祖父の残したタイムカプセル
お誕生日おめでとう、とメッセージが届く。
二一二〇年三月八日、今日でショウタは一五歳になる。家に帰ったらパーティーが待っている。正直、乗り気はしない。だって母が帰ってこないから。仕事らしかった。
ショウタは浮かない顔で新宿東口近辺を歩いていた。人通りの多い、雑多な街の空にはドローンが何機も飛行していて、ネット通販の荷物を運んでいる。夕暮れ時の空にはプロジェクションマッピングで映し出されたインフルエンサーたちのCMが流れている。新作のロカボ食品だとか、大豆ミートだとか、メタバースだとか、そんなワードが踊っている。ショウタは両足を使って歩いていたが、過半数の通行人らはキックボードかバランススクーターに乗っていた。自動運転モードにして、手元のスマートフォンに目を向けている。
ある日本人の三人家族が目に止まった。その街では家族の姿が珍しかったから、余計に目を引いた。両側に立つ父親と母親に手を引かれて、四歳くらいの男の子が笑っている。
不思議な光景に思わず見とれてしまった。
その世界はショウタにとって憧れだった。だけど、どんなに魅力的なお店を発見しても、友達になれそうな冴えない髪型と服装をしている若者を見つけても、話しかけることは出来ない。それらは一様にアーカイブなのだ。ショウタはこの時代に生まれたら良かったと、改めて感じた。
ショウタはある用事を思い出して、ワールドゲートを開いた。人差し指と親指を合わせて、空間をつまむようにして広げる。移動用の光トンネルが目の前に広がる。その波模様の空間の中に身を投じると、ショウタの身体は光の早さで地元の町へと送り届けられた。
ジュピター町、第四開発区域。ショウタの生まれた町だった。比較的新しいワールドで、衣食住は大手チェーンの店舗を含めれば困ることはなかった。実用性を重視したワールドで景観はあまりよくない。整備された公園には人がまばらにいて、のどかに暮らしている。治安も悪くない。この町で発生した犯罪と言ったら、なりすましの投資詐欺くらいだろう。
ショウタが町に戻ると、すぐに友達から連絡が入った。目の前にある小窓が開いて、中から恐竜の首がにゅっと飛び出してくる。緑色の肌にオレンジ色のとさか頭、くりっとした眼をしている友達は、最近その格好がお気に入りらしい。目をぱちぱちさせて友達が言った。
「よう。また新宿行ってたの?」
「うん」
「好きだね。そんなにあの時代の東京がいい?」
「いまより断然」
二〇二七年の東京。ショウタが最近よく足を運ぶワールドアーカイブの一つだ。新宿の街がアーカイブ化され始めたのはちょうど二〇二七年で、当時存在していた日本の株式会社が衛星データとAI技術を活用して自動で世界を構築し始めたのがきっかけだとされている。ドローンが街中を飛び回り、至る所で三六〇度撮影が行われ、人々の生きた証、すなわち動的データをサーバへ蓄積し続けた。今では地球の主要な都市の一〇〇年間のアーカイブがこの仮想空間上で分散管理されている。
ショウタは現代旅行より過去への旅の方が好きだった。かつて存在していた街を訪問することは、ショウタにとって言い表せない気持ちになれる最高の体験だから。
「今から遊びに行っていい?」
友達が尋ねてくる。
「まだ早いよ。それにこれからメンテナンスなんだ。BOXが汚れてる」
「そうか。二年ごとに掃除しないと汚いからな。じゃあまた後で」
そう言って友達は帰って行った。
ショウタは町の役場にまで移動して、受付のロボットに伝えた。
「BOXメンテナンス」
ロボットはショウタの顔をスキャンしてから、返事をよこした。
「お待ちしていました。ショウタ様。今ご利用頂いているBOXは二〇八〇年製のもので、二〇九〇年以降のものへと移し替えが推奨されています。無償のBOXをご利用になりますか? 最新のBOXをお選びいただけます」
「有償のはいらないから無償で変えて」
