紅鬼:南雲 焔【グレン視点】
何度剣を振るい、どれだけの魔物を倒しただろうか。
既に魔力なんて欠片も残っておらず、腕でさえも、指先が微かに動くだけになっていた。
「はぁ、はぁ…………もう、空っけつだ。他に、生きてるやつは」
血が入り込み見えなくなった片目のせいで、視界が狭い。
引きずるようにして体を回すと、動く者の気配は微塵も感じ取れなかった。
「…………いつも通り、俺だけってか」
周囲にあるのは、人間と魔物が共に仲良く積まれた死体の山のみ。
異常発生的に生まれた魔物の大群から街を守るため、派兵された者達は、俺みたいな傭兵含め、全てその中に埋もれてしまっているようだった。
「…………ここで、悪運も尽きたってことかね」
何度も、死地を乗り越え、不死人と噂されるほどになってここまで来た。
しかし、まるで大きな波のように迫りくる魔物の影に、もはや立ち上がる気力すら残ってはいなかった。
「畜生。こんなことなら、早く逃げとくんだったぜ」
自嘲染みた笑みに、自分で呆れる。
逃げるなら、いくらでもチャンスはあった。
でも、俺はそれをせず、馬鹿みたいに戦っている。
「…………まぁ、いいか。少しくらいの、時間は稼げた。なら、それで十分さ」
別に、英雄になりたかったわけではない。
でも、それでも……自分の死に様くらいは、選びたいと思っていたのだ。
これが最後なら、根無し草の傭兵に取ってはそう悪くはない話だろう。
「これで――」
「ふむ。なかなか、面倒なことになっているようだな」
「――って、誰だ、あんた?」
「後にしろ。邪魔だ」
しかし、そう覚悟を決めようとした最中に突如聞こえた声。
この距離に至るまで気づけなかったことに驚いていると、そんなの関係ないとばかりに、異常な怪力で放り投げられる。
「痛っ」
「そこなら、当たるまい…………結――灯」
そして、そいつは地面に転がった俺に一度だけ視線を送ると、聞き覚えのない……しかし、それでいて魔術の詠唱にも似た言葉を言い放った。
「…………ありえねぇ」
かつて共に戦ったこともある祓魔師第一席の力も大概ではあったが、そんなのガキのお遊びにしか思えなくなるような巨大な炎の塊。
まるで太陽の如き輝きを放つそれは、徐々に降下し、全てを消し炭に変えていく。
「…………化け物かよ」
遠く離れたここですら、火傷してしまいそうな熱気だ。
後に残ったのは結晶化した大地のみ、それこそ、骨すらも残さずに全てが消滅していた。
「生きているようだな」
「…………あんた、何者だ?」
燃えるような紅い髪と瞳。
あれほどの力を使ったにもかかわらず、男にとっては大したことではないのだろう。
服の上からでもわかる極限まで絞り上げられたその肉体は、力強い歩みを止めることはなかった。
「俺か?俺は、ナグモ ホムラ。いや、こちらではホムラ・ナグモだろうな。まぁ、どちらでもいいことだが」
空中に舞った火の粉が、その背景を彩る中。
鷹のような鋭い視線とともに吐き出される、冷たさすら感じられる端的な言葉。
その雰囲気に、こちらに差し出された手は、首をへし折りに来たのだろうかと身構えたものの、目の前でゆっくりと止まり拍子抜けする。
「どうした?一人で立てぬなら、手を貸そう」
それが、西方諸国を騒がす紅鬼。
南雲 焔と、俺……グレン・ガーハルドの邂逅だった。
◆◆◆◆◆
手駒の確保だと、そう言って遥か彼方西方諸国まで旅に来た東方人。
以前、そこ出身の傭兵に偶然言葉を教えてもらっていたこともあり、その男に誘われるがまま、こんな異国の地まで来てはみたものの、なかなかに色々なことを経験させて貰った。
練兵、軍略、昔馴染みの武器商人の仲介。
果てには防衛施設の普請など、以前からは信じられないほど、広範な仕事をさせられてしまっている。
それこそ、先代――主人の実父とそれに従う旧臣、その勢力を一掃するための戦では散々こき使われたものだ。
