微かな種火を、消してしまわぬように
炎の柱は途中から玉のような形に変わっていき、ひたすら上へ上へと進んでいく。
そして、それとともに小さくなる人影は、顔ほどの大きさに、やがて粒ほどにしか見えなくなり始めた。
「怖いか?」
昔木の上に無理やり登らされ、降りられなくなった記憶が蘇ったせいだろう。
気づくと、足は竦み、汗は滲み、呼吸は荒くなっていた。
それに、思わず力を込めてしまってもいたようで、着物が皴になってしまうほど、その体にしがみついてしまっていることを理解する。
「あっ……申し訳っ――ひぃっ」
「くっ……くくっ。本当に、愛い奴だよ、お前は」
慌てて手を放し、そのまま何も考えぬままに距離を取ろうとしたせいで、体が外に向かって傾き始める。
そして、落ちかけていることを頭が理解した瞬間、またもや抱き着いてしまった。
「……そのままでよい。俺も、その方が都合がよいしな」
「…………………焔様も、怖いのですか?」
下を見れぬほどに、抱き寄せられる体。
しかし、それ以上に、意外過ぎる言葉に驚いてしまった。
「ん?………………ははっ。はははははっ」
「…………どうなされたんですか?突然」
「いや、すまない。そうだな…………俺も、怖いのかもしれん」
突如響いた楽し気な笑い声の意味が分からず、疑問に思って見つめていると、優し気な顔でそう言葉を返される。
余計に理解ができなくなるも、血の繋がった火凛とですら通じ合えなかった私だ。
きっと、忌み子として同じ境遇にいた灯様くらいのことしか、わかりようがないのだろう。
それこそ、育ってきた環境が天と地ほどに違い過ぎるお人なのだし。
「貴方様ほどの力があっても、怖いものはあるのですね」
「いや……言われて見れば、恐怖などこれまで感じたことはなかった気がするな」
「なら、これが初めてなのですか?羨ましい限りです」
「……初めて、か。まぁ、これが恐怖なら悪くはない」
私には、逆に怖いものの方が多いくらいなので、本当に羨ましい。
でも、それほど怖いのだったら、こんな高いところまでこなければいいのにという言葉は心の中に留めておく。
(…………何考えてるのか、よくわからないし)
好意的にも見えるからこそ、逆にその感情が読みづらい。
これが、蔑みとか、怒りとか、そういった見慣れたものであるなら、すぐに感じ取れるのに。
「………………そういえば、私はあちらに行ったらどう過ごしていればいいのでしょうか?あまり、外に顔を見せるのは、よろしくないと思いますが」
恐怖を少しでも紛らわすために動かし続ける口。
別に、自由にさせて欲しいとかそういったことは望んでいない。
むしろ、そんなことされても困るだけなので、灯様のお屋敷に閉じ込めておいてくれるなら、一番それがよかった。
(…………許してもらえるなら、絵を描いてみるのもいいかも)
ずっと、灯様の姿を何かに残しておきたいと思っていたのだ。
自室の壁に刻んでみようとも思ったが、元々薄い壁なうえに、バレたら罰を受けかねないため泣く泣く諦めていた。
もし、それをさせて貰えるのなら、すごく嬉しい。
「…………ふむ。特に、考えてはいなかったな」
「そうなのですか?」
「ああ。というより、用がある時以外は、好きにしてよい」
好きにしろ。その言葉は、とても有難いものではある……あるのだが、そうであるが故に、余計に私を困惑させる。
何かをしろと、何かをするなと、言われたことはあっても、そんな言葉をかけられたことなどないのだ。
一日のうち、残された時間を自分で決めることはできても、それ以外も埋めようとすると私の想像力では、埋まりようがない。
(…………口に入れられる食事と水、それに雨に晒されない寝床。それだけでも、十分すぎるくらいだもの)
逆に、花嫁の準備だと、最近放り込まれた恵まれた環境に、どこか居心地の悪さすら感じるほどだった。
何かしていない自分が、怖い。そう思うような環境の中で、私はそう育てられてきたから。
「…………なら、何か雑事でもと、思っています。それこそ、馬を世話するでも、畑を耕すでも、料理でも、掃除でも、何でもいいので。もし、お許しいただけるなら、ですが」
「世話役は用意してある。あえて、お前がする必要はないのだぞ?」
とてもではないが、今伝えたことは南雲家の奥方様の仕事ではないのはわかっていた。
何かやりたいといいながらも、やるべきことはできない。
叱責されてもおかしくないことだと、自分でも理解している。
(…………無理なら、諦めよう)
そもそも、何か言える立場ではないのだ。
だから、一言でも、そう言われるのならすぐ退こうと、そう思っていた。
「…………申し訳ありません。大人しくしています」
「待て。そういう意味ではない…………だが、そうだな。条件がある」
「条件、ですか?」
「食事は、特別な事情がなければ共に食べよ。それに、危ないことはするな。護衛も兼ねて、お目付け役もつけておこう」
「…………その方の、お時間を奪うわけにはいきません」
「よい。ちょうど、奴も簡単な仕事を欲しがっていたところだ」
私なんかに人を割いていいのだろうかとは思いつつも、強いほどの口調で言い切られ、言い返すことができなくなる。
それに、もしかしたらこんな忌み子を一人で歩かせておきたくない。そういうことなのかもしれなかった。
「寛大なご配慮、ありがとうございます」
「……………………その態度も、いや。今は言うべきことではないな」
「あの……何かおっしゃられましたか?」
「何でもない。とりあえず、今はな」
いつの間に、こんなに地面が近いところまで降りて来ていたのだろうか。
薄くなりつつある炎の膜と、吹き付け始めた柔らかい風が、相手の声を攫っていってしまう。
「……もはや、邪魔者はいない。我が愚父もお前の愚妹も。ならば、ゆっくりと行こう」
「え?あ、はい」
初夏の風が、微かな暑さを感じさせる中。
大地に降り立ち、歩き始める焔様の懐に、自分が今だ抱えられたままなことに気づくのは、かなり後になってからだった。