「承りました。それではメンテナンスは二時間ほどで終わりますので、外の世界でゆっくりおくつろぎ下さい。遠くへ行くことはご遠慮下さい。法令違反になる可能性がございますので、事前にこちらの動画をご覧下さい」
ショウタは旧リアル世界での注意事項をおさらいすると、一筆サインをして仮想世界の外へと退出した。
目を開けると狭いBOXの中に、自らの身体が収まっていた。真っ暗な室内が徐々に照度を上げていく。機械が自らの身体をゆっくりと稼働させて、肉体の本来の感覚と重力の気だるさを思い出させてくれた。二〇分もすると機械は稼働を止めて、正面の扉が音を立てて開いた。
ショウタはゆっくりとBOXから出ると、渡り廊下を進んで建物のテラスへと出た。他にもメンテナンスを待つ人たちがちらほらいる。
旧リアル世界は曇り空で空気は淀んでいた。過去に何度かこの場所に来ているが、晴れを見たことがなかった。もし晴れていたら、記念に写真を撮っていることだろう。
テラスから覗む景色はどこか懐かしかった。遠くでロボットたちがせっせと旧リアル世界の仕事をこなしている。犯罪者たちが服役中でロボットらの尻拭いをしていた。刑期を終えるとまた仮想世界へと戻ってこられることになっているから熱心に働く。旧リアル世界に居続けることは、皆にとってイヤな仕事なのだ。
ショウタたちのいるテラスと、向こうの旧リアル世界との間には巨大な檻があって、仕切られていた。
振り返ると『京都ワールドコネクト』と電子看板が紫色に光っていた。
「君はどこに住んでるの?」
と側にいた大人の男性が話しかけてくる。
「ジュピター町の第四開発区域です」
「そう。ボクはヴェネチアだ。ちょっと暇だし話そうか。立っていると疲れるだろ。そこに座りなよ」
ショウタは促されてベンチに腰を下ろした。
「行ったことあります。母と。ゴンドラに乗って」
「観光客は多いからね」
「でも地価が高いから、住むのは難しいです。どんな仕事されていますか?」
「小説を書いてるよ。君は学生かい?」
「はい。そうです」
ショウタがうなずいた。
「保護者がいるのかい?」
「母がいます。デザインの仕事をしています」
「そうか。家族は珍しいからね。大事にしなさい」
「はい。でも、息子の誕生日にも帰ってきません」
とショウタは不満を口にする。
男の人は笑って答えた。
「君のために働いているなら、立派じゃないか」
「誕生日くらいは帰ってきてもいいと思うんです。母はボクより仕事の方が楽しいみたいで」
「みんなそうだ。働くことが楽しいことだって知れば、君も同じこと思うよ。誕生パーティーしている暇じゃないってね」
「昔の人なら良かったのに。一〇〇年前くらいの」
「旧リアル世界が? どうして?」
男が興味ありげに尋ねてくる。
「家族で手をつないで、東京の街を歩いていました。いいなって思って」
「その分、不便さは増すよ。彼らを見てごらん」
と男が指をさす。その先には、テラスの下でせっせと働く犯罪者たちの姿があった。
「旧リアル世界は、非効率の固まりだ。それらをなるべく自動化して僕たちは仮想世界でいまの豊かな暮らしをしている。戻りたいとは珍しい少年だね」
「東京のアーカイブを見たことありますか?」
「昔に訪れたかな」
「わくわくしませんか?」
「でも実際に街を歩いたら面倒になるよ。隣町に行くだけで一苦労だ。電車に乗って、階段を下りて、それは非効率だよ。なにより人がすし詰め状態だ。いま過去を見てあこがれても、それはその時代の良い面しか見ていないことだと私は思うよ。それよりいまの時代をより良く生きることを考えればいいんじゃないかな。昔の人はアトランティスに憧れた。二一〇〇年の若者は東京に憧れるんだね。どちらも消えてしまった都市なのに」
東京は二〇四〇年の大地震と富士の噴火によって都市機能を奪われた。いまではその多くが灰の積もった無人地帯となっている。
男が立ち上がった。
「メンテナンスが終わったようだ。今度はリアル世界で会えるといいね」
「はい」
「君と話していてインスピレーションが沸いたよ。次の連載は、心が離れてしまった現代家族を題材にしようと思う。僕のペンネームはこれだ」
