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主従の距離感

 

 そして、ようやく辿り着いたいつもの広間。

 毛玉のように丸まったカグヤ様を抱えたままグレン様が襖を開けると、そこには既に焔様の姿があって、腕を組んだまま静かに目を瞑っているのが見えた。 



「あっ、その――」


「……楽しかったか?」


 

 私が口を開くのに合わせるように、ゆっくりと見開かれた綺麗な紅い瞳。

 まるで謝罪は不要とでもいうようなその視線の意図に、出しかけた音を思わず呑み込む。



「えと………………楽しかった、です」


「……そうか」


「……はい」


「……気に入ったか。ここは?」


「はいっ。とても」


「…………なら、よい」



 一瞬――本当に、瞬きするほどの僅かな間だけ浮かんだ柔らかい表情に目を奪われる。


(……なんだか、懐かしいような、そんな気がする)


 それは、灯様が昔浮かべていた表情によく似ていて、私を大事に思ってくれている。それが伝わってくるような、そんな表情だったから。


(………………焔様は、どうして、こんなに私のこと)


 限りなく薄い接点。

 話したことなんてほとんど無くて、その人となりは当然よくは知らない。


(…………知りたいな、もっと) 


 でも、最初からずっと、この方は私のことを気遣って、その意志をこれ以上ないほどに尊重してくれている。

 だからこそ、私もそれに応えたいし、もっと近づきたいと強く思うのだ。



「…………話したいことが、一杯あるんです……だから、食事の時に聞いてくれますか?」


「ああ、聞こう…………いや、聞かせて欲しい」


「はいっ!」



 あんなに素敵な城下町を作れるような方に。

 それこそ、誰もに慕われ、敬われる様なすごい方に、私のどうでもいいような身の上話なんてものを聞かせていいのかという不安はある。

 だけど、私の話を、聞いてくれると、そう言ってくれるから。

 それを聞きたいと、優しく言ってくれるから。

 私も、一歩踏み出していける。



「ちなみに旦那。俺の方も、後で説明しますが……手当の方をお願いしやすよ」


「ふむ」 


 

 そのまま、頃合いを見ていたのか料理が順番に運ばれ始める中、横から聞こえてきたグレン様の疲れた声。

 その視線は、ようやく起きたのか欠伸をしながら目をこすっているカグヤ様の方に向けられていて、どれに対しての手当と言っているのかは明らかだった。



「苦労を掛けたようだな」


「いや、ほんとに。俺じゃなきゃ、こうはいきませんからね」


「わかっている。供に付けたのがお前でなければ、きっと俺は炭玲を迎えに出ていただろう」


「………………はぁ。相変わらず、困った方ですよ。旦那は」



 深い深いため息には、照れ隠しの嬉しさがなんとなく垣間見える。

 それは、ある意味では二人の信頼関係を如実に表していて、羨ましいと思えるような、そんな光景だった。


(…………男の人の関係は、こういうものなのかな?)

 

 不思議な距離感は、翠嵐様と焔様の間にあるものとは明らかに違って、なんというか、気安さのようなものを感じる。

 当然どちらがいいか、なんてものはないのだろうけれど。



「…………今度は、某と行きましょうか。炭玲様に相応しい店を紹介いたします」


「え、あ、はい。ありがとうございます」


「……約束ですよ?」


「ふふっ。はい、約束です」

 

 

 そして、何か思うところがあったのか、ずいと体を近づけて話しかけてくる翠嵐様。

 一瞬、その近さに戸惑うも、相手の顔に浮かんだ嬉しそうな笑みに、こちらも思わずつられてしまう。


(そろそろ、調子は戻られたのかな?)


 いつもより多いように感じたグレン様との言い争いの口数。

 それに、何か言いたげにしながらも不自然に沈黙を続けていたここまでの道中。

 どこか固かった表情が、今の笑顔でほぐれていくのを感じて安堵する。



「……しかし、まさか隠夜かぐやを連れて帰ってくるとは思いませんでした。あの引きこもりをよくも外へ連れ出せたものですね」


「あー、それは、その。ちょっと理由があって」


「厄介事ですか?」


「あまり、よくはわからないんですけど。もしかしたら」



 術式や呪い、その基本的な知識すら身に着けていない私には、正直のところその問題の大きさを判断することは難しい。

 しかし、グレン様が認めるほどに力のあるカグヤ様ができないと断言するほどのことだ。

 恐らく、そう簡単には解決できないような問題なのだろう。



「なるほど。では、後ほどグレン殿に聞くといたします」


「はい。きっとその方がいいと思います。お恥ずかしい限りなんですけど、私はあまり状況が理解できていなくて」


「いえ。それも仕方ありますまい…………これまで、そういった教養を学ぶ機会すら与えられなかったのですから」



 そう言って、眉間にしわを寄せる翠嵐様の様子に、私のことを気遣ってくれているというのが分かって嬉しくなる。

 でも、そんなに気にしてもらう様なことでもない。

 灯様のお屋敷にいた頃に、料理や裁縫、そういった他の事を優先して学ぼうとしなかったのはそれこそ自分の責任なのだから。



「気にしてないでください。どうせ、私には使えないものですし」


「…………わかりました。炭玲様がそうおっしゃられるのであれば」


 

 握られた手からは軋むような音が微かに聞こえ、その心の激しい動きを言外に伝えてくる。 

 それはきっと、私のことを思ってくれているのと同時に、翠嵐様ご自身の中にも同じような記憶が残っているからなのだろうなと、なんとなく思わされた。

 

(…………たぶん、私達は似てるんだ)


 当然、その境遇も、立場も、全部違う。

 いや、もしかしたら、一緒にするなと周りに言われてしまうほどに違うのかもしれない。

 でも、それでも私達は、二人とも過去に傷を負っている。

 時間が経って、見えづらくはなっても、決して消えることのない深い深い傷を。



「………………今度……一緒に城下町に行く時に」


「え?あ、はい。なんでしょう?」


「お揃いの着物をこしらえてみませんか?少し、華やかな色を試してみたいんですけど、一人じゃ恥ずかしくて」



 今朝お屋敷で見た時、ほとんど暗い色のものばかりだった翠嵐様の着物。

 というよりも、ご自分のものは本当に片手で足りるほどしかなくて、私のために用意されたという着物ばかりが一面に並べられていた。



「………………………………某には、似合いませぬよ」


「いいえ。似合いますよ、きっと」


 

 どこか拒絶するような硬い声。

 しかし、翠嵐様の理想は――本当に着たいものはそういったものであるはずなのだ。

 それこそ、あの大事にされてきた人形のように。



「………………………………」


「…………………一緒に、試してみませんか?」


 

 外見が不釣り合いだと思っている翠嵐様と、内面が不釣り合いだと思っている私。

 一人では、勇気が出ないのなら二人でやろうと。

 一緒に先に進もうと、そう問いかける。



「……………………炭玲様と一緒に、ということならば」


「はい。じゃあ、これも約束ですね」 


「…………はい。約束いたします」



 これだけは譲らないと、らしからぬ強さを込めた視線。

 それに対して翠嵐様が、観念したような呆れ笑いを返してくる。



「……存外、困った方ですね。炭玲様は」


「……ここでは、そうさせてくれますから」



 そして、私達はお互いの心にそっと触れ合った。

 焔様とグレン様のものとは違う、壊れ物を触るように、そっと。










半分寝ぼけた頭で書いてますので、細かい所はまた直します。

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