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ただいまと言える場所


 眠いとだけ言って、籠に尻尾を巻き付けるようにして寝始めてしまったカグヤ様の可愛らしい寝息が微かに聞こえてくる中。

 しばらくすると、篝火の焚かれた最初の城門の辺りが眼下に見えてきて、目的地に近づいていることがわかってきた。



「…………あー、こりゃ面倒なことになりそうだ」

  


 そして、そんな時にポツリと聞こえた独り言。

 相手の胸中がそのまま伝わってくるような面倒そうな声に、恐る恐る理由を尋ねる。



「……何かあったんですか?」


「あ、いえ。ただ……侍大将がですね。ちょっと」


「え?翠嵐様がどうしたんですか?」


「……こっちを睨みつけてるんですよ。 大手門の上で仁王立ちしながら」



 そう言われて私も籠から少し顔を出してみると、確かに大きな門の上には翠嵐様が立っているのが見える。

 しかも、相当怒っているような表情で。



「お、怒られちゃいますかね?」


「きっと、奥方様は大丈夫です。ヤバいのは、俺の方なんで」

 


 本当にげんなりとした声に、申し訳なさがこみ上げる。

 元はと言えば、私が無理を言ってカグヤ様の散策に付き合って貰ったようなものだ。

 グレン様が怒られる筋合いは無いに等しい。


 

「…………私が、ちゃんと説明しますね」


「……頼みます。あの怒りようじゃ、朝までかかりそうだ」


「が、頑張ります」


「お願いしますね。いや、ほんと」


「「……………………」」


「ははっ」「ふふっ」


 

 生まれた不思議な連帯感と必死さが伝わってくる沈黙。

 思わず、漏れていった笑い声は、どうやらグレン様も同じだったようで、重なるようにして聞こえてきた。

 

(……うん。頑張らなくちゃ)

 

 僅かに拳に力をいれ、気合を入れる。

 いつも謝ってばかりだったから、あまりうまく説明できるかはわからないけれど。

 それでも、自分に頼むと――命令でもなく、形ばかりのお願いでもなく、そう言ってくれたから。



「おっと、作戦会議はここまでです。ほら、敵が迫ってきてますよ」


「ふふっ。はいっ」


「まぁ、無理なら逃げましょう。旦那の背中に隠れるって最終手段もありますんで」


「ふふふっ。それなら、ちょっと安心しました」

 


 その背中を押してくれる声に、相変わらず気遣いの上手い方だなと感じる。

 そして、同時に門の前に到着すると、翠嵐様がいつものように音もなく目の前に立っていることに気づいた。



「炭玲様っ!ご無事でしたか!?」


「えっと、はい。本当に、城下町の方を散策していただけなので」


「それは良かった。一応、伝令からは聞いていましたが。なにぶん、お戻りが遅かったもので」

 

 

 心からの心配そうな声に、罪悪感を感じる。

 普段とは違って、弱々しい雰囲気を漂わせているから、余計に。

 

(……もっと、いろんなことを考えなきゃな)

  

 敏いのは悪意ばかりで、こんな当然のことにも私は気づけなかった。

 それこそ、グレン様が何かしらかの方法で情報を伝えてくれていたことにすらも。

 


「申し訳……いえ、ごめんなさい。城下町が、とても素敵で。つい、長居をしてしまったんです」


 

 言いかけた言葉をしまい込み、言い直す。

 これまでのように、何も言わず、頭を空っぽにしてただ謝るだけの私ではいけないと、そう思って。

 

(……ここの人達は、私の意志を聞いてくれる。尊重してくれる)


 私の中の、『訳』をちゃんと受け入れてくれるのだ。

 だから、私も勇気を出せる。

 


「…………何か、変わられたようですね」


「え?そう見えますか?」


「ええ。まぁ、直感と言った方がいいかもしれませんが」

 


 包み込むような優しい笑み。

 その表情は、とても女性らしくて、母性といってもいいような温かさを感じる。

 それこそ、最初に会った頃とは別人のようなほどに。



「そう、ですか。でも……翠嵐様もなんだか……前より、その」


「?某が、何か?」


「あ、と。やっぱりいいです…………あんまり、上手い言い方が思いつかなくて」


「いえ。何でもおっしゃってください」


「……もっと、お綺麗になった気がします。こう言うと、変な風に聞こえちゃうかもしれないですけど」


「っ………………抱きしめてもよろしいですか?」


「へ?いやっ、あのっ」



 そして、言葉と同時に伸ばされた腕に、反応することができないまま、胸の中に抱え込まれてしまう体。


(…………慣れって怖いな)


 しかし、ある意味では既視感すら感じ始めたこの光景に、驚きはすれど最初ほどの動揺はなく。

 半分ほど地面から浮き上がってしまった体が重くないのかと、そんなことも考えられるほどになっていた。



「…………あー、と。侍大将?」


「なんだ。某は忙しい」


「……旦那との夕食が迫ってるんですがね」


「くっ…………仕方がないか」


「仕方がないって、あんたね」


 

 そう言って、解放された私の横で、ああだこうだと言い合いを始める二人の声。

 その騒がしさが、ある意味では、我が家に戻ってきたのだという安心感を私に抱かせてくれる。



「ふぁあぁ…………なんじゃ、飯か?」


「あ、おはようございます」


「……うむ。ところで、飯はどこじゃ?」


「ふふっ。まだ、無いみたいです」


「……なら、また寝る」


「あははっ。わかりました」


 

 そして、新しく増えた気まぐれで、可愛らしい、家族の一員。

 寒いのか、毛玉のように丸まったその姿に、思わず笑いがこみ上げてくる。



「…………うん。なんか、いいな。こういうの」



 南雲の地は、温かい。

 私は、少しだけ残ってしまっている手の古傷を撫でるようにして触ると、未だ言い争いを続けている二人の輪の中に、再び入っていくのだった。

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