男が手を差し出す。
ショウタも右手を差し出して握手を交わした。中に埋め込まれている端末を通じて互いの承認の元で個人情報が交換される。
ショウタは小さく手を振って、男を見送った。
残りの時間はぼーっと空を眺めていた。
ロープウェイが一度、テラスの近くを通りがかった。新たに服役する囚人たちを運んでいる。ロープウェイ一台の中に三人の男女が乗っていた。ショウタはそちらへ視線をやると、一人の男がこちらを見ていた。目があって、少しどきりとしたが、向こうからテラスの中を覗くことは出来ない。外との接触は絶たれている。接触すること自体が禁止事項の一つであった。
ロープウェイはゆっくりとした動きで遠ざかって行った。
BOXメンテナンスを終え、部屋に戻ってくる。
まだ誰もいない。パーティーには早い時間だった。母は戻ってこないのだろう。犬型のペットに餌を与え、空いた時間を潰すためにSNSを周回した。
すると一羽のフクロウが窓際に止まり、くわえていた手紙を部屋の中に投げ込んだ。手紙はショウタの手元に飛んできて、ショウタはそれを受け取った。
『ハッピーバースデー』
表紙にそう書かれている。中を開くと一枚の手紙と鍵が出てきた。
紙面に目を落とす。一〇年前に亡くなった祖父からだ。ショウタは胸がざわついた。ショウタは母よりも祖父に育てられた記憶が強い。どうして亡き祖父から手紙が来たのか。恐らくこの日に手紙が届くように予約されていたのだろう。祖父は変わり者だったから不思議ではなかった。
手紙には、とあるワールドへの限定アドレスが記載されていた。同封されている鍵は入室のために必要なパスだ。
「僕のタイムカプセルを送るよ」
とメッセージが添えられている。
ワールドの記録日は二〇四九年八月三日。いまからおよそ七十年前だ。場所は祖父がかつて何度も足を運んだと話していた東京だった。
少し逡巡するも好奇心が勝って、ショウタはそのワールドアーカイブにアクセスした。
目に飛び込んできたのは、灰色の世界だった。地震で倒壊した建物が道なりに続く。路面に落ちている看板の上に灰がたくさん積もっていた。それら全て富士の噴火で運ばれてきた灰なのだ。汚れた雪国のようであった。
防護服をきた人たちが、まばらにいた。何か巨大な荷車をロボットに引かせている。空には巨大な戦艦ドローンが一機、停留していた。その巨大ドローンの底部から降下用の長いポールが三本垂れ下がっている。そこからまた何人か防護服を着た人らが降りてくる様子が目に映った。
変わり果てた東京の街を見て言葉を失った。ショウタはこの時代に足を運ぶことはなかった。だって、なにもないから。世界的な遺産として残されているアーカイブであることは承知していた。しかし無数にあるアーカイブの中で、この場所に足を運ぼうという物好きはそういない。
歩いても灰を踏みならすことは出来ない。不干渉な世界。過ぎ去った記録が続くばかりだ。
少しして、一人の防護服を着た男がこちらに向かって歩いてきた。手を振り、男の声でこう言った。
「待っていたよ。あっちにコテージがある。そこで話をしようか」
ショウタは後ろを振り返る。その先に誰もいない。
「君に話しているんだ。名前を教えてくれ」
「僕に?」
「そうだ。他に誰がいるんだ」
ショウタは驚いた。夢かも知れない。目の前の防護服の男と会話が成立している。二〇四九年の東京にやって来たのだろうか。
そんなはずはない。
「僕の名前はショウタ」
「そうか。私の名は湯沢敬一郎だ」
祖父の名だった。
「驚くのも無理はない。ひとまず移動しよう」
二人は坂道を上って、公園跡のような場所へやってきた。その中心に新しい建物が立っている。建物へ入ると二人は強烈な霧を吹きかけられた。身を綺麗にして次の扉をくぐる。
簡素なベッドとテーブルと椅子が並んだ部屋だった。祖父は防護服の頭部を外して、顔を見せた。晩年にみた祖父とは違い、まだ四、五〇代くらいに見える。髪の色も黒い。晩年の祖父は白髪の多い格好を好んだ。
