彼女が、夢見る間に【西園寺衆視点】
そうとわからぬよう、巧妙に警戒網の敷かれた武家屋敷。
それは、この屋敷の主が奥方様を迎えるようになってからはさらに強固となり、現西園寺の宗家が抱える最精鋭の忍びだとしても、潜り抜けることは敵わぬと言い切れるほどになっている。
(いや、むしろ……今の西園寺の実働部隊は張りぼて同然。戦えるものなど碌にいまい)
残っているのは、政や後方支援に長けた者達ばかり。
もし、姫様の心に深く刻まれた姉君達への恐怖がなければ、離反した時に首を挿げ替えることも可能だったかもしれない。
(…………今さら、考えても仕方がないことか。あの時は、あれが最善だった)
脂汗を浮かべながら、震える声で家を出ると言ったその覚悟がどれほどのものだったかは痛いほどによくわかっている。
だからこそ、今自分達はここにいて、そして、南雲のご当主様が手の届く距離に立っている。
「要するにですね、旦那の姉君様の力の名残のせいで、お二人は一定の距離以上に離れられなくなった。そういうことです」
お手上げだとでも言わんばかりのおどけた身振りに、部下が笑い出すのを咳払いで諫める。
恐らく、重くなりつつある空気を和らげようとそうしてくれたのだろうが、奥方様の件は我らが姫様にとっては鬼門だ。
それこそ、顔が折り畳まれてしまうのではというほどに眉間に皴を寄せた顔を見ていると、ため息を吐きたくなるほどに。
「………………御屋形様でも、難しいのですか?」
「……力づくで引きはがそうとすれば、わからぬがな。試す気にはなれん」
絶対の信頼を寄せる南雲のご当主様の苦い言葉に、姫様がさらに厳しい表情を浮かべる。
だが、それでも、自らがその分野に秀でていないことは理解しているのだろう。
開きかけた唇を噛みしめ、鋭い視線を別の方向に向けるのみだった。
「む?儂のせいではないぞ」
「わかっているっ!…………しかし、本当に害はないのだろうな?」
「まっ、恐らくじゃがのう。儂も、初めてのことでようわからぬ」
「っ!」
数千年を生きるとされる伝説級の怪異――隠夜。
その存在は西方でも度々目撃されていたのか、古文書にも載っているようで、少しだけ発音の違う『カグヤ』と『隠夜』、その二つの名詞がこの世には存在している。
(…………相変わらず、化け物揃いだな、ここは)
その力が、伝説に違わないということは、同じ空間にいるだけではっきりとわかる。
それこそ、直情的な主が放った殺気に返すようにして、顕わになった敵意もあって、余計に。
「……よせ。この件に関して、誰かに責を問うつもりはない」
「しかし――」
「……もう一度言わせる気か?」
「……………………かしこまりました」
一時、張り詰めつつあった緊張の糸が、その言葉とともに消え去ったことに誰もが安堵する。
この地が更地にならなくてよかったと、本当にそう思いながら。
「…………………………じゃが、一つだけ伝えておかねばならんだろうな」
「なんだ、それは」
「僅かずつではあるが、徐々に力が強まってきておる。そんなこと、あり得ぬというのに」
「……………………なに?」
しかし、白き怪異が、珍しく真剣な表情をしながら伝えたその内容に。
今度は、先ほどまでよりも濃密な、息苦しさすら感じるほどの緊迫感が周囲を支配していく。
「…………あり得ん」
「そう思いたいが、事実じゃ」
「……似たような事象が起きたことはあるか?」
「少なくとも、儂が生きている間にはないのう」
言葉が重ねられるほどに、重くなっていく空気。
屋根裏や床下、そこに潜んでいる者達があげる微かなうめき声に、自分も玉のような汗を滲ませていることに初めて気づく。
「…………………………翠嵐」
「はっ!」
「全力で情報を集めろ」
「かしこまりました」
再び訪れた沈黙に、誰もが口を挟めないまま、ただロウソクの火が不自然に揺れる。
そして、本能的な恐怖で倒れ込んでしまいそうなほどに張り詰めていく雰囲気の中。
面倒くさそうな、そんな長い長いため息が聞こえてきて、折れそうな勢いで首を向けた。
「はぁ…………旦那。死者が蘇るとか、無しですぜ?怖いったら、ありゃしない」
その空気を読まない、それでいて、誰よりも空気を呼んだのであろう気安い台詞。
体を両手で抱きしめるようにしながら発せられたその言葉は、歴戦の強者といった風貌の大男が発するには相応しくないもので、がらりとその場を和ませる。
「…………………………ふっ。お前も、元は聖職者なのだろう?」
「なまくら坊主には、ちと荷が重すぎます。便所に一人で行けなくなっちまいますよ」
先ほどまで飲んでいた酒の小瓶を横に振るのは、そこで用を足すという意味だろうか。
思わず吹き出した部下を、姫様が睨みつけて黙らせているのが視界の端に映る。
「……相変わらず、ふざけた男だ」
「こういうやつも、必要でしょう?それに、奥方様の前で、そんな顔は無しですぜ」
その顔に、真正面から指を突き付けられるのは、恐らくこの方くらいだろう。
やがて、上を見上げながら静かに息を吐いた南雲のご当主様が、常と変わらぬ冷静さを取り戻したのが、なんとなく伝わってくる。
「…………………………道理だな。存外、俺も怖がりだったらしい」
「ははっ。誰だって、恐ろしいものの一つや二つはあるもんです」
「儂は件の悪鬼しか恐ろしくないがの」
「……炭玲様の姉君様を悪鬼などと」
「まぁまぁ、侍大将。いちいち噛みついてたらキリないですから」
化け物揃いの三羽烏に、それに勝る強大な力を持つ南雲のご当主様。
しかし、なんだかんだと人間臭いところを見せてくれるその方々に、自分達は改めて畏怖と親愛の気持ちを抱くのだった。
一応、転機の気配と、カグヤの説明のための部ですね。
それと、さすがにそろそろ、炭玲と焔の語らいが入る予定です。




