その花嫁は空に舞う
そして、迎えた約束の日。
この日のために特別に設けられた、外で待つための座敷の周りには、待ちわびたような顔の民衆が多く詰めかけていた。
(すごい、人だかり。こんなに、いたんだ)
名門中の名門、南雲家の当主と、周辺諸国にその部名を轟かせる紅備えの集団を遠方からわざわざ見に来たのだろう。
眠そうな顔が所々にあって、それが窺い知れた。
(………………怖いもの見たさってのもあるのかもしれないけど)
それに、私の姿を見に来た者もいるのか、まるで見世物のように奇異の目に晒されてしまう。
いや、もしかしたらそこには蔑みや、怯えが混じっているのだろうか。
どこか、纏わり付くような視線が何となくそう感じさせていた。
「…………ふぅ。気にしちゃ、ダメ」
不快な空気を吹き飛ばすように深く息を吐く。
人が多く、余計に気にしてしまっているが、こんなのいつものことだ。
それに、そんなことよりも、火凛が何かしないか気を付けていた方がいい。
最近は、何かまた企み始めたのか、人に指示を出し始めているようだったし。
(たぶん、やるなら、きっと今日。人の移動も多くて、何か仕込むのにも動きやすい)
とはいえ、自分はこの場から動けないので心構えをするくらいしかできない。
「…………ほんと。私なんか、放っておけばいいのに」
旦那様が伝えた情報。
南雲家のご当主様直々に、しかも、国中にその精強さで知られる紅備えの集団まで引き連れてこちらに来るということを伝えられてから、ただでさえ悪かった火凛の機嫌は、もはや手が付けられないところまできてしまっている。
そして、今もこちらに向けられている殺気立った視線が、それがまだ続いていることを教えてくれる。
「むしろ、嫉妬なんて……………………」
嫉妬したいのは、私の方だ。
前からずっと思い続けていた…………私だってあんな風に、生まれたかったと。
彼女は、何も持っていない自分とは違って、昔から何でも持っていた。
本家にはほど遠くとも、同世代の中では頭一つ抜けた術者としての才能。
理想的な曲線を描く肢体は周辺領主の子息達を魅了し、多くの文が届けられるほどだ。
それに、親の愛情も、使用人からの尊敬も、欠片も得られなかった自分とは対照的に一身に背負っている。
『正しいのは、火凛様』
同じ顔だというのに、そう言われ育ってきた私の気持ちを少しでも考えたことがあるのだろうか。
たった一度、自分の意に沿わぬ結果になったからといってどうということはない。
そもそも、一つでも叶えば、御の字だというのに。
「……………………………………私に手に入ったのは、一つだけ」
もう、この手にはないけれど――その声は発せぬまま、悔しさ、切なさ、それらが混じり合って滲み始める視界。
それでも、涙が零れようとするのだけは歯を食いしばって堪える。
これ以上、みっともない姿になっては敵わないと思いながら。
「……よしっ、弱気は終わり。次のこと考えなきゃ」
そうやって無理やりにでも片付けると、すぐさま次の思考に頭を切り替えていく。
というより、そうしなければ心が持たない。
ある意味これが、私なりの処世術なのだから。
「……灯様のお屋敷の側だったら、土地勘はある。なら、きっと、生きていくことは問題ない」
毒のあるものでも、腐ったものでも、相当のものでなければ耐えられる身だ。
私の口に入れられる野草は多く生えているし、餓死はない。
それに、気候もここより温暖なので真冬以外なら外でも寝ることができる。
「なんだ、意外に大丈夫そう」
努めて出した明るい声と、見通しの立ってきた展望に少しだけ気分も上向く。
まだあるのかは知らないが、灯様のお屋敷そのものが残っていれば、もう何も怖いものはないだろう。
あそこは、目をつぶってでも歩ける自信があるほど勝手知ったる場所なうえ、ある意味その建物だけで全てが完結できるような造りになっている。
「……まぁ、変わってなければだけど」
毎日夢で見るその光景のままなら、問題はない。
だから、その場所が――幸せに彩られたその場所が、昔のままだったらいいなと、そう願った。
◆◆◆◆◆