「良かった。来てくれたんだね。無事に手紙が届いたということだ」
「どういうこと? あなたはボクの祖父なの?」
「そうなのか? なら、そうなんだろう」
祖父が肯定する。
「君の暮らしている世界は西暦何年だ?」
「二一二〇年です」
「そうか。ここは、君も知っての通り二〇四九年だ。だが私は二〇五七年から来た」
祖父の話を聞いてショウタは混乱した。その様子に気付いたのか、祖父が付け加えて言った。
「二重アーカイブだ。知らないか?」
ショウタが首を傾げる。
「私は二〇五七年当時四十五歳だった。記念にアーカイブを残そうと思って、この東京アーカイブ上に上書きで記録を残した。このコテージも私が設置した」
ショウタは室内を見回した。祖父の言う通りこのコテージは綺麗だ。外から見ても灰をかぶっているようには見えなかった。
「つまりレイヤーが二層になっている、ということ?」
「そうだ」
「それは理解できます。ワールドがアップデートされることは良くあるので。でも、おじいちゃんがここにいるのが不思議で」
「私はAIだ。湯沢敬一郎の二〇五七年当時の人格を読み込んだね。この場所に配置されてから、ずっと誰かがこの世界へアクセスしてくるのを待っていた。恐らく親族がくるだろうと予想していたけど、孫がきたのか。娘はいま六歳だ。娘は元気にしているか?」
祖父の言葉で、ショウタはようやくなにが起こっているのかを理解した。
「母は、元気みたいです。ただあまり家に帰ってこないので、詳しくは知りません」
「そうか。うまく行ってないのか? 君はいくつだい?」
「今日で一五歳です」
「ほう誕生日か。おめでとう。私のやりそうなことだ。父親はいるのか?」
ショウタは首を横に振った。
「そうか。娘は君を体外受精で産んだんだな。六十九歳だと考えると、それが自然だ」
ショウタがうなずく。
「だけれど、私の時代もそれが当たり前だ。家族の形は様々だし、家族を持たない人間も増えている。効率化された仮想世界では、家庭というコミュニティは特に重要なものだと見なされなくなってきたんだ。君の時代の話をもっと聞きたい。君はどうだ? なにか私に聞きたいことはないか?」
質問を促されショウタが尋ねる。
「どうしておじいちゃんは、このアーカイブを残したんですか?」
「どうして? 深く考えてはいないかな。自分が生きた時代やいまの自らの考えを後世に残したいというのは、自然な願望だと思うけどね。タイムカプセルを残すなら、ガイドが必要だろ? 私はその役割を負っているんだ」
「おじいちゃんはこのアーカイブを、僕に残したかったの?」
「それはいまの私には分からない。君はまだ僕の記憶の中では存在していないからね。ただ、家族に見せたかったんだと思うよ。このアーカイブは大きくなったら娘に見せてやろうと思っていたんだ。でも君に見せたと言うことは、私の晩年の人生において、君が特に大切だったからだと推察されるね。私は君のことをショウタと呼んでいたのか?」
ショウタがうなずく。
「では私もショウタと呼ぶことにするよ」
祖父が目を細めて笑った。そのときの目尻に出来た皺まで祖父と瓜二つだった。口調もいかにも祖父で、ショウタはまるで目の前に本物の祖父がいるような気持ちになった。
「僕はおじいちゃんに育てられたんだ。母さんが仕事ばかりしているから、おじいちゃんが構ってくれた」
「そうか。晩年の私は、幸せだったのか?」
「亡くなる前日まで、良い時代を生きたって話してた」
「それは良かった。私は前向きだからね。ショウタもたぶん同じだ。前向きになるよ」
ショウタは顔を伏せた。
「僕は、今の時代はあまり好きじゃない」
「どうして?」
「暗いニュースが多い」
「そうなのか?」
「うん。世の中どんどん便利になっていくって偉い人が話してるけど、それ以上の大切なものが、消えて行ってるんだ。東京だってそう。今はもうない」
「天災にはあらがえない」
「戦争で滅んだ国もあるよ」
「ショウタの時代には戦争は減ったのか?」
