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秘密の襖


 焔様の住まう奥御殿に遜色ないほど立派なお屋敷。

 それこそ質実剛健、飾りすらほとんどないその様相までも似ていて、思わず興味深く見渡してしまう。



「ささっ、炭玲様。こちらへ」


「あ、はい」


 

 強く抱きしめられまたもや気を失いそうになった後、また行き過ぎた謝罪をしようとする翠嵐様を宥めると、屋敷の中を案内され始める。


(…………そんなに、迷子になりそうに見えるのかな?)


 一応、周りを見渡しながらもちゃんとついて行っているつもりなのだが、翠嵐様は何度も振り返りっては声をかけ、あまつさえ手まで握ってこちらを先導してくれていた。



「あの……」


「はっ!なんでしょう?」


「…………いえ、やっぱり、なんでもないです」


「は?……何でもおっしゃって頂ければいいのですよ?」


「……大丈夫です。ただの気のせいだったので」


「そうですか?わかりました」



 呼びかけると、太陽の如き笑顔がこちらを向き、何も言えなくなる。

 上機嫌そうな様子に水を差しては、悪いだろうと、そう思って。


(…………手までは必要ないんだけどな)


 体は小さくとも、中身まで子供ではない。

 むしろ、母も父も含め、誰かにそうされた経験がないせいで、なんだかむず痒さを感じてしまった。


(灯様とも、一緒に外に出たことは無かったし)


 全てがお屋敷の中で完結していた主に手を引かれた想い出は、当然ない。

 あの狭い場所でそれをする必要もなかったから。 



「………………あれ?ここは」



 そして、そんなことを考えながら丁寧に一部屋ずつ案内をされる中。

 どうしてか、一つ戸を飛ばしていくのが気になり、思わず声をあげてしまった。



「ん?…………なるほど。ここが、見えるのですね?」


「え?それは、見えます、けど?」

 


 その若草色のふすまは、色が違うだけで他に変なところは見受けられない。

 どういう意味だろうかと、首をかしげていると翠嵐様は優しい笑みをこちらに向け、その襖を開けて中を見せてくれた。



「ここは、宝物庫です。一応、そういった術が使える者に頼んで、某以外には見えぬようになっているはずなのですが」


「……え?だって、普通に…………あれ?」


「ははははっ。見えてしまうものは仕方ありません。それに、無意識に飛ばしていただけで、別に隠すつもりもございませんので」


 

 見えないと言われても、私には何も変わったところがあるようには思えなかった。

 それこそ、本当に色が違うだけの襖。そうとしか呼べない。


(そういえば…………グレン様も、祠の近くを通った時に驚いてたけど)


 見えるのか?と同じように聞かれて、見えると答えたものの、ただの冗談だとそう思っていた。

 よく軽口を言っては場を和ませてくれる方だから、またそうしてくれたのだと。


(………………………………もしかしたら、あれも冗談じゃなかった?)


 そんなことを言われた経験はこれまで無かったが、それもほとんどの時間を一人でいたというだけなので主張するには弱い。

 しかし、どうやら翠嵐様は奥へと進んでいくらしかったので、今はそれは置いておこうと頭の片隅に除けておくことにした。



「どうです?なかなかのものでしょう?」


「…………すごいですね」



 そこにあったのは、一目で業物だと分かる武具の数々。

 刀に、弓に、槍に、甲冑や馬具。

 本当に何でも揃っていて、翠嵐様の自慢げな姿が少しだけ可愛らしい。



「ははっ。炭玲様にそう言って頂けただけで集めた甲斐もあったというものです」


「はぇー。なるほど、翠嵐様は男性が好むものがお好きなのですね」


「……ええ。そうなのです」



 穏やかな笑み。

 でも、一瞬――本当に、瞬きするほどの一瞬だけ影のある表情が浮かんだように見えて、それが無性に気になった。


(…………気のせい?……ううん。きっと、そうじゃない)


 感情を抑え込むための笑顔は、それこそ、誰よりも馴染みがある。

 それに、翠嵐様のような似合わない人が浮かべたものなんて、一瞬だけでも見分けることなんて簡単だ。

 


「…………何か、嫌な思い出がおありですか?」



 自慢げな姿に嘘は感じられず、好きなのは間違いない。

 だったら、嫌な思い出があるのではと、疑問を投げかける。



「………………………………炭玲様は、そういったことが分かるのですか?」


「いえ、ただ……そうですね。お似合いにならない表情を浮かべていたので」


「………………そう、ですか。ならば……こちらも、似合いませんかな?」



 翠嵐様はそう言って、自嘲的な笑み浮かべると、一つの長槍を手に持って水平に掲げ――そして、石突を壁に叩きつけた。



「っ!」


「…………どうでしょう?」


 

 突然の行動に驚く中、回転する壁板。

 仕掛け扉になっていたらしいそこから出てきたのは、可愛らしいお人形だった。


(……………………すごく、綺麗)