なかなか、楽しいお人でもあるので結局、これまでついてきてしまったのだが。
「旦那…………こんなところにいたんですかい」
六層にも及ぶ巨大な天守閣。
城下を全て見渡せるその場所には、着物と呼ばれる独特の衣服を身に纏った長身の男が、風でその袖をたなびかせながら佇んでいた。
「……何か用か?」
「いえ、侍大将殿が探し回ってたんでね。こんなところにいたのかと思っただけです」
「……そうか」
おや、とふと違和感を抱く。
元々、口数の少ないお人ではあるが今日はいつにも増してそうらしい。
どこか、心あらずといった様子は、長年仕えていても初めて見るような気の抜けた姿だった。
「例の奥方様の件ですかい?」
「……聞いたのか」
「ええ。どうやら、珍しく荒れたそうで」
堅苦しいのは苦手だと、参加を拒み続けている御前会議。
普段は主が優秀過ぎるほどに優秀なせいで、ほぼ議論にすらならない会議の中で、その奥方様を迎えるという話だけには、唯一嵐が吹き荒れたと聞いている。
それこそ、色々と問題の多いながらも主にだけは従順な侍大将殿が、直接食ってかかるまでの事態に発展したというのは正直驚いた。
(それだけ、お貴族様達の間では評判が悪いってことか)
特殊な経歴故、自前の臣下すら持つ侍大将殿には、俺以上に情報が集まっているのだろう。
直情的で、勘違いが多い性格であるので判断が難しいところではあるが、それ以外の貴族出の者たちも似たような反応をしていることから、そちらが大多数の考えなのだと認識をしていた。
「…………この件に関してだけは異論は許さぬ」
「ははっ、別に止めにきたわけじゃないですよ、俺は。ただ、不思議に思っただけです」
自身への絶対的な信頼を持っている割に、この方は意外なほどに人の話をよく聞く。
他の家なら馬鹿馬鹿しいと切って捨てられるようなものでも一度聞き、そこにもし理が見出せるようならば自分の言を覆してでも実行。
そうでなくとも、それとなく改善点を指摘し、今後の成長を促している。
ある意味では理想の、だからこそ命を懸けてという忠誠を抱かせる主。
しかし、今回はらしからぬほどに強情で、誰が何と言おうと取り付く島もない。
それに、何か説明するのかと思えばそうでもなく、ただ一言述べるだけだ。
『その者以外は、いらぬ』と、それだけのことを。
「忠誠心溢れる重臣達が挙げるくらいだ…………旦那から見ても、代わりの候補はそれなりの方だったのでは?」
「そうだな。確かに、南雲の家全体を考えるのであれば他の者の方が相応しい」
「それはわかっていると……ははっ、本当にらしくない。まぁ、それだけ、意志は固いってことですか」
「ああ」
常に冷静沈着、加えて合理主義者でもあるこの人が言うからには、それだけの理由があるのだろう。
それも、感情的なというのがこれほど似合わぬくせに、らしくないほどに熱くなってしまうような理由が。
「……………………その奥方様は、何者なんです?俺が調べた限りじゃ、似たような悪評しか聞けませんでしたが」
屋敷からほぼ出ないという素性のせいで、多くの情報があるわけではない。
しかし、集まってきたものはどれも癖のあるもので、良いところなんて一つも見つけられなかった。
曰く、呪われ災厄を齎す忌み子。
曰く、仕えた主を殺した大逆人。
曰く、品など欠片もない野生児。
さすがに、夜な夜な人を喰らっているという話は嘘だと信じたいが、ある程度マシなものを抜き取ったとしても、名家の奥方というにはほど遠いだろう。
だからこそ、気になっていたのだ。
側に置く者に対しては、渋い勘定しかしない主。
いらぬものはいらぬと、実父ですら排斥するほどのこのお人が、それだけの価値をつける相手だ。
気にならない方がおかしいといえる。
