13話「助け」
目の前の泣いている女の子に、アーリンは言葉をかけることができないでいた。
なんという言葉が正しいのかすら、わからないでいた。
しかし、そんな無力感よりも目の前に広がる光景に、眼を奪われてしまう。
目の前の少女が放った言葉、積もりに積もった感情の発露。
怒り、憐愍、後悔、慚愧。
それらは決して、投げつけられて気持ちのいいものではない。
それなのにアーリンの眼には、色鮮やかな音の波が視界一杯に広がっている。
思わず口から感想が漏れ出す。
「きれいだ」
日が登り森の切れ間から差し込んでいる光、それに負けない少女の放った色彩。
生まれてすぐに見た、精霊たちの遊泳のようだった。
思いがけないアーリンの言葉に、少女はからかわれているのかと表情を変える。
だが、アーリンの表情を見るとからかいの言葉ではなく本心のように見える。
目の前の少年の特性は、叔父から聞いている。
現に精霊術の行使に対する陰りは、今なお消えていない。
そしてそれに付随している里の人間たちとの摩擦も見ない日はない。
そのせいかアーリンが、表情を変えるところはあまり見ない。
それもこんなにも和らいだ表情は、初めてか見るかもしれない。
エルフとしては子供の年齢だが、里の外を知るハーフエルフ、ましてや目の前の子供の倍は生きていると言う自負がある。
怒りが収まるわけではないが、矛を収めるまでには落ち着いた。いや、興が削がれたと言うべきか。
そもそも怒りの源泉に彼はいないのだ。頭に大人げないの一文が浮かぶ。
ただ先ほどの感情の吐露をどう誤魔化そう、そんな思案に助けが入る。
藪から子狐が飛びてて来た。
二人とも周囲に気を配っていない状態だったため、驚き、弓を番えるよりも拳を構えてしまっている。
しかし子狐は二人を襲う訳でも、逃げる訳でもなくその場で倒れたまま動かない。
しばらく警戒をしていると、藪の奥から別の狐が這い出てくる。
言い様のない不穏な空気が二人を支配する。
「マハ姉、これって……」
「ええ、様子がおかしい」
おそらく藪の向こうから子狐を投げ捨てたであろう狐は、その獲物を他所に、明らかに二人に対して意識を向けている。
「マハ姉、だめだ。やる気だ」
アーリンの眼には狐から殺気が向けられているのが見える。
しかもそれは狩猟の本能からくるわけではない、怒りを纏った殺気を放っている。
二人はそれぞれ左右に別れ、狐から距離をとる。
それでも二人に向けたままの殺気が届く。
そして狐は距離が開いた分ゆっくりと距離を詰めてくる。
明らかに師匠の話しと違う行動に出る狐に、二人の子供は頷きあってそれぞれ行動を開始する。
アーリンが前に出て狐を牽制、マーファは全力で逃走し師匠を呼びに走り出す。
年下のアーリンが残るのは、森を走るならハーフエルフの方が長けているから。それだけの理由で二人はお互い最善と思われる選択をそれぞれが行った。
狐は逃げる子供を一瞥し、目の前の敵を見定める。
ふと視線が外れたかと思うと、狐の体が消えアーリンの足元に突然現れる。
足に向けられた牙をなんとか避け、再び距離をとる。
頭を左右に振り、まるでアーリンの動揺を確かめるかのように耳を動かしている狐。
そして今度は体ごと左右に揺れながら、アーリンの足元に迫る。
牙による連撃を辛くも避ける。
師匠との修行の成果が、確実に出ている証拠であった。
しかし、師匠との修練は対人戦闘を主軸としているものである。
そしてアーリンの実戦経験も、対人だけで占められていた。
四脚から繰り出される、予想より低い攻撃に修練していた武を忘れてしまう。
その結果、アーリンの心中は動揺で満たされていた。
動揺は思わぬミスをもたらすものだ。
アーリンは何も考えず、反応するがまま両足を後退させ攻撃を避ける。
森の中だということを忘れて。
森の中は起伏が激しいという、これまで修練していた環境をおもえば当然の知識を忘れさせるほど、動揺していた。
結果、アーリンの脚は地面に張り出していた木の根につまずき体勢を大きく崩してしまう。
背中を打ち付けて、仰向けに転がる。
それを見て、狐は本来の狩りの行動を見せる。
大きく飛び上がり、その牙をアーリンに向けて振り下ろす。
起きるのが無理だと判断したアーリンは、地面を転がり狐の牙を辛うじて避ける。
直後、狐は再び飛び上がり牙を振りかぶる。
避けていてはこれが続くと直感したアーリンは、右腕を差し出すように振り上げる。
狐は思わずそれに喰いついてしまう。
アーリンは右腕を伸ばし、皮膚と引き換えに狐の耳をとり体を交換することに成功する。
反撃のチャンスを見出し、とっさに拳を繰り出す。
狐は本能のまま、近くにある敵の身体めがけて自分の武器を繰り出す。
それを見たアーリンは自分の武器である拳を引き戻すことに意識を持っていかれてしまう。
完全な手打ちとなったアーリンの攻撃は、狐の警戒心を引き上げるだけになってしまった。
互いに距離をとり、正面からのにらみ合い。
膠着に見える戦場は、確実にアーリンに不利になっていく。
日が陰りを見せてきていた。
暗くなった森は、そもそも人の立ち入りを許さぬ暗闇になる。
そこを生活の場にしている獣たちとは違い、人の目は暗闇に対する耐性は優秀とは言えない。
特にアーリンにとって視界とは、自分の武器でもあり優秀な盾でもある。
先ほどの牙を避けたのも、かなりの割合で万能の眼のおかげでもある。
万能と言われてはいるが、それは人の眼をベースにしていることに変わりがなく、あくまで人の眼にとっての可視光線があることが前提の機能でしかない。
暗闇に対しては多少の暗順応を有しているに過ぎない。
視界の性能は大幅に制限がかかる。
それを知っているアーリンは、心の中で舌を打つ。
そんなアーリンの頭に響く声があった。
(困ってるなら、助けてあげましょうか?)
突然のことにアーリンの心臓は大きく反応する。
周囲に自分を見る視線は見当たらない。
(ここまで来て)
その声に誘われ、敵に背を向けて走り出す。
その声には悪意の類は感じることはなかった。




