六 あらためまして
ポラールは震え上がる足をなんとか抑えて灰色の少年と相対していた。
隙も無ければ油断もない。ぱっと見は普通の少年に見えるが、実年齢は見た目よりもずっと上だ。
異世界の魔法使い。
神秘の世界に住まうものと手を取り奇跡を行使するものたち。
ポラールの世界では神使だとか、神子だとか、そういった形であがめられる存在である。
(それがほいほい歩いているハルト様の世界、こわい)
普通に怖い。よく魔法大戦とか起きなかったな、と未だに不思議に思っている。
「かけたものは戻せるのか。可能であれば今すぐに返却してほしい」
「あ、はい。それはもちろん」
元よりそのためにかき集めた欠片である。思ったよりも淡泊な反応に安心しながら、集めたハルトの中身のかけら――心の破片とも呼べるそれをふわりと虚空から取り出す。
それは凍てつく冬のような冷たさを帯びて、焼き付くような炎の痛みを伴った破片だった。
(これはきっと、貴方の旅路に必要なもの)
あるいは慈愛を司るものであれば、善意から隠してしまうかもしれない。小さな小さなかけらたちは、失ってしまっても当人が気づかないケースも多いのだ。
けれど、とポラールは旅するものを守るものとしての矜持を持ってそれを彼へ返却する。
それは痛みの記憶。苦痛の記憶。彼の、最期の記憶。
「――なるほど」
ぱちりと静電気のような小さな音が鳴って、かけらは正しく彼に返却された。
「まあ、最期なんてこんなものか」
「はい。これで、状況がまだ飲み込みやすくなったかと」
「ベッタベタな言葉なら異世界転生、いや死んだ直前の肉を持ってきたという意味では転移と呼ぶべきか」
「どちらも正しいかなと、我は考えています」
ゆるりと春斗の目が動く。死の記憶を返却されてなおこの冷静さ。ポラールは徐々に守護するものとしての自我が強くなっているのを感じて口を開く。
「この世界は、先へ進むための力が弱い世界。我ら守護するものどもが権能を振るいやすい代わりに、今を生きるものどもの力が足りない世界」
春斗や春乃の住む世界はその逆だ。
神や精霊といったモノたちが人間の力に押される形で徐々に姿を消している世界。
ある種対極にある世界だ。それを理解したらしい春斗は眉間にしわを寄せて、バランサー、と小さくつぶやいた。
「さすが神秘に生きるもの……」
「あってるのか。となると、俺は単にここでふらふら生きていれば問題ないわけだな」
「は、はい」
理解がよすぎてほとんど説明する必要が無くなってしまった。
「転生とも転移ともいえるってのは?」
「肉体の再構築と精神の転移を行います。さすがに世界が違えばルールも違います故」
「ああ、そういう……」
眉間のしわは消えない。理解はかなり早いが、やはり引っかかるものもあるのだろう。
(本来であれば、というか他の守護するものであれば、きっと与えたのでしょう)
春乃が誰の守護を受けているのかはポラールは知らないが、少なくとも彼女はこの世界のルール、秩序、常識と呼べる知識を一通り把握している。
こちらの都合で呼び寄せたのだから、必要なものを与えるのは当たり前である。
しかし、と半人半馬の精霊は柔らかに微笑んだ。驚いたような灰色の目と目が合う。
「おそらくハルノ様から加護が与えられる、という話を聞いたかと思います」
「ああ」
短い肯定。春斗は右手を握ったり開いたりしてから息を吐く。
「要らないでしょう?」
「要らんな」
言葉は同時だった。くすりと笑みを浮かべれば、何か春斗は納得した様子で頷いた。
「なるほど、多重の側面を同時に抱えているのか」
「我らを目の前に分析するのはやめてもらっていいでしょうか」
「癖だ。悪い」
多分悪いとは思っていないのだろうな、とポラールは苦笑した。
灰色の少年は表情を変えずにじっとポラールを観察するように見ている。
トレード、と呼ばれるその現象は『世界同士で行われる貿易』と比喩されるものだ。
ポラールの世界は発展が足りず、停滞しすぎる。
春斗たちの世界は停滞が足りず、発展しすぎる。
多すぎるものと少なすぎるものがあればやりとりするのはあたり前だ。
それ故、世界はその世界に住まう命の移動を行うことに決めた。
いや、決めたと言うよりは生存本能に近い機能のため、この表現は正確ではないのではあるが、とポラールは当時頭を抱えて居たのを思い出す。
世界は確かに困るのだろうが、今、現在、その瞬間に生きる命にとっては関係の無い話と言えばそうに違いない。
(迷惑が過ぎる……!)