「ふっ…………不器用過ぎるのだ。生い立ちを考えれば、仕方がないことだとは思うが」
呆れたような苦笑。
あまり感情を出すことの少ない主の、ある意味人間臭いその姿に驚かされる。
「誰も教えてくれぬからと、片っ端から採って食べては、毒にならぬものだけを主に出す」
今目の前で見ているようで、しかし、その視線はただ虚空を見つめるのみで、そこには何もない。
恐らくそれは、この人しか知らぬ記憶。
古くから仕えている重臣も、ほとんど見かけたことはなかったと言うその人物の。
「何か言われれば関係のないことでも謝罪の言葉を述べるくせに、主が悪く言われた時だけは、誰にでも噛みついてみせる」
愛おしいというのを隠そうともしないその表情に、詳しい事情を聞かずともわかる。
今まで、女性の影すら感じさせず、むしろ、男色なのかと疑ってしまうようなこの堅物が、その奥方になる方のことを深く愛しているということが。
それこそ、どれだけ上品な女も、どれだけ美しい女も、どれだけ胸のデカい女も。
全てをいらぬと切って捨て、勘違いさせることすら微塵もあり得なかったこのお人は、本当にその方以外を迎えることはしないのだろう。
(…………こりゃ、跡継ぎが生まれるのもそう遠くはない未来かもな)
誰もが懸念してきた問題は、思った以上に早く片付くのかもしれない。
いや、今思えば、何故気づかなかっただろう。
帝に強請った特定地域の守護役と、その周辺にある従属させてきた家々。
加えて、手が出せぬと放っておかれた強大な魔物達をわざわざ滅しに赴く。
選りすぐりの賢き臣下たちの誰も彼もが頭を悩ませつつも出なかった答えは、至極単純で、馬鹿らしい行動故のものだったのだ。
地図を頭に思い浮かべてみれば、なるほど確かに、奥方様のいる場所へと繋がると、そんなことだったというのに。
「そういうやつなのだ、その者は」
「……なるほど、理解しました。むしろ、これ以上聞かされたら鳥肌がたっちまいそうです」
熱に浮かされたようなべた褒めに耐えられず、軽口を叩く。
しかし、本人も似合わぬことをしていると思っていたのだろう。
瞬きするほどの一瞬、自嘲気味な笑顔を浮かべると、すぐにいつもの無表情に戻った。
「でも、不思議なもんですねぇ。旦那がそこまで褒める相手なのに、悪い噂しか聞こえてこないってのは」
しかし、一つの謎が解決すると、他の謎は逆に深まっていく。
不器用だとしても、限度がある。
しかも、ここまで広い噂だ。誰かが広めでもしない限りこうはならないだろう。
「……自身だけの問題ではない。俺の姉と、その者の妹。それらが重なり、ここまで話が難しくなっている」
「え?だって、旦那の方は――あっと、こりゃ口が滑りましたか」
言いかけすぐに撤回する。
これくらいで怒るような人ではないが、この話題はそれだけ鬼門だ。
かつて、悪く言った重臣が処罰されたという話は、有名過ぎてこの耳まで伝わってくるようなものだった。
「気にするな。お前も知っての通り、既に故人だ。しかし、この家の外、我が家に敵意を向ける者達にとっては格好のネタなのだろう。いなくとも……いや、いないからこそ、その闇はより深く、ねじれ曲がった醜悪なものに仕立て上げられている」
「…………つまり、それが飛び火してると?」
「ああ。ある意味、二人分背負わされているようなものだ。本人も、あえてそれを受け入れているようだしな」
「………………実際、二人はどういう関係だったんですか?」
主の姉君と、迎える奥方。
その二人の関係は噂の域を出ず、誰に聞いても詳しくは知らないの一点張りだ。
それに、隠しているのかと思えばそうでもない。
本当に、何も知らないというのが俺の見立てだった。
「かつての主従だ。世話役のようなものだが…………まぁ、城の方に顔を出すことも殆どなかったから、いたことすら知らぬ者も多いだろう」
