102話「邪魔」
しばらくアーリンの拳がぶつかる音だけが響いていた。
魚人の門番は、そのアーリンの行動に戦慄していた。
エルフという強者のはずの種族を、こうも一方的に殴れる実力。そしてもはや反応をかえさないエルフに未だに拳をぶつけている冷酷さ。
アーリンの表情は怒りの表情のまま固定されている。
それがまるで老人たちの言う悪魔そのものに見えてしまうのだ。
逃げ出したい。
今すぐこの場から海の中へと逃げ出してしまいたい。
しかし、さっき見せたアーリンの魔法も恐ろしい。
下手に動いて目を付けられてしまったら……。
彼はすでに職務を全うするという意思はなかった。
息を殺し、気配を殺し、自分に視線が向かないように祈ることしかできなかった。
そしてもう一人、アーリンの姿に恐怖している仲間がいた。
タメエモンだ。
彼の知るアーリンは、激情に流されることなく明るい気持ちでこぶしを握る人なのだ。
大好きな武術というモノに対しての好奇心。それがアーリンが拳を握る理由。
それなのに今のアーリンはどうだ?
まるでこの世の全てを憎み、目の前にいるエルフに対して憎しみをぶつけるだけの姿。
アーリンの動きからは、一切の武術らしさが失われている。
本能のまま攻撃しているのではないかと思わせるその姿。
違うとわかっているはずなのに、どうしても被って見えてしまう。
「……まるで魔物じゃなイカ」
唖然とし、誰が聞いているかなんて意識もせず、漏れ出てしまうタメエモンの本音。
だがどうしてか、誰からも反論の声は聞かれない。
そう見えてしまうタメエモンを否定できないのかもしれない。
見るに堪えないアーリンの姿。
タメエモンは思わず目を逸らしてしまう。
アレはアーリンの姿をした魔物のようなモノ。
そんな醜悪なものをいつまでも視界に納まているのは辛いと、本能が目を逸らす。
フレットもハクも似たようなものだ。
タメエモンのように本能が勝つわけではないが、止めなければという理性が勝つわけでもない。
仮にアーリンがエルフを殺してしまっても、先に攻撃したのはエルフである。
しかも自分で自分をこんな状況に追い込んだのだ。
止めるよりもアーリンの心が晴れる方が、彼らには重要なのだ。
本当にアーリンの心が晴れるのかどうかはわからないが。
それでも止める理由にはならない。
結局のところ、アーリンを止めるも止めないも決めるのは一人しかいないということだ。
自分の中にある煮えたぎる怒りに蓋をして、自分だって大声を上げて感情のまま拳を振るいたいという衝動を抑えながら。
マーファは足を踏み出す。
アーリンの感情もわかる。自分も似たような感情が生まれてしまっている。
叔父に対してもアーリンの母であるベガに対しても、エルフの里の全体に対して沸々と湧きあがる怒り。
何故自分たちを、何故アーリンをそっとしておいてはくれないのか?
つまるところはそこに帰結する。
エルフの大人たちが、何を考えているのかなんてわからない。
わかりたくもない。
……それでも!
こんな風にただ暴力を振るうアーリンを見たくはない。
優先させる感情が何なのか定めたマーファは、走り出す。
自分の振りも、アーリンの有利も関係ない。
アーリンの振り上げた拳に自分の武器を巻き付ける。
アーリンの拳の勢いを少しだけ削いで、それでも加速しようとする拳の勢いに飛び乗る。
先ずは顔、アーリンが一番嫌がることをマーファはよく知っている。
視界を塞がれること。
それは万能眼を持つアーリンが特に嫌がる行為だ。
じゃれついてしまった時。姉弟子として弟弟子とマジな喧嘩をしたとき。寝ている時でも眼球付近を触られるのは嫌がる。
自分の最大の武器がなんであるか、アーリンが理解しているからだ。
だが、今この時はマーファもお構い無しだ。
目の前のエルフではなく、自分の注意を向けるため。
止まらないアーリンを止めるためには、アーリンが嫌がるかどうかなんて関係がなかった。
案の定、エルフに向けていた拳を止めてマーファの布をどかそうと手を動かし始める。
だがただ布を掃わせるわけにはいかないマーファ。
巧みに布を操作し、アーリンの手から逃げてみたり掃いに来た手を絡めとろうと攻防を繰り広げる。
「邪魔を……するな!!!」
「するに決まってるでしょ!!」
「この……っ!!」
その姿は一見すると、布を引き合い遊んでいるかのように見えた。
しかし、その場にいる皆が巧みな攻防戦に目を奪われていた。
目を逸らしたはずのタメエモンも、息を殺して存在を消すことに必死になっていた魚人も、目を奪われてしまっている。
互いに布を通じて相手のバランスを崩そうと躍起になる。
一歩たりとも動かない二人の足元。
それはまるで申し合わせた演武にも見える。
しかしアーリンの苛立った表情が、マーファの必死の形相がそうではないと言っている。
譲れない何かをかけた戦い。
それが見ている者たちに、さっきまでの悲壮な空気ではなく興奮の熱気を伝える。
もう意識のないエルフのことなど忘れ、二人の何かをかけた攻防の一挙一動に声を上げずにはいられなかった。




