白と猪
——疲れたな、、、
広大な森の中を歩きながら真っ白の少年、天草来人は今日起きた出来事を振り返る。
情報量が多すぎて頭に入って来ない。しかも全て嫌な、本当に嫌な情報。鬱になりそうだ。
少し、整理しよう。
まず、街を呑んでいた大火事。原因は全くもって不明なままだ。あの時は父の火の不始末だと思ったが、よくよく考えると違う気がする。
恐らく、俺が起きていた時点で街の殆どは燃えていた。仮に我が家の厨房が火元だったとすると順序が変だ。
他の建物から引火した場所が偶然厨房だった、そう考えるのが妥当か。
では、本当の火元は何処だろうか。
うーん、さっぱりわからない。放火とか?
その辺りの情報の持ち合わせがないので、一旦保留にする。
二つ目、両親についてだ。恐らく、死んだ。俺みたいに黒い割れ目に入っていたら話は別だが、俺は『天草亭』が崩れるところをその目で見た。地面が割れる前に、二人はもう、、、。
判断を、間違えた。
もしあの時、二人を助けに行っていれば一緒に割れ目に入って、助かったかも知れない。少々アクシデントもあったが、生きていることが何よりも大事だ。
いや、もし、たらればの話はやめよう。
あの時点で地面が割れるなんて分かる訳がない。
俺は最善を尽くした。後悔はしない。
二人のことだって、割り切るしかない。
——割り切るしか、ない、、。
出来るわけないだろ…
考えれば考えるほど、悲しくなって。
ありったけの思い出を、数多の笑いを、想い出して。涙は止まる気配がない。ずっと、泣いていたい。
所詮、俺は一人じゃ何も出来ない様な人間だ。
こんな時、必ず母が傍にいた。父は傍にはいないけど心配して、しょっちゅう様子を伺っていて。
俺は幸せ者だったんだな。ほんと、今まで何やってたんだよ。
幸せは失ってから分かると言うが、こうゆうことか。
後悔のないように生きる。そう自分で決めたじゃないか。
今の俺の姿を見て二人はどう思うだろうか。
絶対に笑われるな。容易に想像できる。
そんな二人を思い起こすだけで気力が湧いてくる。不思議な力だ。
「よし!」
涙を甲で拭い、前へと進む。完全に立ち直ったとは言えない。マイナスがゼロになっただけ。でも、俺にとっては十分すぎる。
後悔のないように生きる。ありきたりで曖昧な目標だが、それでいい。これが俺。
死んでいいと思えるくらい、生き抜こう。
改めて、決意した。
三つ目、この森についてだ。まずこの森が何処にあるのかもわからない。日本でないことは確かなのだが、ひょっとしたら、地球ですら無いとも考えられる。
単に俺の知識不足なだけかもしれないが、知っている植物や虫が一種類もいない。
そういえば動物は見てないな。いないに越したことはないが、ここまでいないと逆に不安になる。
△▼△▼△
さっきからずっとまっすぐ進んでいるつもりだが一向に変化が無い。ずっと同じ場所をぐるぐる回っているのかと考え、目印を付けたが、どうやら違うらしい。
歩き始めて体感一時間くらい、慣れない山道を歩くのは体力を消耗する。ここらで一旦休もう。
「ふぅ」
一息ついて、ちょうど良い木の根に腰をかける。
明日は筋肉痛確定だな。
「明日、か」
誰かが言ってた、明日の話は明日があるからできる事だと。実に深い言葉だ。当たり前だが、的を得ている。
確実な明日の保証がない今の俺にとっては、結構くるものがある。火事がなければ今頃俺は何をやってたんだろうな。
いや、考えるだけ無駄か。
「ん?」
違和感がする。その正体は足音。背後から何かがこちらに近づいてきている。
音が立たないように立ち上がり、振り返る。
「げ」
思わず声が出てしまう。
距離はここから大体二十メートル前後。
少し遠くからでも分かる筋肉の隆起した屈強な四つの脚、長さこそ短いが、かなりのスピードが出るだろう。
全身からは錆びた鉄の様な色をした毛がわっさわっさと生えている。
顔面には大きな三本線の傷、豚に似た丸い鼻がある。
口元は血色に染まっており、涎を垂らしながらグルグルと威嚇している。
そして何よりも、喰うことしか頭ないようなあの真っ黒な眼が恐ろしい。
この動物を簡単に例えるなら猪だろう。
ただ、俺が知っているのより二回りは大きいが。
しかしどうしたものか、声を漏らしたせいで完全に見つかった。
鋭い眼を光らせ、じっとこちらを見ている。
逃げるか、戦うか。
俺は戦う術を何一つ持っていないし、特別身体能力が高い訳でもない。スポーツテストは万年Cだ。
——逃げの一択だな。
体重を一気に前に掛け、思い切り前進する。
後ろを振り返る必要はない。真後ろから押し潰されそうになる程の圧力があるからだ。怖すぎる。
全速力で走りながらも、打開策を考える。