「ワールドの所有権を巡って競い合ってる。ウイルスが流行ったこともあった。頭が犯されるんだ。おじいちゃんは日本で生まれて日本人だったけど、僕は仮想世界のジュピター第四開発区域で生まれたから、国籍は日本じゃない。文化が消えてるって、リポーターが深刻な顔で訴えていたよ。全部暗いニュースばかりだ」
「明るいニュースを見たらいいんじゃないか」
「おじいちゃんが同じこと話してた。でも世界が暗いから、暗いニュースが多いんだ」
「同じ物事でも明るく捉える人もいる。世界が暗いか明るいかを決めるのはニュースじゃない。ショウタ自身だよ」
「昔の東京に生まれたら、きっと良かった。あの時代は家族がいて、今よりたぶん平和で、文化がちゃんとあった。アーカイブを見れば、きっと誰もが言う。あの時代は良かったって」
「ショウタは東京に住みたかったのか?」
「うん」
「だけどそれは幻想だよ。時代は変わっていく。変わっていくから楽しいんだ」
祖父が一つ間を空けて続けた。
「この東京アーカイブは二〇四九年に記録されたものだ。この年になにが起きたか、ショウタは知っているか?」
ショウタは首を横に振る。
「仮想世界で暮らす人々が、世界人口の約半数に達したんだ。歴史的な年だった。私がまだ十代だった頃は、少数の人間だけが仮想世界で暮らしていた。暮らしていたと言っても、たまにアクセスするくらいだ。次第に仮想世界で出来ることが増えるにつれて、常時アクセスが当たり前になっていった。買い物するのも、病院で診察を受けるのも、学校へ行くのも、仕事をするのも、夜の営みも、全部仮想世界でやるようになった。移動に時間がかからないんだ。必然そうなる。家を持たない人が増えた。それは非効率だからだ。そのニーズを汲み取って、仮想世界に常時アクセス出来る集約型の大型施設が生まれた。ワールドコネクトだ。ショウタはいまどこからアクセスしてるんだ?」
「京都だよ」
「そうか。私は大阪からだった。東京が機能しなくなって、首都機能は大阪に移ったからね。大勢の日本人が死んだ」
「知ってる」
「だが国境はもはや意味をなさない。ショウタが先ほど言った日本人という概念は、もう衰退したんじゃないのか? 国も家族も、企業も、将来的には消えると私の時代から議論されていた。残るのは役割を担ったコミュニティだけだとね。これが私の生きている時代だ。激動と言えばそうかも知れない。ある者は変化を恐れ、ある者は希望を抱いた。人によって捉え方が変わるんだ。それなら物事は前向きに捉えた方が、楽しいと思わないか?」
「そうなのかな。でも僕は嫌だよ。大切なものが消えていくのは」
「大切なものは消えない。もし大切なものが消えたと感じるなら、それは一時的な流行りものだったってことさ。寂しさは残るだろうけど、流行りものをずっと見ていることは出来ない。あれは流星のように光って消えていくんだ。本当に大切なものは、心の中に永遠に残るはずだ。それに気がつく時がショウタにもくるだろう。年を重ねていけばね」
祖父が立ち上がり、防護服を身につけた。
「さて、そろそろ時間だ」
「あ、僕も誕生パーティーの時間だ」
「ちょうど良かった。あまり長く話すのは良くない」
「また来てもいい?」
「構わないが、時間は少しだ」
「どうして?」
祖父が答える。
「それも含めて分かる時がくる。宿題だな」
ショウタは腑に落ちなかったが、考える間もなく空間を移動した。室内の景色と祖父の後ろ姿が遠ざかっていく。
やがて見えなくなった。
部屋に戻ってくる。
手には東京アーカイブにアクセスするための鍵が握られている。ショウタはまだ心臓がどきどきしていた。死者と話した気分になった。頭ではあれが祖父でないことは理解していた。だけど祖父の姿をして祖父の考えを語るAIがどうして祖父でないと否定することが出来るのか。
パーティー二分前を知らせるアラームが鳴り響いた。ショウタはパーティー会場である自宅のリビングにまで、階段を降りて移動した。
