黒と森
意識は深い闇の中、どこまでもどこまでも落ちて行く。死んだのだろうか、それともまだギリギリで生きて延びているのか。思えば短い人生だった。特別何かを成し遂げたり、明確な目標を持っていたわけでもないが、平和に笑って生きていた。
あの店の空気が好きだった。
来る者も去る者も拒まない、皆あり得ないくらいお人好しでちょっと困った顔をするとすぐに声を掛けてくれた。そこに居るだけで心が暖まった。常連さんと下らない話しで盛り上がって、馬鹿みたいに笑いあって。真面目な相談があった時は皆が耳を傾け、真剣に話して。若い常連さんが結婚したと言った時は凄かった。店を一日貸切にして、これ以上ないくらい騒いだ。本当に楽しかった。
父が好きだった。彼の短所は優しすぎる所だ。店の仕事を一日中やっている。手伝おうかと父に言っても決まって、大丈夫だから、来人は自分の時間を大切にしろと返ってくる。体調もよく心配になるが、父が風邪を引いているのを生まれてこの方一度も見た事がない。休日だって店や家、庭の掃除なんかをずっとやっている。そしてまた心配になって母に相談したら、
「そこがあの人のいい所なのよ。得意でも苦手でも一生懸命頑張ってる。可愛くて仕方ないじゃない」
母が父に惚れた理由は良く分かる。俺も尊敬している。だからといって子供に心配を掛けさせるな常々思っていた。
母が好きだった。家に帰ってたら必ず明るく、おかえりと言ってくれた。無償の愛をくれた。それだけで嬉しかった。自分にとっての居場所だった。母は大抵何も考えず動いている。気遣いとか配慮が全くないのはそれが理由だ。料理の分量だっててきとう。それなのに何故か全て上手くいく。凄いでしょう?とよく自慢してくる。こればかりは凄いとしか言えなかった。尊敬というには少し違う気がする。なんと言えば良いのだろうか、感謝ともまた違う。
でも、言葉にできない何かがあった。それは確かだった。
一生このままが良かった。ずっと続くと思っていた。いつか自分も変わって、どこか遠くへ行くのだろうとは思っていた。だからせめて、今を楽しもうと考え、沢山笑っていた。
だがその『今』はもう無い。
神様、いるんだったら聞いてくれよ…。
俺は何か悪いことをしたのか?
どうして二人を俺から奪うんだよ。
羨ましかったのか?そうだろ?そりゃ綺麗なもんは欲しいよな。
———神様なんてクソ喰らえだ。死んでしまえばいい。
皮を引き剥がして、頭を潰して、骨を粉々にして、肉をべちゃべちゃにしてやりたい。
もう何も考えたくない。考えれば考えるほど頭がおかしくなりそうだ。神様にでも八つ当たりしなければ、この胸の中の真っ黒い何かがはち切れて、爆発してしまう。
——暗闇に一筋の光が見えた。
それがまるで希望のように見えた。あそこに行けば何もかも全部元に戻るような気がした。
最後にあの光に賭けてみよう、体は光を欲している。
何も無いただただ暗い空間を泳ぐように進んでいく。
近いと思えば遠くなり、遠いと思えば近くなる。
それを何度も繰り返し、ようやく辿り着く。
同時に、声がした。嗚咽しながら泣いている。女性、もしくは子供の声であり、どちらかははっきりと分からない。もしかしたら、この空間に他の誰かがいるのかもしれない。それよりも——
「穴、か?」
一直線に延びる光、その光源はまるで空間に亀裂が入り、その隙間から漏れているものだった。
その隙間は腕がギリギリ入る程だが、穴と言っていいだろう。
一縷の望みに賭け、左腕を穴に向け伸ばしていく。
「、、、なんで持ってんだ?」
伸ばす途中、ある事に気付く。それは俺の左手にあったもの。学校の鞄だ。寝ぼけて起きてから持ったままだったのかもしれない。馬鹿な話だ。
鞄を右手に持ち替え、再度左腕を光源へと向ける。
「うおっ⁉︎」
光に飲み込まれるように引っ張られる。そのまま光に体を預けると、視界が真っ白になり、目が眩む。
もしこれで、俺が生きていたのなら、今度は後悔のないように生きよう。いつ死んだっていいように、胸を張って生きよう。そう思った。
△▼△▼△
背中に冷たい感覚。
さっきとは逆だ。
水面から顔を出すように目を覚ます。
どうやら、生きているようだ。良かったぁ。
生きていることに心から感謝。今日から毎日やろう。それはそうと———
「何処だよ、ここ」
一言で現すなら森の中だ。しかし傍らに生い茂っている草は見たことない奇怪な形をしているし、無数にそびえ立つ木々はどう見てもサイズがおかしい。パッと見20メートル以上ある。
俺はというと大量の枯葉の上にいる。フカフカの天然ベッドである。しかし、頭上を見れば青々しい葉っぱが太陽光を遮り、幻想的な風景が広がっている。
「季節がどう考えてもおかしい。ここは日本じゃないのか?」
太陽はもう真上にあるので正午くらいだろう。すると9時間近く寝ていたことになるな。
気温はというと、ちょうど涼しいくらいで16、7℃と言ったところか。一年中これなら万々歳である。
「ヘ?」
何となく辺りを見回していたら、ふと自分の左腕が目に入ってきた。穴に突っ込んだ腕だ。何千、何万回と見てきた自分の腕、見間違ることはまずあり得ない。だが何度見ても腕は、いや腕だけではない。
——全身が、真っ白に、染まっていた。
「はあああ⁉︎」
主人公・天草来人14歳
身長165cm、体重約50kg、真っ白
料理が得意
持ち物・鞄とその中に入った教科書類、筆記用具