等身大の俺達を③【焔、灯視点】
灯と俺の接近に、正規の手順を経れば誰かしらかの妨害が入るのは必須。
同時に、あの者の外出時には一定範囲以上近づけないような化け物染みた結界が張られることも既に確認している。
ならば、機会は日の出る直前にしかないと行き先も告げずに屋敷を出る。
「ん?焔様?」
灯を刺激しないため、隠形を使わないまま真正面から向かうのは、ある意味賭けだ。
これまでとは違い、明らかに相手の領域に踏み込む行為は、恐らく昔の灯であれば問答無用に牙を剥いていただろう。
(………………万に一つも勝ち筋など見えぬ)
父と俺を足したところで、灯の足元にも及ばぬほどに、彼我の実力はかけ離れている。
だからこそ、以前の俺であれば決してこの手段は取らなかった。
(………………だが、それでもいい。後悔することに比べれば、それで)
これほど晴れ晴れしい気持ちは、いつぶりだろうかと思い返すも心当たりはない。
綱渡りのような、幼少の頃からの鬱屈した記憶に、もう少し愚かであれば幸せだったのだろうかと自嘲する。
「ほ、焔様っ! どうかお待ちをっ!」
「待たぬ」
隅々に配置された護衛達の表情は、驚きに、やがて焦りを滲みさせ始め、一部の者がどこかへと急いで走り去る。
頭が追い付いていなかったような者も、灯の屋敷しかないはずの方角へ足を進める俺の意図をようやく理解し始めたのだろう。
(…………それぞれが、誰の息のかかった者か。わかりやすいものだな)
長年仕えている者達の中にも、俺の子飼いと言える者はいない。
そもそも、己が誰も信じられぬのだ。
もしかしたら機会はあったのかもしれないが、心から信頼できる者など到底できるはずもなかった。
「おやめくださいっ! 灯様の元へは、ご当主様の許可が無ければ近づけぬことになっているはずです」
「知っている」
「な、ならば――」
「それでも、俺は行くと決めた。お前達はどうする? ついてくるか?」
着の身着のまま、最低限の身なりを整えてきたような側仕え達。
息を切らせ紅潮させた顔を今度は青白くさせた彼らは、どうあっても止められぬと理解したのだろう。
息を呑むのと同時、頭の回転が早い者から順に覚悟を決めたような表情で、口を堅く結び始める。
「…………お供いたします」
「ふっ……そうか」
未だ悩んでいる者もいるようだが、恐らくその選択が最も正しい。
俺を止められぬ時点で処罰は必至。
力づくで止めることも不可能となれば、まだ情報を把握し、もしかしたら修正できるかもしれない位置にいた方が賢いと言えよう。
まぁ、それも灯に皆殺しにされなければという条件は付くだろうが。
「……………………賽は投げられた。後は、神のみぞ知るというところか」
天を見上げれば、鳥たちが自由に空を泳いでいる。
俺は、一度空を舞う術式でも編んでみようかと、今の実力では絵空事のようなことを真剣に考え始めるのだった。
◆◆◆◆◆
「……………………ふぅん。少々、悩ましいところね」
敷地に足を踏み入れた侵入者に、どこか懐かしさを感じその相手が誰かを理解する。
同時に、自分がどうすべきか、将来のことを考えると思い悩まざるにはいられなかった。
「え?どうしたんですか、灯様?」
「ふふっ。ただの独り言よ」
「?」
不思議そうな顔をしたこの可愛らしい従者は知らぬことだろうが、最近、誰かが周りを嗅ぎ回っていることには気づいていた。
しかも、それが相当な手練れ。
絶妙な距離を保ちつつ、尻尾を掴ませずに動けるような者であることも。
まぁ、とはいえ己にとっては誤差の範疇でしかないので放置していたが。
(弟、ね。そういえば、どんな名前だったかしら?)
本音を言えば、私の世界は既に完結している。
満たされているのだ、これ以上無いほどに。
だから、邪魔者は問答無用で排除するというのが本来の選択肢だった。
(………………でも、私は炭玲より先に死ぬ。いや、死ななければならない)
生きると決めたあの日を境に、この尋常ならざる体は呪いへと順応し始めた。
そして、血反吐を吐くような痛みの中で、炭玲の献身と長い時間、それらのおかげでいつしか拮抗し、今では体調も僅かづつにではあるが上向いてきているほどだ。
しかし、ある時気づいた……気づいてしまったのだ。
私は、いい。でも、この先同じことが続いていけば、さすがの炭玲も耐えられなくなる日が来てしまうと。
その予兆が、僅かながらも出始めているように。
(………………この秘密だけは、私があの世まで持っていく。だって、もし知ってしまえば、貴方がどうするかなんて決まりきっていることだもの)
きっと……いや、間違いなく。この愚かで、健気な従者は喜んで命を絶つ。
それが、私にとって死よりも残酷なことだと思いもせずに。
(…………それなら、私が、なんて。そんな風に思う日が来るなんてね)
らしくないが、仕方ない。
そう思い、感づかせないよう演技をしつつ、私は死時を探し始めた。
しかし、本当に神とやらがいるのなら私以上に性根の腐りきった存在だと改めて思う。
炭玲のために足掻いて一筋の光が見えてきたかと思えば、今度は逆に、炭玲のために死に方を考えさせ始めるのだから。
「ねぇ、炭玲」
「はい?」
「…………貴方は、私が幸せにしてあげる」
「へ?もう、幸せですよ?」
「ふふっ。困った子ね………だからこそ、余計に幸せにしてあげたくなるのだけれど」
一緒に死を選ぶという誘惑は、未だにある。
それでも、もう決めたのだ。
この子を生かすと、私は想い出の中にいられれば、それでいいと。
「え?なんですか?」
「……なんでもないわ。ところで、何か臭うわよ。今度は何をしているの?」
「新しいお薬の調合を。これ、ちょっと自信作なんです」
「…………ほどほどにね。また隈ができ始めてるわ」
当然、私達に残された時間を邪魔させるつもりはない。
この子は、私だけのものだ、生きている間は決して手を触れさせたりなどしない。
だが、死が決まり切っていることなら、後を託せる相手は早めに見繕っておかなければならない。
(………………調伏したあれは、なんとも言えないし)
たまたま見つけた白装束の獣人は、現時点では一番の候補ではあるが、恐怖では縛れぬほど自由な性格なので不安が残る。
他のものは、力こそあれどほとんどがおつむが足りないので処分せざるを得なかった。
(人間には期待していなかったけれど…………及第点ではあるかしらね)
だから、私は一度だけ機会をあげることにした。
もしかしたら、期待外れかもしれないけれど、一応は血のつながった者への慈悲として。
込み上げてくる狂おしいほどの嫉妬の感情を、それ以上の愛情で塗りつぶしながら。