俺は体力だけは自信がない。どれくらいかと言うと、学年で下から数えたら両手が必要ないくらい。
それに加えてここは森であり、山に近い形をしている為、平坦な道を走るより数倍体力を奪われる。
そのため短期決戦は必至となる。
少し思ったのだが、運動しながら頭を回すって普通に考えて無理なんじゃないか。マラソンしながら数学をやるみたいなもんだ。出来っこない。
そんな事を考えていたら、もう体力の限界が近くなってきた。もっと運動しとけば良かった。
段々速度が落ちていく俺と相対的に、猪の速度は加速していく。
まずいな、、。
あと十秒もあれば追いつかれる、そんな時だった。
景色が違う場所があった。樹木が少なく、背の低いコケのような植物が生えていた。
もしかしてと思い、その場所へと方向を転換。
——あと少し、あと少しだ。
最後の力を振り絞り、やっとの思いで行き着く。
よし、予想通り川だ。流れも急じゃない。
勢いそのまま川に入る。冷たさが脚全体に染み渡る。気持ちいい。
深さは腰のあたりまであった。十分な深さ。
だがそこは水の中、当然速度は落ちる。
チラと背後を見れば、飢えた獣が弾丸の如く突っ走ってくる。
奴が動物なら取る行動は恐らく、本能のまま川辺から俺に向かって飛んで来る筈だ。
そう予測し、敢えてギリギリ届くであろう距離で止まり、弱ったフリをする。
猪は予想通り一直線に飛んできた。
俺は体を大きく右へと動かす。
猪が川へ飛び込み、大量の水飛沫が上がる。
俺は猪からある程度の距離を取る。
「どうだ⁉︎」
これは賭けだった。考えは大したものではない。
奴の脚は短く、川はそれよりも深い。だから溺れさせればなんとかなると思ったのだ。猪が泳げるがどうかは知らなかった。だから賭けだ。それしか無かった。
猪が飛び込んだ地点をじっと見ると、溺れながら川の流れに乗って遠くへと行った。しっかりと見えなくなるまで確認する。
「っしゃああ‼︎」
勝ちだ。猪一匹から逃げ延びただけだが、嬉しすぎる。なんだこの幸福感は、安心感は。
荒い呼吸をしながら、川辺に大の字に寝転ぶ。
にしても喉が渇いたな、この川の水は飲んで大丈夫なのだろうか。
体を休めながら辺りを見渡すと、焚き火の跡があった。人がいたという事だ。見に行ってみよう。
「お!」
最初に目に入ったもの、それは簡易的なものだがコップだ。
他に水筒のようなものも見当たらないのでそのまま使っていた。つまり、この川の水は飲めることを意味する。少し安易な考えかも知れないが、とにかく今は水が欲しい。コップを拝借して川へと向かう。
「か〜、うめぇ〜!」
人生で一番美味しい水だった。運動の後ということもあるだろうが、純粋にこの水は美味い。富士山の湧き水より美味しい。生き延びた自分に乾杯。
△▼△▼△
水を堪能した後、何となく水面に自分の顔を写してみる。
「、、、」
もう言葉も出なかった。顔が白いところまでは想像できた、体は全部真っ白だから。
だがこれはなんだ、この光輝く頭は。
髪には特に気を使ってもいないし、正直なんだって良かったのだが、一本もないとなれば話は別だ。
四つ目の問題、俺の体についてだ。
この森で起きた時には既に全身真っ白になっていた。
そう、全身見えるのだ。言い忘れていたが、俺は全裸だ。猪に追われる時も、水を飲んだ時も。
だが何故か恥ずかしくはない。多分、恥ずかしいモノもないからだ。
今の俺にはネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲、もとい息子がいない。
おまけにハゲときた。
ひょっとしたら両親の事よりもきつい問題かも知れない。
今の俺を果たして人間と言えるのだろうか?
傍から見たら動くマネキンとしか言いようがない気がする。
だが、希望はある。
ひょっとしたらこの辺りの人間は皆真っ白なのかも知れない。
「んな訳あるかよ⁉︎」
どうしてこんな体になっているのか原因は全く分からない。
しかしこの問題はそうゆうもんだと、割り切るしかないのだ。
「割り切れる訳ねーだろ‼︎クソがああ‼︎」
野生の猪は普通に泳ぎます。
海だって渡れます。
何故この猪が泳げなかったのかというと、この森林地帯には川が一本も通っていない為です。
無くなったという訳ではなく、元から一本も無いのです。
じゃあ、あの川は何かって?
今の時点では答えられません。
伏線の一つとして考えて頂いて結構です。
泳ぐ為に必要な筋肉がある個体より、早く走る為の筋肉が多い個体の方がこの環境では生き残りやすい為、泳ぐ為の器官が無くなった、つまり長い年月をかけて陸上特化の猪となったのです。(進化論に基づく)