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人ならざる者

 

 淡く光る湖の上。

 グレン様の後に続いてそこに足を踏み入れると、静かに体が沈み込み、やがて顔の近くまで水面が迫ってくる。

 


「っ!…………あれ?」



 昔、火凛に刻まれた恐怖で顔に水をつけることが苦手なこともあり、一瞬目を力強く閉じてそれに耐えようとするも、すぐに訪れた意外な感覚に驚く。



「ははっ。摩訶不思議なところでしょう?」


「は、はい。びっくりしました」



 それは、水のように見えて水ではなかった。

 なら、何なのかと言われると困ってしまうけれど。


(…………息もできるし。そもそも感触が、ない?) 


 ただ色がついているだけの空間というのが一番わかりやすいだろうか。

 透き通った世界は下の方まで見渡せて、何故か高いところが苦手な私にも恐怖は感じられなかった。



「……これから会うのは、どんな方なんですか?」


「んー……言うなれば、引きこもりの気分屋ですかね?」


「え?それだけ、ですか?」


「それと好き嫌いも極端ですよ。まぁ、異常に手のかかるガキみたいなもんです」



 こんな異界を作り出せる力の主を喩えるには、あまり相応しくなさそうな言葉に頭を傾げる。

 いや、もしかしたら、グレン様もあまり知らない方なのだろうか。



「あ、ちなみに。人間ではないです」


「えっ!?」


「あははっ。ほんと、奥方様は素直で良い反応してくれますねぇ」

 

  

 その言葉に、どうやら揶揄われていたらしいと気づき、顔が火照っていく。

 本当に、グレン様には手玉に取られっぱなしだ。

 翠嵐様のことも、なんだかんだ上手く転がして遊んでいるようにも見えるし。



「あはははっ。すいやせんねぇ。つい」


「…………怒っちゃいますよ?」


「ははっ。頬を膨らませるだけじゃ、ぜんぜん怖くありませんよ」

 


 別に、本気で怒っているわけではないものの、仕返しをしようかと思って取った態度は全く効果がなかったらしい。

 相手が余計に笑い始め、後悔してすぐに引っ込める。



「ほら、目的地はあそこですよ。あのガラクタ置き場」


「…………ガラクタ、ですか?」



 そして、そんなことを話しているうちにだんだんと近づいてきた水底。

 指を差された方に目を向けると、遠くからはわからなかったその細部が見えるようになっていて、夥しい数の物が沈んでいるのがわかった。


(……本に、椅子に、壺に、鍬に、刀に…………なんだろ、あれ。家の屋根?)


 その種類は様々で、形にも統一感は感じられない。

 どういった理由で集められたのかはわからないものの、よくぞここまでというほどに、それらが山を作っていた。

 


「あれは、なんですか?」


「本人曰く、宝の山だそうですよ」


「宝の、山?」


「まぁ、中にはお宝もあるんでしょうがね。気に入ったものをどんどん放り込んでいくから、正直探してみる気にもなりやしません」


「…………変わった方なんですね」


「ええ。理解しようとしない方がいいですよ?そもそも、根本が全く違うので」



 そのままゆっくりと足が付いていき、ようやくたどり着いた目的地。

 でも、そこには動いているものの気配なんてまるでなくて、お目当ての人物は不在にしているのだろうかと思わせられる。



「誰もいませんね。お留守でしょうか?」


「いえ、日の昇っているうちはだいたいこの下にいますよ」


「下って……この下ですか?」


「ええ。気分屋なので、出てくるかは微妙ですが……まっ、旦那の言う通りにしましょうかね」


「じゃあ、灯様の――」

 

 

 そう言って、私が確認のために灯様の名を僅かに出したその時。

 ふと、気づくとまるで地面から生えるように誰かの頭頂部が、首がとだんだんと人の体が現れだしてきて、びっくりする。



「はぇっ!?」


「おっ、ほんとに出てきましたね。こりゃ、すごい」


「なんじゃ、ヌシ。見かけん顔じゃのう」



 少女らしき幼げな声。

 そして、腰を抜かして倒れ込みそうになる私と、そんなことまるで気にした素振りも無い二人。

 というより、いつの間にいたのだろうか。

 ぜんぜん、気づけなかった。


(…………あれ?それよりも、これって)

 

 ようやく見えるようになった全身は、肌も着物も真っ白で、それがある種の幻想的な雰囲気を醸し出している。

 しかし、それ以上に目を引くのは、頭の上にある紫がかった二つの耳と、羽のように広がった同じ色の尻尾らしきものだ。

 一瞬、何かつけているのだろうかと考えるも、その見た目の質感や、動きからはどう見ても作りものには見えない。

 

(……もしかして、さっきの人間じゃないって、こういうこと?)