ショウタがリビングに入ると、照明がぱっと点って、ミラーボールの中から花びらが降ってきた。クラッカーの鳴る音がして、学校の同級生と、暮らしている地域のコミュニティの人たちが明るく出迎えてくれる。
恐竜姿の友達が嬉しそうに言った。
「おめでとうショウタ! これで一五禁のワールドに入れるな」
「おめでとうショウタ君」
「十五歳のお誕生日おめでとう」
拍手やラッパの音とともに、たくさんの人たちが祝福の言葉をかけてくれる。ショウタは恥ずかしくなって俯いた。
魚人の格好をしているコミュニティの担当者がプレゼントを運んでくる。
「ショウタ君の成長を祝って、地元からのプレゼントです」
「ありがとうございます」
「これからも、地域の一員として、楽しい市民生活を送って下さい」
参加者たちは挨拶を終えると、各々が好きな場所で好きな人たちと談笑を始めた。テーブルには肉や魚、クッキーやフルーツなどが綺麗に飾られている。バーテンダーがカウンターの奥に立ち、カクテルを入れて振る舞う。ロボットがお盆を頭に乗せて、美味しい果実酒とビール、子供たち向けのジュースを運んでいる。三十人くらい集まっていた。その中の何人が生身の身体を持っているかなんて、大した問題ではなかった。
ショウタは疲れて、部屋の隅にあるテーブルに軽く腰掛けた。すると一匹のウサギの姿をした女性が隣に座り、話しかけてきた。
「おめでとうショウタ。大きくなったわね」
「母さん?」
「そうよ」
「なんで来たんだよ」
ショウタは声を荒げた。
「あら、喜ぶと思ったのに」
「嬉しくないよ。連絡もろくに寄越さずに。ふらっと帰ってくるなよ」
「ふらっと帰ってきたんじゃないわ。あなたの誕生日を祝いにきたのよ」
「俺のこと忘れて仕事してたくせに」
「仕事は大切よ。でもショウタのことも大切よ。息子の成長を気にかけない母親なんていないわ」
「ほんとかよ。じゃあ、もう少し家に帰ってきてもいいだろ」
ショウタの言葉に、ウサギは少し声のトーンを落として言った。
「寂しかったのね。悪かったわ。ごめんね」
「寂しくなんてないよ」
「どっちなの。分かりづらい子ね。相変わらず」
ウサギが少し笑って言った。ショウタもとりあえず母に怒りをぶつけたら、なんだかすっきりした。一緒に笑った。
「おじいちゃんに会ったよ」
「そうなの? お父さんに? 夢で?」
「違うよ。これ」
鍵を見せて、ショウタが続ける。
「東京のアーカイブが送られてきたんだ。おじいちゃんのAIがいて話せるんだ」
「あら、それは一五歳にならないと入れないワールドよ」
「そうなの?」
「そうよ」
「どうして?」
「未熟なまま過去アーカイブに入って、死んだ人たちと交流したらどうなると思う?」
「びっくりした」
「そのまま戻ってこなくなる人もいるの。だから年齢制限が付いた。でも、大人になっても、戻ってこない人は大勢いるわ」
「そんな危ないもの、おじいちゃんは僕に見せたの?」
ショウタは驚いた。
母が首を横に振って答えた。
「お父さんの時代はまだ自由に行き来していたの。今は色々と規制されている。青少年保護とかなんとかで」
「ふーん。母さんは会いに行かないの?」
「私は良いわ」
「どうして? おじいちゃん喜ぶよ」
「死んだ人に会いに行くのは死んでからで十分よ。それにそのアーカイブ世界にいるのは、おじいちゃんにそっくりなAIでしょ。母さんには必要ないわ。お父さんもそれを知ってて、ショウタに渡したんだと思うけど」
母の言い分は少し理解しづらかった。こんなにも不思議な体験が出来るのに。それでも祖父が最後に残した言葉の意味が、少し分かった気がした。祖父と母はやはり親子なんだと感じた。
「ねえ、来月どっか連れて行ってよ。旅行に行きたい」
「いいわよ。仕事が一段落したから、どこか遊びに行きましょ」
「じゃあヴェネチアに行こう」
「そうなの? 別に構わないけど」
ショウタは母と旅行に出かける約束を取り付けて、リビングを後にした。二階の部屋に戻ると、手に持っている祖父からの手紙と鍵を、机の引き出しの一番奥に閉まった。
タイムカプセルを開けるのは、当面先でいいやと思った。