二度目の朝食
「炭玲様……よろしければ、魚の骨をお取りしますが」
「え?い、いえ。そこまでは、大丈夫ですよ?」
「あー、ほら。奥方様が困ってるでしょうに。別に、子供じゃないんですから」
「………………なるほど。毎日のように夜街に行っている大人は、さすがに言うことが違うようだな」
「仕方がないでしょう?人生楽しんだもの勝ちですよ」
明るい声の飛び交う賑やかな食事の時間。
まだ数度だけのその時は、でも私にとってはとても心地の良い時間で、思わず笑顔が零れていく。
「…………翠嵐と、仲良くやれているようだな」
昨日とは違い、翠嵐様が私の名前を呼んでいることに気づいたのだろう。
いや、そもそも纏っている服装が明らかに違うから、何か変化があったことをわからぬはずもない。
「あ、はい。とても良くしてもらっています」
「そうか」
私の答えに納得したのか、焔様は静かにそうとだけ言うと、食事を食べ進めていく。
(………………やっぱり、お疲れなのかな?)
まだ、普段の様子を知っているというほどに顔を合わせたわけではないものの、ほんの僅かにだけ下に垂れているように見える瞼に、そんなことを思った。
「…………あまり無理はされないでくださいね」
「……………………わかるのか?」
「えと。なんとなく、です」
灯様の体調を測るために元々身に着けた技術ではあったものの、相手の些細な変化に気づけることは私の身の安全にとっても有用で、長年助けられてきた。
それこそ、不機嫌な相手にはいつも以上に気を張って、それを刺激しないことが何よりも大事だったのだ。
(…………同じ人が浮かべる表情にも、たくさん種類があるもんね)
楽しそうな笑顔は、微かにそれぞれが違っていて。
悲しそうな表情も、怒っている表情も、また違う。
(…………ううん。植物や、動物たちだって)
この世界は、同じように見えても毎日違っていて、だからこそ灯様にも話せることがいっぱいできた。
雲の形が違うのはなぜだろう、鳥が低く飛んでるのはなぜだろうと、そんなことを。
「……………………焔様は、いなくならないですよね?」
「……俺は、お前を置いてはいかぬ。どこにもな」
「………………嬉しいです」
無意識に口に出てしまった問いかけに、すぐさま言葉が返ってくる。
それが何より嬉しくて、心が満たされていく。
(……本当に、不思議な方だなぁ)
鋭く、抜身の刀のような空気を纏っているにもかかわらず、何故だか怖くない。
それはきっと、灯様によく似た瞳というのもあるのだろうけど、それだけではないはずだ。
(…………なんか、守られてるって感じがする)
なんとなく、そう思えるのだ。
言葉では、あまり多くを語らない方だから、私が勝手にそう思っているだけなのかもしれないけど。
「あ、そういえば」
「なんだ?」
「……私も、お役に立ちたくて。何か、始めてみてもいいですか?」
何もできぬくせにと、昔火凛に言われた経験がふと蘇り、緊張で唾を飲み込む。
もしかしたら、これは相手の好意に付け込んだ、身の丈に合わない我がままだろうか。
何でも出来るらしい焔様からしたら、私なんて本当に何もできないのだし。
(…………でも、焔様は最初言ってくれた)
条件があると。
そして、それが食事を一緒に食べることと、危ないことをしないことだとも。
なら、きっと。そう考えて、手を強く握りしめながら、その綺麗な紅い瞳をじっと見つめる。
「……………………ここは、もうお前の家だ。好きなことをすればよい」
「っ!ありがとう、ございます」
「…………それと、失敗しても気にするな。あらゆる全てを、俺は許そう」
「うぅ……できるだけ、ご迷惑をおかけしないように頑張ります」
「ふっ……ははっ。頑張り過ぎるほどに頑張るのは知っている。ならば、それでよい」
その寛大すぎる言葉に、優しそうな笑みに。
いろんな感情がこみ上げて、火照りを増していく。
(…………すごい、方だな)
翠嵐様や、グレン様が忠誠を誓う主なだけはある。
話せば話すほど、昔失礼なことをした私の行いは間違っていたのではないかと思ってしまうほどだ。
「…………グレン」
「わかってますよ。それに、俺も気乗りしてきましたんで」
「……そうか」
「ええ」
唐突に呼ばれた名前に、打てば響くような答えが返される。
それは、二人の信頼関係を否応なしに感じさせていて、なんだか羨ましくなってしまった。
私も、この輪の中に入りたいと、そう思ったから。
「…………グレン殿。隠夜のところには、連れていくのか?」
「……………………なるほど。侍大将は知ってたんですね」
「いや、某が知ったのはつい昨日のことだ。お手製の結界が見破られたと知れば、あやつも驚くだろうよ」
「……そうですか。まぁ、どちらにせよ顔合わせは必要だと思っていたところです」
しかし、そんな中で出た知らない名前を疑問に思う。
話の流れ的に私が関係しているようだが、他にも会うべき人がいたのだろうか。
「旦那も、それでいいですかね?」
「…………出て来ぬようなら、俺か――灯の名前を出して見よ。恐らく、それで済む」
「……わかりました」
そして、思わぬところから出された灯様の名前に、余計に疑問は深まっていった。
(灯様の、お知り合いなのかな?お名前は、聞いたことがないけど)
訪ねてくる人は一人もいなかったし、会うべき人はいないと常日頃からおっしゃられていたので、友人とかそういった人はいないはずなのだが。
「………………灯様も、知っている方なのですか?」
「面識はある。だが、覚えてはいなかっただろうな」
「え?」
「……そもそも、灯が誰かの名前を覚えること自体が稀だ。お前は、知らぬかもしれんが」
そうだったのかと、新しい情報に驚かされる。
確かに、私達のお屋敷に来たのは焔様くらいなもので、そういった機会はまるでなかった。
それにしても、極端すぎることだとは思うけれど。
(…………そう言えば、私の名前を呼んでくれたのもだいぶ後になってからだったっけ)
それは、私なんて覚える価値もなかったからだと勝手に思っていた。
でも、もしもそうではなくて、誰かの名前を覚えること自体をしないというなら、それはそれで筋も通る。
「……………………また、聞かせて貰えますか?私の知らない灯様のこと」
「……ああ。明後日、その話もするとしよう」
「ありがとうございます」
本当に、話したいことがたくさんあって、一日で足りるのかと思うほどだ。
でも、それはとても幸せなことで、楽しみな気持ちがどんどん高まっていく。
(…………焔様のことも、もっと知りたい)
優しい人達のことを、もっと私は知りたい。
当然、こんな私を娶ってくれた、素敵な旦那様のことも。
「本当に、楽しみです」
「……そうか」
抑えられない興奮に、つい零れてしまった笑顔。
それに返ってきたのは、陽だまりのような暖かい眼差しだった。