 あくまで揶揄うための冗談だと思っていたものの、それは真実だったのだろうか。

 改めて目の前で見せられると、なるほど確かに、それは人間にはないものだった。



「ジロジロと、失礼なやつじゃのう。それに、その名を口にするとは…………ん?」


「申し訳っ…………ひゃっ、な、なんですか?」



 そして、謝ろうと口を開きかけた瞬間に目の前に迫る相手の顔。

 思わず後ずさりしながら問いかけるも、怪訝そうな視線がこちらの全身を行き来するのみで答えが返ってくることはなかった。



「おい、筋肉」


「……俺の名前はグレンです。いい加減、覚えてくれませんかね?」


「そんなことはどうでもよい。こやつは、なんじゃ?」


「…………南雲に嫁ぎに来られた方ですよ。確か、こっちも伝えたはずなんですがね?」


「ほう、あの小僧のつがいか。よい趣味じゃのう」



 ため息交じりのグレン様を無視しながら、臭いをかぐようにして周りを動き回る相手。

 それほど、臭うだろうかと自分の鼻先に髪や手を近づけてみるも、爽やかな香油の臭いがするのみで自分ではわからなかった。



「ほうほう。これほど芳しい呪いは初めてじゃ。ヌシ、名前は?」


「え?あ、えと。炭玲と、申します」


「よし、炭玲。どうじゃ?ここに住んでみんか?代わりに大抵の願いなら叶えてやるぞ?」


「あの……それは、どういう?」


「儂は呪いを帯びたものが大好きでのう。ヌシがここに留まる代わりに、何かを返す。そういう契約じゃ」


「………………カグヤ様。さすがにそれは困りますよ。俺が旦那に怒られちまう」


「知らん。小僧との契約には、そんなことは含まれておらんでな」


「…………奥方様。この方のする契約は絶対です。決して、軽い気持ちで頷かぬようお願いします」



 双方から向けられる強い視線に、どう応えればいいのか戸惑う。

 しかし、答えはもとより決まっていることなので、一度深呼吸をして気持ちを落ち着けると、カグヤ様と呼ばれていた方に頭を下げ断りの言葉を伝えることにする。



「申し訳ありません。私は、ここに住むわけにはいきません。たまに訪ねにくるので、それではダメでしょうか?」



 灯様のお屋敷を放ったらかしにはしておけないし、焔様のお側を離れるわけにはいかない。

 たとえ、何もできぬのだとしても、いや……だからこそ、せめて形だけでもそうしていたいのだ。

 

(…………寝室を一緒にするのは、まだ、できないけど)


 気持ちはまだ追いついてはいないけれど、求められるのならば、今にでもという気概はある。

 再び訪れた温かい日常に、ほんの少しだけでも、焔様に恩が返せるのならばと、ずっとそう思っているから。



「本当に、ダメかのう?」


「申し訳ありません」


「なんでも、叶えてやるぞ?」


「はい。どうか、ご容赦くださいませ」


「…………仕方ないのう。此度は、諦めるとしよう」



 その小さな体は愛くるしくて、思わず頷きそうになってしまうも、必死で我慢する。

 グレン様があれほど真剣な顔で伝えてくるほどだ。

 念には念を押した方がいい。



「…………今日は、随分と聞き分けがいいんですね」


「む?まだいたのか、筋肉」


「……まぁ、それはいいです。でも、いつもそれくらい聞きわけがいいと助かるんですが」


「仕方がないじゃろうて。儂も、あまり無理強いすると滅んでしまいかねん」


「ん?そりゃ、どういうことです?」



 訳が分からないというようなグレン様。

 確かに、私も聞いていてよく理解ができなかった。

 なぜ、私に無理強いをすることと、それが繋がるのだろうかと。


(……焔様のことかな?でも、それならグレン様も納得していそうだけど)


 焔様が関係ないとするならば、本当に理由がわからない。

 当然ながら、私にはそんな力なんて微塵もないのだし。



「そういう契約を儂はさせられておる。ヌシは、あの悪鬼と深い繋がりがあったのだろう?」


「悪鬼、ですか?」


「ほれ、灯とかいう者のことじゃ」


「え?灯様ですか?それは、確かに、そうですけど」


 

