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「嘘! こんなの嘘よ! イザベラがでっち上げた事……ううん、イザベラがやってたことを私に押し付けてるだけ! ライも皆も、私を信じてくれるよね!?」
顔を真っ赤にしたリーシャが叫ぶが、先程まで密着せんばかりの距離で彼女を囲んでいた少年たちは僅かに後ずさって距離を取る。
「どうして私をそんな目で見るの? 酷い……っ! 全部イザベラのいやがらせなのに。私を愛してるんでしょ!?」
大きな目からぽろぽろと涙を零し、両手を胸の前で組んで豊かなふくらみを押し上げて見せるリーシャに、ラインハルツ達は迷いを浮かべた。
「『ライに求められて、私の身分では逆らえなかったの……。これからも、ライを好きな振りをしないと、家族が……。でも、本当に好きなのはあなただけ。あなたに初めてを捧げたかったのに……! お願い、忘れさせて』……まあこんな陳腐なセリフを、しかも全員に名前だけ変えて訴えたようだけど君達は信じてしまったようだね」
笑いを堪えたヴィクトールが手にした紙を読みあげるとリーシャの顔が強張り、身に覚えがあるらしい取り巻き達は絶句する。
「なっ……リーシャ! 君が、私がイザベラの物になってしまう前に想い出が欲しいと言って誘ったのではないか!」
「だ、だからでっち上げだって!」
「何々……?『私、男爵令嬢だから王妃にはなれないのは解ってるの……でも、ライがイザベラ様の物になってしまう前に……一度だけでいいの、ライの腕の中で夢を見たい……お願い、思い出を、頂戴……?』が正確なセリフかな。まあこの後週に一、二回は思い出作りに励んでいるようだが。これを逐一書き出す監視者もご苦労な事だね」
顔を真っ赤にして言葉を失うリーシャに嘆息し、肩を竦めたヴィクトールは顔色を失った取り巻き達に鋭い視線を送った。
「更には、『結婚はライとしなくちゃお父様やお母様が酷い目にあっちゃう……。でも、子供はあなたの子がいいの。国王様が茶髪で、王妃様が金髪、私のお父様は黒髪でお母様と私は同じ色、おばあ様は銀髪だもの。目の色も皆違うし、どんな色の子供が生まれたって大丈夫よ。私に出来るのは、あなたとの愛の結晶を次の王様にする事だけ……』なんて言われてその後も逢瀬を続けたようだね。これはもはや簒奪者として裁かれるに値する。まあミンツ嬢が王妃になる事は元々ありえなかったが、君達は王妃になると信じていたのだから罪は重いよ。今ここにいる中で最も簒奪の罪が重いのはミンツ嬢だがね」
「……お、お前達、私を裏切っていたのか……!?」
王家を乗っ取ろうとする計画をリーシャと取り巻き達が企てていた事を知ったラインハルツが唇を震わせて叫ぶが、ヴィクトールもイザベラも、他の貴族達の目にも同情は浮かばない。
リーシャに欺かれていたばかりか、色恋に浮かれて簒奪者になろうとしていた事を公衆の面前で暴露された上にラインハルツから責め立てられた側近達は顔色も言葉も無くして唇を震わせるばかりだった。
「ち、ちが、違うわ! イザベラが浮気して下民の子を王にしようとしてたのよ! そう、そこの護衛とできてるのよ! あたし知ってるんだから! 男ならだれでもいい女なのよ!」
唾を飛ばして言い立てるが、その言葉に根拠がないのだろう事はこの場の誰の目にも明白だった。
自己弁護としか思えない言葉に白けた目を向ける観客たちの中、イザベラの傍に控える護衛騎士、ジェラルドだけが静かな憤怒を目にたぎらせてリーシャを睨み、低く唸る。
「……その汚らわしい口を閉じろ、売女。我が主と、殿下に捧げる私の忠誠を汚すな」
「ひっ……」
戦には無縁の令嬢にすら伝わる程の強い殺気にリーシャが引きつった声を上げ、言葉を呑み込む。
ラインハルツやその取り巻き達に泣きつこうと伸ばした手は彼らが避けた為に空を切り、その事に息を呑んでからイザベラを憎々し気に睨みながらもジェラルドに怯えて目を逸らした。
「側近、取り巻き諸君。お前達の親からも幾度となく警告があっただろう? ラインハルツもお前達も、昨今金遣いが荒い、宝物庫の品を持ち出すな、婚約者を大切にしろ、付き合う相手を選べとさんざん注意されていたのに、この夜会でミンツ嬢に使わせるための国宝や家宝、それに準ずる高価な宝石を容易く持ち出せたのは一体何故なのか、本当に疑問に思わなかったのかい?」