ポラールは最後まで『命の貿易』に反発していたが、結局は他の守護するものどもとともに最低一人は守護することになってしまった。
「まあ、いいか。起こったことはどうしようもない」
そして悩みに悩んで選んだその少年は、魔法使いという性質も相まって、ポラールの予想をいい意味で裏切り続けていた。
「二つ確認したいことがある」
「はい」
「一つ、俺の肉体を再構築したと言っていたが、機能は元の世界と全く同一と捉えて問題ないか」
首肯する。春斗は僅かに眉間のしわを深くしたが、すぐに二本の指を立てて二つ目の問いを口にした。
「二つ、俺の知る神秘はこちらで行使しても問題ないか」
「……というと」
「世界が違うんだろう。ルール、歴史、文化をはじめとする土台が違う神秘を行使することで何か悪影響を及ぼす可能性があるのかどうかを知りたい」
怪訝そうな表情に、慌てて首を振った。
「それは問題ないです。そも、歴史こそ世界が違う故異なりますが、その根底、基盤は大きく異なりません」
「大元が同じ、ってことか」
「はい。一つの大樹から枝分かれした先にある、葉っぱのようなものだと思っていただければ」
「ふむ」
頷きながら首は傾いている。無理もない、とポラールは小さく苦笑いを浮かべた。
今まで単一の世界で生きてきたただの人間が、突然世界同士の関わり、基盤の話をされても困惑するだけだろう。
「まあ、いいか。理解する必要があれば嫌でも理解はできるだろ」
半分独り言のような言葉を吐くと、春斗は肩の力を抜いた。僅かな疲労が浮かんでいるように見えたが、ポラールはそれには触れなかった。
いつかその世界で偉業を成し遂げる可能性があるとされた人間の命を譲渡する行為は、世界の延命措置としては効果的だが、巻き込まれる当人たちにとっては最悪極まりない。
旅するものどもを守護するポラールという存在は、ことさらにその行為が最低なものに思えて他ならなかった。
灰色の少年はまだなにかあるのか、と言った様子で半人半馬の精霊を見据えている。特に恐れや迷いは見当たらない。この会話が終われば、彼は当たり前にこの世界を歩くだろう。
「聞きたいことは他にはないですか」
「ないな」
即答である。現地の情報ぐらいほしがってもいいとは思うのだが、とポラールは内心苦笑した。
旅をするもの故に下手な情報の施しは拒むと予想はしていた。だがここまで徹底されると困惑するものがある。
「では、これにて我らは失礼します。ハルト様の守護は我らが司ります故、何かあれば適当な祭壇でも作って呼んでください」
「適当な祭壇」
「ハルト様を呼んだのは我らです故。それに我らは『旅するものどもを守護するもの』です、旅をする限り我らは貴方の助けとなりましょう」
必要であれば、の話ではある。
春斗は案の定灰色の目を迷惑そうにそらして、必要に駆られたらな、と言った。
ゆらりと空気がゆがむ。いい加減精神世界をつなげるのも限界らしい、きょとんとした目がこちらを見ていることに気がついて、ポラールは深く一礼をした。
「それでは――」
ゆらゆらと薄れる姿を目にしながら、ポラールは精一杯微笑んで見せた。
「あらためまして、ようこそ我らの世界へ」