 焔様も二人の面識はあると言っていたので、そのことが関係しているのだろうか。

 しかし、私が灯様と会ったのは恐らくその後のことであるはずで、時系列的には結びつかない。

 そもそも、私の記憶では灯様がお屋敷を出たことは、ただの一度もなかったはずだ。



「じゃろうな。ヌシの呪いには、明らかにあやつの色が混じっておる。むしろ、執着にも似た何かかの?普通は、数百年側におってもそうはならん」


「…………灯様のものが?」


「そうじゃ。それこそ、本能的な死を感じさせるその強大な気配に、並大抵の獣――お主らが怪異と呼ぶ者らは近づけぬじゃろうて。まぁ、儂くらいになれば、また別だがのう」


「…………そう、ですか」

 


 その言葉に、灯様が亡くなった後、本家から追い出された時の記憶が蘇ってくる。


(……きっと、あの時も守られてたんだ)


 泣きじゃくりながら、今よりも幼い体で歩き続けた道中。

 今思えば、まるで襲ってくださいとでもいうようなその行動が、どれだけ危険なものだったかは理解できる。

 でも、結局私が何かに害されることは一度もなかった。

 何度も不用心に火を起こし、静かな山野を音を立てて歩いても、遠吠え一つ聞こえてくることはなかったのだ。


(…………まだ、ここにいる)


 ならば、それは加護と呼んだ方がいいのではないかと、私には思える。

 たとえそれが、執着だと言われようとも、それだけ愛してくれていたという証なのだから。



「………………ちなみに、カグヤ様はどんな契約を結ばされたんです?」


「昔、ぼろ雑巾のように手ひどくやられてのう。見逃す代わりに、あやつの意向に逆らわないことを誓わせられたのじゃ。たとえ、もうこの世にはいないとはいえ、生前の想いはこの身にも流れ込んでおる。触らぬ神に祟りなし、といったところよ」


「…………数千年を生きると謳われるほどの貴方様でも、勝てなかったんですか?」


「無理じゃ無理。儂が滅せられかけたのも、ただの気まぐれじゃぞ?傷一つ付けることも敵わんかったわ」


「……ほんと、化け物じみてますね。さすがは、旦那が勝てぬと言い切るだけのことはある」



 聞きながら、そんな性格だっただろうかと、思わせられる。

 確かに、私では推し量れないほどの大きな力を持っていたのは事実だが、無暗にその力を使うことはなかった。

 それに、使ったとしても、本当に家事の手伝い程度で、だいたいは見守っているだけだった気がする。

 

(……私が、使わないで欲しいっていったからなのかな?)


 体に少しでも負担をかけるものはできる限り抑えて欲しくて、お願いはした。

 もしかしたら、そのことで力を使う機会が訪れなくなっただけだったのだろうか。



「そうだったんですね。私は、灯様の力がどんなものか、あまり知らされていないので」


「「………………」」


「え?どうしたんですか?」


「……いえね。たぶん、奥方様がいたのは暴風の真っ只中です。常人なら何度か死んでたと思いますよ」

 

「そうじゃぞ?ヌシが内に宿した呪いは人の身を明らかに超えておる。よく生きてこられたと感心する程じゃ」

 

「そうなんですか?でも、別に……なんともないんですけど」



 特に体に不調なところはないし、健康そのものだ。

 それに、お仕えしていた最初の頃や、最後の方は確かに血を吐いたりとそれなりにきつかったとは言え、倒れたことはない。


(………………薬も、灯様のおかげで色々作れるようになったし)


 少しだるいなと思っても、薬さえ飲んでいれば数日が経つ頃には回復し、体が軽くなることの方が多かった。

 むしろ、実家にいた頃は栄養もほとんどとれず、それなりに酷い状態ではあったので、そちらの方がきつかった気がする。

 


「……まぁ、積もる話はあとにしましょうか。一応、やることがあるので」


「あ、はい」


「カグヤ様も、それでいいですよね?」


「うむ、この者ならばよいぞ。いい匂いもするしの」


「…………変態ですか、貴方は」


「はぁ……これじゃから、筋肉だるまは困る。やれやれじゃ」


「………………ふふっ。カグヤ様は、面白い方ですね」


「ほれ。どうじゃ?よく知らんが、人間は多数で決める仕組みがあるんじゃろ?ほれ、ほれ」


「奥方様……甘やかしちゃダメですよ?この人、都合のいいことだけはずっと覚えてるんですから」


「あははっ。気をつけますね」



 疲れたというように肩を落とすグレン様と、相変わらず匂いを嗅ぐようにして鼻先を近づけてくるカグヤ様。

 私は、二人の間に挟まれると、いつもとはまた違った喧騒の中で、思わず笑えてきてしまうのだった。


 





 



  

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