プロローグ:「おせっかい」
月明かりに照らされた一室に、二つの影が伸びる。
一人は男。口周りに髭を蓄えているが、長さをきちんとそろえてあり不潔感を与えない。むしろ几帳面な印象を与える。ただ髭はまだ黒々としていて少しだけ背伸びしているような印象。
虚勢ともとれる。
男がもう一人に声をかける。
椅子に座り、固い表情のままの女性に向かって。
「我が子をそなたに譲れと?」
若干の不信感を声に乗せ、疑問が投げかけられる。
なぜを問うているその言葉。
だがその突拍子もない提案を受けたにしては、落ち着いた様子の男の姿。
そこにはある種の信頼を相手に寄せている雰囲気が流れている。
「ちょっと神託があったの」
もう一人、金色の長い髪を腰まで伸ばした女の姿。目鼻立ちがはっきりとしている。
女が通りを歩けば、多くの男の目を奪うのが想像できてしまうほどの美しい顔立ちをしている。
しかし、その耳は人ではないことを語っている。同室している男より長い耳、エルフと呼ばれる長命の種族である証を持っている。
女は立ち上がり、窓まで進んで外を眺める。
眼下に広がる石造りの街並み。
遠くには町と外界を区切るように高い壁が見える。
その壁も自分の視点から下にあり、自身のいる建物がいかに大きい物かを説明してくれている。
そしてその一室の主である男の身分をも説明している。
そんな眺望から視線を外さずに、エルフの女は男への言葉を続ける。
「神託に寄れば、あの王子は長くは生きられない。このままじゃ」
エルフの女が顔を歪ませる。
エルフの言う王子。男の子供はつい先日産まれたばかりの最も新しい王族だ。
上に兄弟がいるため、王位を継ぐ可能性は低いものの眼下に広がる町中お祭り騒ぎで誕生を祝福してくれたのを王はつい今しがたのように覚えている。
もちろん、目の前にいるエルフも直接祝福してくれたのも覚えている。
それ故に、我が子が長くないと言われたことに理解が及ばない。
ただ、神託により長らえることができると彼女は言っている。
恐らくそれ以外の選択肢はないのだろう。
神が自分の子供の存命を望んでいるという僥倖。しかし自分では育てることが叶わないという絶望。
複雑な想いが王としてではなく、一人の父親として決断を迫られていた。
複雑な想いが胸にあっても、何故神がという疑問は解消されない。
そんな表情の王を見て、エルフはさらに言葉を足していく。
「異常と言える強い力を持っているそうよ」
親である王にとって強い力と聞けば、大変喜ばしいものではある。神が保証するほどの強い力を持った王族なら歓迎するべき子供だ。
王位を継がないにしても、いるだけで他国へのけん制にもなる。
その言葉を聞いたからこそ、王は今度は納得できない表情へと変わる。
「精霊や、それに類するあらゆるものを視認できる目をもって生まれてきたらしいわ」
エルフはそこまで口にすると、幼い王子の行く末を案じて悲痛な表情に変わる。
エルフという種族でもごく稀に、精霊を見ることができる者が生まれることがあった。
しかしその姿は、虚空を見つめ何かを追う姿は長大な寿命を持つエルフにとっても異質に映る。
それが短命な種族の中にあったのであれば、排除という単語以外が頭をよぎることはない。
それに加え、精霊に類するものまで見えるのであれば?
国を治めるべき王族の中にそんな姿をさらす子供が無事でいられるわけがなかった。
それを理解しているからこそ、エルフの女は神の要請に納得できてしまった。
目の前のこの優しい王は、自分の子供を簡単に排除できるほどその地位に侵されてはいない。
近い将来、苦悩する友人の姿や不和になる夫婦の姿が容易に想像できてしまう。
だからこそ、エルフは子供の保護を快諾した。
心優しい王に、子供を排除させないために。
王がしかしを口にする前に、エルフはさらなる事実を告げた。
「残念ながら人里に居る限り、10歳を迎えることはできないそうよ。もう4度ほど力を行使したみたいね。あの神様は」
そこまで言われては、言葉を紡ぐことは王にはできなかった。
王も知っているからだ。この世界を守護する神は、時を操る能力を有している。
しかし、その力は無限には発揮できない。
一つの事象に対して最大で6度といわれている神の力が、我が子の生存に使われていることへの喜びと、4度も使われながら10歳に満たないうちに断たれることになるという事実。
自分の無力さを理解した。理解できてしまった。
それ故にもう決断するしかなかった。
「あんなに盛大に祝ってくれたのに、国民には申し訳ないな。しかし、伝えなければならんな。王妃にも何と言えばよいものか……」
「そのままを言うしかないわね。無事を望まないわけがないわ、あの娘は」
「そうか、……そうだな」
部屋を出ていこうとするエルフの背中に、王は最期の願いとばかりに声をかける。
「抱いてやってもいいか?」
「ええ、そうしてあげて。あの子もそれを望むでしょう」
二人は連れ立って部屋を出ていく。
翌日、生まれたばかりの王子の名前とその王子の死去が国中に告げられた。