はアーリンを追うことだけを行っている。
しかもだいぶ余裕をもって。
アーリンが飛び越えた藪を迂回するような行動をとっているにもかかわらず、前に出る様子は見せない。
その事実がアーリンの心臓を一層速くする。
目のまえには、暗く閉塞感を覚える森の中。
いつも見知った森とはかけ離れた場所にいるという不安。
それに加えて後ろをついて離れない不可解で、凶暴な獣。
すがるような想いで、必死に声のする方向にひた走る。
少しして、アーリンの目の前が大きく開けた。
森の中、ポツンとたたづむように泉があった。
そしてなぜか、暗くなっていた森とは思えないぐらいの明るさがそこにはあった。
不思議ではあった。
しかしそんなことより、自分の視界が確保できたことのほうがアーリンにとっては重要だった。
しかも水辺なのにぬかるみを感じない足元。
加えて木の根などの起伏が少ない、森において比較的平らな地面。
「ここでなら!」
迎撃できる。
そうアーリンは考え、足を止め狐をにらむ。
観念したかと言いたげな狐の表情がそこにはあった。
ゆっくりと歩を進める狐に対し、大きく息を吐いて呼吸を整え構える。
先ほどは忘れていた、闘気術も全身を覆っている。
狐は突如加速し、アーリンの首めがけてとびかかる。
視界を確保したアーリンは、一息ついたことで動揺を少しだけ納めることに成功していた。
さっきは消えたかのように見えた狐の加速も、辛うじて眼に映すことができていた。
狐を懐深くまで呼び込み、奥に構えた右手で打ち払う。
本来閉じるはずのない位置で、強制的に狐の顎は閉じられる。
顎を閉じ目線を空に向けさせられた狐の体にアーリンの拳が複数回打ち込まれる。
そしてアーリンの脳裏に、師匠の言葉が呼び起こされる。
『いいか。よく人体を水の詰まった革袋に例えるが、あれは半分だけ正解だ』
そう師匠はアーリンたちに言い聞かせていた。
曰く、水と空洞の多重構造の革袋こそが人体だと。
そしてその中に浮かぶ極小の一点が人の命だと。
『その一点を打ち抜くにはどうしたらいいと思う?』
答えを探しておけ。
師匠の言葉では教えてくれはしなかった。
もしかしたらまだ早いと伏せていただけかもしれない。
しかしアーリンは自分なりの答えを考え、そしてそれに取り組んでいた。
アーリンにより弾かれた狐は苦も無く体勢を直し、再度アーリンへ向かって突進を試みる。
先ほどよりも鋭い動きで。
迎え撃つアーリンは拳を解いて、軽く五指を曲げる。
そしてそれを習った突きの要領で相手に打ち込む。
アーリンの突きは今はしっかりとした重心の移動によって、以前よりも確実に威力を増している。
それを拳より小さな面に集約して狐に打ち込む。
アーリンの指先にぬるりとした感触があった。
それは狐の突進力と、アーリンの一撃の威力を受けてより深くなっていく。
アーリンの貫手は深々と狐の喉元に突き刺さる。
狐にとって致命的な傷となってアーリンの修練の成果となった。
貫手を引くと、狐の喉元からおびただしい血が噴き出る。
「……勝った」
そう安堵したとたん、血に濡れた指に激痛を感じる。
痛みに負けて、握ることもできない。
脱臼もしくは折れているかもしれない。
だが、そこにあった脅威は過ぎ去った。
それがよほど大きかったのか。
力が抜けて足で自分を支えることすらできなかった。
地面についた手に再び激痛が走る。
「~~!!」
不思議な感覚だった。
アーリンの感じる痛みと同じくらい、激しい歓喜が全身を覆っていた。
生の喜び。
前世を含めて感じたことのない喜びがそこにあった。
そしてその歓喜が引くと、先ほどの声を思い出す。
自分をこの場所に誘った謎の声。
エルフの精霊術で使用する言語とは違い、アーリンの眼にもはっきりと映っていた。
しかし周囲には、声を発するような生命体はいない。
アーリンの眼もそう告げている。
「まさか……お化けとか言わないよな」
思わず口にした考えを頭を振ってはじき出す。
恐る恐る泉に近づき、その中を覗き込む。
水面に映るのは自分の顔だ。
ホッとして、汚れた指先を洗い流す。
水にぬれた指を振るい、痛みをかみ殺して周囲を見渡す。
やはり周辺に自分を見る視線の類は見当たらない。
だけど何故か、誰かに見られているような視線を感じる。
その方向を確認すると、水面があるだけ。
水面から投げられる視線のようなモノ。
「いや、あり得ないよな」
嫌な予感を感じながらも、確認しないといけないという強迫観念に負けて再び水面を覗き込む。
やはり自分しか映っていない。
「いるわけないよな」
ふいに後ろの茂みがガサリと音を立てる。
心臓を跳ね上げたアーリンは飛び上がるように、立ち上がり水面に足を突っ込む。
濡れたし元など気にする余裕もないまま、茂みを凝視する。
出てきたのは子ぎつねだった。
弱弱しい足取りが、先ほど襲われた子ぎつねであると教えてくれていた。
同じ相手に襲われたアーリンは、とっさにその子きつねに手を差し伸べに走り出す。
倒れこんだ子ぎつねを抱え、泉に向かい手ですくった水を与える。
「大丈夫か?」
差し出された水を何とか口にするその姿に、安堵が訪れる。
「もっと飲むか?」
そういって、目線を泉に向けると水面にはアーリンが写っていた。
いや、アーリンだけが写っている。
手に抱いた子ぎつねは水面にはなく、物珍しそうにアーリンを見るアーリンだけがいた。
「……うわぁぁぁっぁぁぁぁぁぁ!!!」
思わず子ぎつねを強く抱いて、指が痛いのも忘れて泉から離れる。
そんなアーリンを追うよに、水面のアーリンは水を押しのけながら空気中へと這い出して来る。
「あ、悪霊退散!! あっち行け!!」
思わずそんなことを口走るアーリンに、這い出てきたアーリンは不満げな表情を見せる。
「驚くのは仕方がないけど、悪霊はないんじゃない?」
その声には聞き覚えがあった。
「その声……もしかして、さっきの?」
涙声のアーリンの声を聴いて、もう一人のアーリンは元気にうなずいて見せる。
「そう! わたしだよ」
自分の姿から聞こえる女性の声に違和感を感じる、いや、なんで自分の姿なのか?
アーリンは激しく混乱をしていた。
異世界であれ、こんな現象が実際に起きるのか?
声に敵意が見えないのも混乱の一因。
万能眼が正常に起動していること、それが分かってしまうから。
「あなたは……だれ?」
思わず口を突いて出てしまった言葉。
それに呼応するように、アーリンの姿をしたものに波紋が生じる。
「わたしは、そうね。水の精霊……ううん、水の大精霊よ」
そう言うと、そこにはもう一人のアーリンの姿はなかった。
精霊のように宙を漂う、人型の水の塊。
それは見慣れた精霊と似ているようで似ていない。
違いは……そう、その表情がやけに生々しく見えるのだ。
なにより言葉で意思の疎通ができる精霊というのは、アーリンの記憶にはない存在だった。
その一点のみであっても、大精霊という言葉に納得できてしまった。