「…………そりゃ、きっとあの異様な場所が関係してるんでしょうね」
裏山に隠すようにして配置されている建物。
それは、窓すらほとんどない不気味なものであり、さらには周囲に主謹製の結界が幾重にも重ね掛けされているのを見たことがあった。
厄介事に関わるのは御免だと避け続けてきたものではあるが、その二つが関係していることを直感的に察してしまう。
「……さすがだな。あれは二人の住まい。そして、呪われた場所だった。少し前まではな」
「少し前までは、ですか?」
「……………………知っているか?忌み子には、二通りの者がいることを」
「へ?まぁ、一応は。西の方でも、昔からある病気ですから」
先天的に呪いを受け、異質な何かを内に宿す者。
後天的に呪いを受け、異質な何かを外に放つ者。
特に後者は厄介で、その人生は短命と言えども、時には死すら招く呪いを無意識に周囲に吐き出し続ける。
昔取った杵柄というのか、教会に記録された知識からすれば、激しい痛みと共に魂を削られ、その抱くしかない負の感情が、ある種の呪いとして機能しているということらしかった。
「…………では、後天的に呪いを受けたものが死んだ後、どうなるかは?」
「そりゃ、呪いを祓っておしまいでしょう?前に直接関わったこともありやすが、三日と経たずに影響はなくなりますよ」
教会に頼めば、それこそ数日。
もし頼まなかったとしても、少しの間体が重くなるか、作物が育ちにくくなる程度だと聞く。
生きている間はまだしも、その後は大きな問題が発生することはない。
「そうだ…………普通ならば、な」
「…………まさか、死してなお残っていたと?しかも、旦那でも祓えないほどの力が」
「ああ。終わったのは、つい先日だ」
「……どんな化け物だったんですか、それは…………いえ、すいません。さすがに言葉が過ぎました」
物質も、そうでないものも、それこそ不死と呼ばれた存在ですら焼き尽くしてきた最強の炎。
当然、その中には呪いの類も含まれ、実際問題そういった力を持つ魔物が相手にすらならなかったこともこの目で見てきた。
そして、時間としては、ざっと見積もっても十年以上の時が経っている。
ならば、その主の姉とはどれだけの力を持っていたというのだろうか。
申し訳ないが、神か化け物、そういった存在にしか俺には思えなかった。
「いや、よい。悪気がないのはわかっている」
「ありがとうございます…………ちなみに、今まで奥方様を迎え入れなかったのはそれが理由ですか?」
何故、今になって。そう思っていたのは俺だけではない。
主が頑なに口を閉ざしているので、不思議に思っていたが、恐らくこの人は姉君の不名誉を重ねたくなかったのだろう。
ただでさえ、悪しく言う者は切って捨てるとお触れを出してこともある。
自分でそれに燃料を注ぐことなど、到底ありえない。
「………………最後に合った日、約束したのだ。もし、姉が――灯が死んで、それでもなお呪いが強く残るようであるならば、安全になるまで遠ざけておくと」
「…………なるほど。最後の、愛情ですか」
「皮肉なことだ……死にたくないと願えば願うほど、周囲に死を振りまく。神がかりの耐性があるものでさえ、寿命を削られるほどにな」
そうであるならば、どれほど死にたくないと、その人は思っていたのだろうか。
しかも、最後の頼み事は、誰かを守ること。
二人の関係性が、他人の自分でもわかるほどに、伝わってくる。
「………………どうやら、神様とやらは、相変わらず意地が悪いようだ」
「……かも、しれんな。姉妹のように仲のいい二人。それを引き裂く権利など、誰にもないだろうに」
淡々とした、それでいて静かな怒りを滲ませる声。
無意識に放たれる力は空気を焦がし、光を捻じ曲げさせているのだろう。
その周辺だけ世界は歪み、まるで、神にすら牙をむくとでも言うようにゆらゆらと揺れ続けていた。