南雲の炎は、静かに燃ゆる
そんなことをされても全く嬉しくないし、むしろ頼むからやめて欲しいという懇願によりようやく場が収まった後。
既に朝から疲れてしまった私は、手伝ってくれた男性――グレン様に導かれるままに、焔様の住まう奥御殿へと赴いていた。
「ふむ。それで?」
「………………いや、それだけですが」
「ならば、いつもとそう変わらないのではないか?」
「そのいつもがおかしいって言ってるんですよっ!俺はねっ!!」
そして、ここだと案内された広間。
グレン様が苦情にも似た状況説明をする中運ばれてくる料理達は、南雲家に思い描いていたものとは違う、どちらかといえば質素なものだったので少し驚かされていた。
「量を増やさせましょうか?」
「えっ?いや、十分すぎるというか…………こんなに食べれるかってくらい…………ひゃっ」
「やはり、奥方様は細すぎます。もっと精をつけねば戦えませぬよ?」
一番の当事者だろうに、我関せずといった様子でこちらばかりを気にしている翠嵐様に腰の辺りを触られ、変な声が出てしまう。
しかし、グレン様が先ほどからずっとジト目で見ているのは気づいていないのだろうか。
(………………いや、この方はたぶん気づいてるんだろうな)
恐らく、知ってて無視しているのだろう。
というより、先ほどからずっとこちらのお節介を焼いていて、全く他のことを気にしている様子がなかった。
(……悪い人では、ないみたい)
これと決めたら、極端に突っ走ってしまう性格なのかもしれない。
私が袖を汚したことを気にしていると言ったら、即座に切って落として、これで某のせいだと胸を張って言うような人だ。
行動は破天荒この上ないが、その本質が善人であることはなんとなく感じ取れた。
「は、はは。私が、戦うことはたぶんないので」
「いえ、これから南雲家を共に背負っていくのです。それ即ち、毎日が戦いとも言えるでしょう」
「そうなんですか?」
「そうなのですっ!」
「そうなのですか」
「そうなのですっ!!」
その大きな背丈と整った顔立ち。
切れ長の目と相まって、どこか近寄り難さすら感じられるその人の、まるで子どものような行動に思わず、笑えてきてしまう。
「あは、はははっ。南雲の家は、とても賑やかなところなのですね」
「おおっ!その調子です。やはり、泣き顔よりも笑顔のがよい」
「……………………勘弁してくださいよ。こりゃ、賑やかなんじゃなくて、喧しいっていうんですから」
「……グレン殿は、何か某に文句でもあるのか?」
「……聞きたいですか?ならこの際、全部言わせてもらいますよ?」
そして、そのまま言い争い始める賑やかな二人を見ていると、余計に楽しくて、心が温かくなる。
(なんだか、意外。本家は、もっと怖いところだと思ってたのに)
実家では、耳に入るのは自分を傷つける言葉ばかりで、笑い声は嘲笑以外にはあり得なかった。
それに、本家に対しても、灯様を半ば幽閉同然にあの屋敷に閉じ込めていたことで、良い印象なんてほとんどなかった。
でも、実際にここに来てみると、ぜんぜんそんなことはなくて。
自分が忌み子ということを忘れてしまいそうなほどに、快く受け入れてくれるような、そんな素敵なところだった。
(…………いいな、ここ)
居心地の良さを感じる場所が、灯様のお屋敷以外にもできたことがとても嬉しい。
同時に、それを失ってしまうのも怖くなってしまうけれど。
「どうだ?この家は、お前の居場所足りえそうか?」
「………………まだ、わかりません。でも……そうなったらいいなと、思ってはいます」
どこか、冷たさを感じさせるその瞳は、しかし、その奥に温かさを秘めているのだろう。
ニコリともしないその表情ながらも、はっきりとそれが伝わってくる。
(何を考えてるか、よくはわからないけど…………たぶん、心配してくれてるんだよね?)
最初の日以来、表情もあまり変わらず、多くを語ることもない焔様の、その真意は未だわからない。
(だけど……もしも、このまま時を積み重ねて行けば…………いつか、わかるようになるのだろうか)
昔、灯様と通じ合えていた時のように。
何も言わなくても、理解し合えるようなそんな関係に。
「…………そうか。ならば、よい」
「…………はい。ありがとうございます」
その勘違いかと思うような仄かな笑顔は、ずっと見ていなければ気づけないほどに一瞬で。
でも、だからこそ息を忘れてしまうほどに、惹きつけられる。
「私……焔様のこと、なんだか好きになれるような気が……………………あっ」
灯様に似た、その綺麗な瞳のせいだろうか、そんな立場を弁えぬ、恐れ多いことを口走ってしまったのは。
浮ついた心は心を緩ませ、そして、それに気づいた私を暑いほどに蒸しあがらせる。
赤より紅く。声を出せないほど、自分の顔を染め上げてしまうほどに。
「………………くっ……くくっ。そうか」
「……………………も、もっ、申し訳ありませんっ!私なんかがっ」
「いや、よい。それに、自分をそこまで卑下するな」
「申し訳…………いえ、あのっ、これは、その……………………」
無意識のうちに出て行ってしまう謝罪の言葉。
それは、自分でもわかっている悪癖で、でも、それを直すことは極めて難しい。
(…………もっと自信が、つけられたらよかったのに)
積み重ねた成功がないのだから、自信などつくはずもない。
それに、私が悪くないことでも、私のせいにさせられてきたような人生だ。
謝ることから始めなければ、僅かな平穏すらも得ることができなかった。
「…………努力します」
自分の体を掻きむしりたくなるような悔しさは、きっと私が本当はそうでいたくないという心の現れなのだろう。
でも、約束することなんて出来ない。
ただ、努力すると、そう言うこと以外は、裏切ってしまうことになりかねないから。
(……嫌だな、ほんと)
火凛のように、恵まれて生まれられたらよかったのにと、ずっと離れたがっていた妹に嫉妬する。
そのことですら、自己嫌悪して、さらに自信を無くしてしまうと頭ではわかっているのに。
「…………ちゃんと、努力しますから」
から。それに続く言葉は、口にすることはできず、途切れてしまった。
それが、厚かましいことだと、そう思ってしまって。
(…………こんなんじゃ、すぐに嫌われちゃう)
私の嫌いな私を、誰かが好きになってくれる。
灯様以外には起こらなかったその奇跡がどれほど貴重だったかを理解しているからこそ、ため息を吐きたくなってしまった。
「……努力など、必要ない」
「…………え?」
しかし、不意に放たれた明確過ぎるほどの否定。
その言葉に驚いて、細められた紅い瞳をじっと見つめてしまう。
「お前は、今のままでよい」
「そんなっ!だって、それじゃ――」
ともすれば、お前には無理だとでも聞こえてしまうような言葉。
きっと、そんなつもりはないだろうに、気弱な自分があえて残酷に捉えてしまったそれに対して、思わず言い返さずにはいられなくなってしまった。
「よいのだ。それで」
でも、諭すような、それでいて、場を支配するほどの強い力を持った言葉に、私も……それまで言い争いを続けていた二人も含めて、ただじっとそちらを見ることしかできなくなる。
「だから、変わらずにいろ。俺の好きな、今のまま…………誰より健気で、誰より無垢な、お前のままでな」
そうして、言いたいことは言ったとでもいうように、食事を食べ始める南雲のご当主様。
しかし、一方の私は……いや、本人以外は、それどころではとてもなくて。
冷め続ける料理を、ただただ放置し。
馬鹿みたいに口を開けて、呼吸を繰り返すことしかできなかったのだった。