やがて、遠目に姿を現し始めた南雲家当主の一団。
はためく南雲の家紋。
整然と隊列を保つ紅備えの騎馬兵団。
その先頭で一際存在感を放つ長身の男性が、否応なしに周囲の目を引き付けている。
「…………あんな、お姿だったっけ」
直接顔を合わせた時間はそこまで多くない上、基本的には頭を下げた状態でいたので、その灯様によく似た目以外はほとんど思い出すことはできなかった。
しかし、嫌な出会い方をしてしまったので、その時何があったか自体はかなり鮮明に覚えている。
そしてそれが、身分を考えればあり得ぬほど失礼だったことも。
「もう………………あれから、十年以上経ったのか」
主の死とともに、本家から文字通り叩きだされた日のことは、未だ鮮明に記憶に残っている。
泣きじゃくる私を誰も気にも止めず、幼い体ではもっと遠く感じた道を、何日もかけて歩き続けた。
「………………覚えて、ないといいなぁ」
正直、嫌がらせをするために呼んだと言われかねないかと内心ビクビクしていた。
あの時は、灯様がとりなしてくれたからなんとかなったとはいえ、次の日には近くの小高い山が消えてなくなっていたくらいだ。
相当の怒りであったことは、想像に難くない。
まぁ、その日以降は避け続けていたので実害は無いまま終えることができたけれど。
「……くれぐれも、失礼のないようにせよ」
「っ……承知しております」
いつの間に横に来ていたのだろう。
そんなことを考えていた時にかけられた旦那様の言葉に、一瞬驚きながらも返事をする。
「しかし、本当にご当主様が来るとは…………条件を呑んだ甲斐があったというものだ」
後で聞かされたところによると、本家の者とは言え、領地に他の家の兵を入れるということはそれなりに旦那様の中で葛藤があったらしい。
けれど、それでも利が多いと決断したからこそ今がある。
実際、民衆の様子だけ見ても、旦那様に対する尊敬の念が強くなっていることは何となく感じ取れた。
「………………やはり、ご自身が動かれることはそうそうないので?」
聞いた瞬間、あれほど、火凛が怒り狂うくらいだ。
客観的に見て、それなりに珍しいことなのだろう。
「……そうだな。あそこは、旧臣を根こそぎ追い出した割に、臣下の層が厚い。自ら動かなくても大抵のことは回っていくだろうよ」
「それでも、今回は来ていただけたということですか?有難いことですね」
「…………それだけではない。攻めと守り、対となって動くはずの紅備えも共に動かしている。こんなことなど、先の御家騒動の時含め、無かったはずだ」
火凛の悋気を呼び起こさないよう、この話題を避け続けていた旦那様は、周りを数度見渡したあと、小さな声でそう伝えてくる。
しかし、半分無視させること前提で話しかけては見たものの、意外すぎるほどの饒舌さにまたもや驚かされてしまう。
まぁ、粗相のないように情報を与えているというのが、一番ありそうなところだけど。
「……とりあえず、お前の出番はもう少し後だ。まず、私が挨拶をしてくる」
「かしこまりました」
そして、表情がおぼろげに見える程度の距離まで相手が近づいてきた頃。
緊張しているのか、汗を拭うようにしていた旦那様が馬を走らせ、そちらに向かっていった。
「確か、顔合わせの後は祝宴だったっけ?」
まだ多少の時間はありそうだが、そろそろ私も心の準備を始めなければいけないだろう。
覚えた口上だけでも噛まないように言い切らなければ殺されかねない。
「でもちょっと、なんか嫌な感じ」
しかし、それ以上に空気が悪くてそちらの方が気になった。
姿の見えない火凛が裏にいるのかもしれないが、旦那様がこの場から離れた途端、周囲からひそひそとした声が聞こえてきている。
『ほら、あれが南雲のご当主様を誑かした忌み子だそうよ』
『近づいちゃダメ。忌み子に触れたら、貴方もそうなっちゃうからね』
『聞いたか?忌み子を討ち取りに、紅備えの一団を連れてきてくれたらしいぞ』
『ここだけの話しな。本当は火凛様だったのが手違いでこうなってるんだと』
一度も話したことのないものですら、それほど私が憎いのだろうか。
せめて、今日くらいは、というのはわがままなのだろうか。
