105話 夢の少女
気が付いたとき、アーリンは夢の中にいた。
そう、これは明晰夢。
そう認識したアーリンは、記憶の最後の場面を頭に描こうとしていた。
何かひっ迫した何かがあった気がする。
しかし、それを思い出すことができない。
思い出せないなら、もう目を開けてしまおう。
そう意識を自分の中から外へと向ける。
聞こえる。
自分以外の誰かの声。
「何で……何で、怒るの? 何で……何で私を受け入れてくれないの?」
少女の声が聞こえる。
アーリンの夢の中で、聞き覚えのない少女の声。
一瞬の寒気がアーリンの背中に走る。
上下も所在もわからない場所に響く、少女の泣き声。
ちょっとしたホラーだ。
しかもついさっきまで、明るく感じていた周囲が暗闇に覆われていく。
そんな空間に響く泣き声。
自分の夢だというのに、明晰夢だと理解しているはずなのに、アーリンは身体を動かす勇気が出ない。
まるで聞こえてくる声によって、金縛りにされているかのようだ。
「勘弁してくれよ……苦手なんだよ、そういうの」
聞こえてくる声が怖くとも、耳を覆うこともできない。
怖いなら現実に逃げだせばいい。
そう想っても、何故だか声の正体が気になるのだ。
「ああ!! もう! ……仕方ないなぁ」
放っておいて起きて忘れる。
そんな選択肢もあったはずなのに、アーリンはやっと足を動かす。
そこが地面である確証もないのに、何となくの予感で泣いている少女へと歩き出す。
どのくらい歩いたのか、わからない。
夢の中の時間経過は現実のどれくらいなのかなんて、無意味な思考でおそれを紛らわしながら。
「やっぱり……いた」
暗闇に覆われたはずの空間に、少女が一人膝を抱えて泣いていた。
「なんで? ……どうしてなの?」
直ぐに声をかけようかと思ったが、少しだけ躊躇が生まれる。
もし振り向いた少女の眼が見えなかったパターンが怖い。
ありきたりな演出が、一番怖いのがホラーというジャンルだ。
この空間でそんなことをされたら、頬だけでなく股間も濡らしてしまう可能性がある。
しかし泣いている少女を見捨てて現実に還ると言うのは、どうせ心に影を落とすだろうと知っている。
起きた時に言いようのない罪悪感を味わうくらいなら、恐怖に飛び起きる方がマシだ。
それに……見たこともないはずの少女の姿に親近感を覚えてしまっている自分がいるのもアーリンは自覚していた。
「あ、あのさ、どうして泣いてるの?」
「みんな怒ってるの! 私を嫌いだって!!」
「俺は嫌いじゃないよ」
「うそ! どうせあなたも私を嫌うに決まってる!!」
泣いていた少女がアーリンの眼を見ていた。
予想に反して可憐という言葉の似合う女の子だった。
そんな少女が、嫌われたくはないと泣いている。
もう誰も信じられないと泣いていた。
「ウソじゃないよ。俺が君を嫌う理由がない」
そう初めて見た少女をいきなり嫌う理由はアーリンにはない。
そのはずなのに……自分の口にした言葉にどこか罪悪感を感じている。
見覚えはないはず、初対面のはずなのに、こんなにも親近感を覚えているのに。
拭うことのできない棘がアーリンの心には刺さっていた。
「……ウソよ」
アーリンの言葉が信じられないと、少女が再び顔を伏せる。
しかしさっきまでの激情はアーリンの眼には映らない。
……不思議な夢だ。
いつも夢の中では、アーリンの万能眼はないものとして表現される。
それなのに、今この夢の中では万能眼がいつものように機能している。
さっきまでどこかにあった微塵の恐怖が、ようやく晴れる。
それほどまでに、アーリンが万能眼を頼っていたのだという証明となっていた。
どこか安心したアーリンの言葉は、先ほどよりも柔らかく少女へと向かう。
「俺は君のこと……嫌いじゃないよ」
「……本当?」
「ああ。だから泣いている理由を聞かせてくれるかな?」
少しだけ明るくなった少女の顔は横に振られる。
言いたくない。
それはアーリンの眼にも映るほど、はっきりとしたものだ。
ようやく何かわかりそうだと思ったのに。
だが、少しだけ心に乗っていた重いものが減っている。
「はっきりと、嫌いって言われたの?」
「私とは一緒にいたくないって」
「……そっか。他にはなんて?」
「……」
また少女は首を振る。
自分よりも幼く見える少女、そんな時期にそんなことを言われるショックは少しだけわかる。
きっとその一言を聞くのさえ、かなりの勇気を振り絞ったに違いない。
「仲直りは難しそう?」
「……」
今度は縦に振られる。
きっと彼女は自分がその相手に嫌われる何かをしたと思っているのだろう。
だが、その何かがわからない。
相手がいってくれないのだから。
だから謝ることもできないのだろう。
「ちゃんと謝れたらいいね」
「……うん」
落ち込んでいる少女に寄り添うアーリン。
先ほどまで感じていた恐怖など、忘れてしまったかのようだ。
だからだろう。まだ顔を上げられない少女の髪を優しく撫でる。
撫でながら、柄にもないことをしているとアーリンは笑ってしまう。
噛み殺しながらも漏れ出てしまったアーリンの声に反応したかのように、少女は勢いよく立ち上がり走り出そうとする。
「あっ君! 名前は?」
どこかに言ってしまう前に確かめなくては。
アーリンが慌ててかけた声に少女は振り向く。
「私は――」
そこでアーリンの意識は身体へと帰ってくる。
何かにつかまりながら揺れる身体。
どうやら誰かの背中にいるようだ。
「アーリン! やっと起きたのね!?」
聞き覚えのある少女の声が聞こえる。
「マハ姉?」
「起きたのなら、自分の足で走って!! 追いつかれる!!」
何を言っているのか理解ができない。
いったい何に追われているのというのか?
「フハハハハハハハ!!! 大人しく我の施しを受けるがいい!!」
思い出したくもない声が聞こえてきた。
……そうだった。
自分たちは変態に追われていたのだ。
もう一度意識を手放そうか、迷っているとタメエモンの背中から落とされるアーリンだった。




