裸の付き合い
どういう原理かはわからないが、翠嵐様が足を踏み入れた途端に灯り始める灯篭。
風呂には拘りがあると、自信満々に連れてこられたその場所は、確かになるほどと思わせるほど素晴らしいところで、感嘆の言葉が漏れていく。
「………………すごい」
「どうです?気に入りましたか?」
「……はい。とても」
「それはよかった」
優美な曲線を描く社のような流造の屋根とそれを支える紅い漆塗りの円柱。
その中央に座した芳しい木の香りのする浴槽には、乳白色の湯が注がれていて、ぼんやりと湯気を立ち込めさせている。
(……ここだけ、別の世界みたい)
本邸から続く長い廊下と階段の先にあるここには、綺麗な月と星空を見るのに邪魔になるものはほとんどない。
それに、今までの場所がどちらかというと実用性を重視し、加飾のほとんどない佇まいだったために余計にそれが際立っていた。
(……………………でも、ところどころ翠嵐様らしいなぁ)
何故だか、湯気が避けていく箇所に気づいて目で追っていくと、そこには甲冑と刀が不思議な調和を保ちながら置かれている。
それに、柵すらない外周。
落ちてしまいそうなそれは、あえてそう作ってあるのだろう。
何かあればすぐにでも、という気概をこれ以上無いほどに感じさせていた。
(……わかりやすい方だよね)
破天荒に見えるその行動の芯にあるのは、いつも真面目さなのだ。
いや、もしかしたら誠実さといった方がいいのかもしれない。
(いい人だなぁ)
そして、そんなことを考えながら、周りを見渡していた時に吹いた夜の風。
それは、いくら初夏に近づきつつあるとはいえ、衣服を何も身に纏っていない状態ではさすがに冷たさを感じさせて、思わず体を震わせる。
「っ」
「寒いでしょう?どうぞ、お入りください。この湯には、古傷にもいいですので」
古傷と言われ、体を見るも、ほとんど残っているようなものはない。
頑丈なこの体は、時間さえかければ大抵の傷は治っていくし、恐らく残っているのは本当に大けがをしたときのものだけだろう。
(…………痛くはないし、そんなに気にしてもらわなくても、いいんだけど)
でも、特に否定することでもないのでそれには触れずに、言葉を返すことにする。
「ありがとうございます」
湯気を立ち昇らせるお湯に少しずつ足を入れ、その水面に肩まで沈み込ませると、温かさと気持ちよさがじんわりと全身を包み込んでいく。
「……気持ちいい」
「ははっ。炭玲様は、本当に表情がわかりやすいですなぁ」
「ぅ……あんまり、見ないでください」
「ははははっ。いいではありませぬか」
「……ダメ、です」
「あはははははっ!」
何がそれほど面白いのだろうか。
翠嵐様は機嫌がよさそうに豪快な笑い声を立て、それが静かな空気に溶けて消えていく。
(…………でも、よかった。元気になって)
あまり見られると恥ずかしいという気持ちはあるけれど、それよりも元気になってくれてよかったと思う。
あんな苦しそうな作り笑顔は、できることならもう見たくないと思っていたから。
「どうされました?のぼせてしまいましたか?」
「あ、いえ。やっぱり、羨ましいなって思って」
しかし、その鍛え上げられた、それでいて上品な体つきは、本当に惚れ惚れするほどで思わず妬ましい目で見てしまう。
(いいなぁ。私のなんて、子どもと変わらないのに)
抑揚がなく、こじんまりとした小さな体が恥ずかしくて、口元まで乳白色のお湯に隠れさせる。
それこそ、二人が並んでしまえば、より一層その見すぼらしさが目立ってしまうだろう。
「ん?……………………ああ。それほど、大層なものではないと思いますが。上背があるだけで、女性らしさはそれほどないでしょう?」
「……………………私は、とても綺麗な体だと思いますけど」
確かに、胸や腰、そういった部分だけを見るのなら火凛の方が男性の方に好まれるのかもしれない。
でも、強さに憧れを抱く私にとっては、その体は本当に素敵で、こうなりたかったと心から思わせられてしまった。
「そうでしょうか?」
「はい」
「…………はは、なんだか、照れますなぁ」
赤みを帯びた頬は、その長い首筋のせいで余計に色っぽく見える。
きっと、私が男性だったならば、すぐさまのぼせあがってしまっていただろう。
「……いいなぁ」
「ふふっ。お互い、無い物ねだりですね」
「え?」
「某は、炭玲様のような可愛らしさに憧れを抱いておりましたので」
いまいち理解のできない言葉を、何度か瞬きをして咀嚼できるよう試みる。
しかし、こんな私が憧れと、そんな風に言われても微塵も気持ちがわからなかった。
(………………可哀想は、言われたことあったけど……可愛い?本当に?)
化粧も落ち、衣服を脱いでしまった今は、何も取り繕うことができていない。
万全の状態でさえ見向きもされないほどなので、今はなおさらその言葉が似合うとは思えない。
「……可愛らしくは、無いと思いますけど」
「いえ、某にとってはそうなのです」
「でも――」
「否定は無用。一生このやり取りを続けるつもりならお止めはしませんが」
はっきりとした物言いに、思わず言葉に詰まる。
でも、相手の表情に浮かんでいるのが穏やかな笑みだったせいで、こちらも何となく笑顔で返してしまった。
「…………炭玲様の理想がそうであるように、某の理想も貴方様なのです。ですので、もっと自信をお持ちください」
「…………はい」
「「………………………………」」
「「あははっ」」
そして、二人して笑顔で見つめ合ってしばらく。
私達はどちらからともなく笑い始め、ゆらゆらと湯船を揺らし合う。
「……私、ここに来てよかったです」
「それはよかった。まぁ、どちらにせよ、もう逃げることは敵いませんよ?某が、地の果てまで追いかけますゆえ」
「ふふっ。それは、すぐ掴まっちゃいそうですね」
「そうですとも。ですので、ここに骨を埋めてください」
相変わらずというべきか、真っ直ぐでわかりやすい言葉を使う方だなと思う。
それに、今まで聞かされてきたような皮肉や罵りではない。
私が幸せになれるような言葉を、これ以上無いほど伝えてくれるのだ。
(…………本当に、ここに来てよかった)
もしかしたら、これは前座で本当は裏切られるのかもしれないという弱気は心の奥底にある。
でも、それでも。
たとえもし騙されたのだとしても私は本望だろう。
(束の間の幸せでも十分嬉しい。こうやって、話しかけて、返されて、笑い合えるだけでも)
灯様から貰ったそのたった少しの幸せで、私はこれまで生きてきたのだ。
だから、それがまた訪れたことに深い感謝しかない。
「…………私、今すごく幸せです」
「……………………それは、ようございました」
正直なところ、実家の本宅ですら到底及ばないような雅なこの場所はどうでもよかった。
それこそ、たとえここが真冬の冷たいむき出しの地面の上だったとしても、思うことは変わらないはずだ。
ただ……楽しい気持ちで誰かといられるという空間が。
遠い記憶の中でしかもう味わうことは出来ないと思っていたその空間が。
何よりも幸せで、何よりも贅沢で。
どうしようもなく幸せだと、私はそう感じていたのだった。
ご当主様とヒロインがメインのはずなのに、なんだか流れが違いますね(笑)
一応ですが、百合系はございません。