「忌み子、か……好きでこうなったわけじゃないんだけどな」
とはいえ、何かを言おうものならこれが数倍になって返ってくるのは経験上理解しているので我慢するほかない。
ただ、下を向いて、泣きたくても、悔しくても、気にしていない風を装ってただ堪える。
いつだって、それが最善。私の取れる唯一の選択肢なのだ。
「………………化け物は、一人孤独に。大人しくしていれば、周りが勝手に飽きていくんだから」
自分に言い聞かせるようにして、そう呟く。
そして、それは誰にも聞かれることはなく、ただ、地面に吸い込まれるように消えていった。
「………………飽きるか。すまんが、期待には応えられんな」
いや。消えていくはずだったのだ。
恐らく、昨日までであれば。
「……え?」
不意に伸ばされる大きな手。
それに、掬い上げるようにして持ち上げられると、驚きで体が固まってしまう。
「それに、お前の配役も今日から変わる」
わけがわからないまま、頭のすぐ上から聞こえた声に――近すぎるほどの距離で目の合ったその端正な顔に、余計に頭が真っ白になる。
「あれ?、え?、だって……あそこに…………え?」
ここにいなかったはずの人。
元々いた方向に勢いよく顔を向けると、私と同じように慌てふためいた旦那様が、人を探しているように周囲を見渡しているのが目に映った。
「くっ、はは。相変わらず、面白い奴だ」
その私の姿が、それほどおかしかったのだろうか。
似合わぬほどに、朗らかな笑顔を浮かべると、その人物は楽し気に体を震わせ始める。
「何が………………………あっ…………」
「どうした?」
「や…………その」
そして、思わず言い返そうと体に力を入れた瞬間。
今さらながらに自分の状態を認識し、体が沸騰したように熱を帯び始めた。
(え?なんで?…………これって)
開いては閉じ、開いては閉じ。
一向に吐息が出て行くだけの口に、焦りが募る。
「なんだ?申して見よ」
「………………………………さい」
「聞こえぬ。はっきり言え」
「…………………………降ろして、ください」
背中から……膝裏から感じる温もりのせいだろうか。
それとも、男の人の体の硬さを初めて覚えさせられたからだろうか。
背筋を伝わるむず痒さに、力を入れようとしても入れられず、蚊の鳴くような声しか出て行かない。
(もう…………だから、向いてないって、言ったのに)
パラパラとめくっただけだが、やはり夜伽の本は役に立たないとしか思えない。
触られるだけで固まって動けなくなってしまうような人間に、何ができるというのだろう。
むしろ、綺麗な顔の人形でも連れてきた方が、見栄えがするかもしれなかった。
「くっ……ははっ。あははははっ」
「…………なにが、面白いんでしょう」
私なら、何をしてもいいと、馬鹿にしているのだろうか。
受け入れようと思っていた運命も、その灯様に似た目でされると、なんだか偽物のようにすら思えてきて腹が立ってきてしまう。
「知っているか?西方では、化け物――魔王とやらが美しい姫を攫っていくものらしい」
「……はい?」
しかし、それに返される脈絡の繋がらない言葉と、天高く立ち昇り始めた熱さを感じない炎の柱。
ある種幻想的にも見えるその光景に、私はもちろん、こちらに馬を駆けさせていた旦那様も……そんなところにいたのかと見つけた火凛でさえも、呆然と空を見上ることしかできなかった。
「では、御屋形様。後は、予定通りに」
「あの、降ろして……」
「ああ。俺は、こいつを攫っていく…………思う存分、主の蛮行でも広めておけ」
「御意。悪評は、全て御屋形様の手に」
「すみません。話を……」
「頼む。行くぞ」
「へ?あっ――」
いつの間にかすぐそばまで来ていた紅備えの集団。
その両者の会話に割って入ろうとするも全て無視され、話が進んでいく。
そして、彼らが呆れ笑いを滲ませながら膝を付いた瞬間、どうしてか私の体は空に舞い上がリ始めた。
「…………全て、任せておけ。これからは、もう、何人にもお前を傷つけさせぬ」
その人ならざる強大な力の主。
領地の端の端まで見せつけるようにして天を駆ける、その人攫いの懐に抱かれながら。