 華やかな桜色の着物に、長い艶やかな黒髪。

 女性らしさをこの上なく感じさせるその人形は、一目で大事にされてきたことがわかるほどで、まるで生きているような輝きを放っている。



「………………………………申し訳ありません。お目汚しをしてしまいました」


「えっ!?そんなつもりはっ!むしろ、どうしてそんな風に言われるのですか?」



 黙って魅入っていたことを勘違いされたのかと、急いで否定する。

 どうにか、そのおかげで致命的なすれ違いは防げたようだが、それでも、翠嵐様は未だ浮かない表情のままだった。



「……実家では…………似合わぬと、言われ続けましたゆえ」



 その弱々しい表情は、まるで泣き出しそうな子どものようで。

 自分と同じように過去に傷を負っている人なのだと、そう思わせられる。


(…………これほど、強い人が心を傷つけられる。それは、どれほど酷い記憶なのだろう)


 もしかしたら、私が気づかないふりをすれば……いや、この場所に来なければ、思い出すことはなかったのかもしれない。



「………………申し訳、ありません。思い出させてしまって」


「……いえ、炭玲様をここに連れてきたのは某です。何もお気になされぬよう」



 無自覚とはいえ、傷つけた。

 そのことを、今すぐに頭を擦り付けて謝りたい。


(…………なんで、私はいつもこうなんだろう)

 

 自責の念と、後悔と、それが体を駆け巡って掻きむしりたいほどの自己嫌悪を感じる。

 でも、今はそんなことよりも大事なことがあると、頭を切り替える。


(……そうだ。自分の気持ちなんて、後でいい)


 伝えなければいけないことがある。

 何を差し置いても、たとえ、自分の心を放っておいても。



「……一つだけ、言わせて頂いてもいいでしょうか」


「は?……え、ええ」


「……私にとって、翠嵐様は理想なんです」


「それは、どういう」

 


 似合わない?そんなことあるわけない。

 むしろ、翠嵐様は私にとってはこの上ないほど女性らしくて、お人形を持っていても何もおかしいところなんてない。

 それこそ、一目見ただけでその気品と強さを併せ持った姿に憧れてしまったほどだ。


(…………あの火凛でも、到底届かない) 


 何でもできる妹が、霞んで見えるほどのお姫様。

 昔から大好きで、ずっとそうなりたいと願ってきた灯様と同じくらいの素敵なお姫様なのだ。

 恐らく、それを言った人は、目がとてもお悪いのだろう。 



「私の理想のお姫様は、灯様と、翠嵐様です。いつかこうなりたいと、こうでありたいと、望んで止まない存在なのです」



 焔様はありのままでいいと言ってくれた。

 でも、私は自分のことが嫌いで、もっと素敵な私になりたいと心の奥底で思い続けている。



「似合わないなんて、とんでもありません。たとえ、鎧姿であったとしても、翠嵐様にはお似合いになられるでしょう」

 

 

 姿形ではなく、その心のあり方に。

 そして、その先に現れる些細な行動のすべてに。

 否応なく惹きつけられて、焦がれてしまうのだ。


 だから、そんなことを言わないで欲しい。

 私が貴方のようになりたいと思っているのに、貴方自身がそれを否定しないで欲しいと強く願う。

 


「…………この目には、ちゃんと見えますよ。この襖を見つけられたように。私の理想のお姫様が」


 

 私にとっての真実は、たとえ誰になんと言われようとも変えるつもりはない。

 もし、それを汚そうというのなら、灯様を侮辱されたのと同じように、誰にだって噛みついてみせよう。


(自分のことは、いい。でも、自分の大事なものくらいは、守りたい)


 いつもと同じ。相手が気味悪がって近づかなくなるまで守りきれば、私の勝ちだ。

 もしかしたら、ここでは誰かが守ってくれるのかもしれないけれど、どちらにせよ私がすることは何も変わらない。 



「だから、似合わないなんて、言わないでください……どうか、どうか」



 独りよがりの言葉を、必死で伝える。

 過去にどんなことがあったかも、知りさえしないのに。

 それでも、何か伝えなくてはと、そう思ったから。 



「…………………………はぁ……これは…………とんだ人たらしもいたものですね」


「え?あ、別に、そんなつもりじゃ……」


「わかっておりますとも。それに、某は嘘が見抜けてしまいますので」


「えっ!?そうなのですか!?」

 

「ふふっ。はい」


「本当にすごいのですね」


「あははははっ。はい」



 子どものような賞賛しか言うことができず、ただただ感心する。

 本当に、何でも出来る人だと。改めてそう思わせられてしまうから。


(…………あれ?もしかして、焔様もわかるのかな?) 


 そして同時に、ふと思った疑問。

 もしそうなら、これからは今まで以上に気をつけなければいけないだろう。

 嘘を言うつもりはないけれど、相手を嫌な気分にさせてしまうのは、絶対に避けたい。



「…………私、頑張ります」


「あははははははっ。では、応援するといたしましょう」



 そして、朗らかな笑い声が響く中。

 私達はまた少しだけ近づいて、心を見せ合うことができたのだった。





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― 新着の感想 ―
[良い点] 世界観が結構好きな感じです。もう少しどういう感じか想像できそうな材料も欲しいなぁとも思いますが、これはこれで自分で考えられる楽しみもあって良いですね。それぞれのキャラクターもしっかり立って…
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