「そ、それは! 王太子である私が国宝を使って何が悪い!」
「そ、そうだ! 我が家の物をどう使おうと勝手だ!」
「悪いに決まっているだろう? 国宝を婚約者ですらない女に貢ぐなど。国の宝は王の私物ではない。国家の財産だよ。いざと言う時には売り払って民の腹を満たし、或いは難局を乗り越える資金となる事もある。お前の裁量で娼婦に貢いでいい物では無い」
遂にリーシャを娼婦とまで言い表したヴィクトールの言葉に、既に己の現状を理解しつつあるラインハルツは言葉を失う。
「取り巻き諸君の貢いだ物もそうだ。それは各家の当主の持ち物であり、将来的に嫡子が相続するもの。だがお前達の中には一人も嫡子は居ない。なぜなら将来国を支える立場である嫡子達はこの二年で王太子の側近となる事を厭って自ら遠ざかったか、私のように諫言を疎まれてラインハルツに遠ざけられたからね。お前達が実家からくすねてミンツ嬢に貢いだ物の中に、お前達の裁量で動かせるものは何一つ無い」
低く告げる言葉にうろたえた取り巻き達が救いを求めてそれぞれの親の方へ目をやれば、一様に冷え切った視線と激怒の顔を返されて震えあがる。
「し、しかし私が宝物庫から持ち出す時、誰も止めなかったでは無いか!」
「君達は試されていたんだよ。最後の恩情として。己の立場を自覚して、ミンツ嬢にねだられても拒否できるか、思いとどまれるか。何やら画策しているらしいこの夜会で、土壇場ででも思いとどまる事が出来るか、ラインハルツや周囲に拒否されても止めようとする事が出来るか。……そして、見事に全員がその試練に敗れた訳だ」
呆れ果てた、と溜息を零すヴィクトールに、ラインハルツや取り巻き達が棒を飲んだような顔で唇を震わせた。
「ここでラインハルツ及びミンツ嬢以外の沙汰を明らかにする事はしない。時間の無駄だし、いずれ各家から公表されるだろう。だが……もはや恩情を与えられる期間は過ぎ去った。覚悟して通告を待つが良い。……彼らを連れ出せ」
ヴィクトールが指示すると、先程は微動だにしなかった騎士たちは速やかに動き出して少年達を拘束し、抵抗しない者は歩かせ、抵抗するものは口を塞いで広間から引きずりだしていく。
騎士たちを咄嗟に止めようとしたラインハルツは、しかしリーシャに関わる裏切りが脳裏をちらついたか複雑気な目で彼らを見送った。
リーシャはと言えば憎々し気にイザベラを睨んだかと思えばラインハルツに縋ろうとして振り払われたり、ヴィクトールや周囲を囲む騎士にうるうると潤んだ目を向けて同情を買おうとしては失敗するのを繰り返している。
その姿をちらりと見やったイザベラは嘆息し、次いでヴィクトールを見上げた。
「……わたくし、多少は聞き及んでおりましたけれど……随分とお話が進んでおられたのですわね?」
言外に、当事者でありながら蚊帳の外に置かれていた事をちくりと刺す。
「……それに関しては謝罪しよう。彼らの行状があまりにも、その、乱れていてね。姫に聞かせるにはいささか相応しくないと、伯父上や大使殿が……そして私も判断したんだ。看過できない事態に至った場合のみ、非の在処を明白にする為、君に一切の咎が無い事を示す為に明らかにする、と。この後の処遇については君の意見を十分に取り入れるから、協議に加わって欲しい」
「……そうですわね。流石に、その……どのように反応して良いのか困りましたもの。処遇については参加させていただきますが、詳細な……その、行状の報告については不要ですわ」
羞恥と言うよりも嫌悪が強い表情で嘆息するイザベラに、ヴィクトールが苦笑して頷いた。
「ああ、勿論だ。君に聞かせたい内容ではないからね。さて、ラインハルツ。君については前述の通り、ユグラン国王陛下と協議の上で罰を下すがそれまでの間北の塔へ幽閉となる」
「そ、そんな! 私はこの女に騙されただけだ! 南の塔が妥当だろう!?」
王族や高位貴族の中でも重い罪を犯し、処刑は出来ぬが早く死んで貰いたい者が入れられる北の塔はこれまで数度しか使われた事はないのだが、昼日中でもじめじめと暗く、そこに幽閉された者は数年ともたずに病を得て死ぬ場所。
罪の軽い者が入れられる、出られないだけで設備や待遇は地位相当の物である南の塔と比べてろくな寝台も外が見える位置の窓すらも無い。
「騙されただけ? 次期国王となる人間が、頭の悪い小娘一人に篭絡された挙句、大切な同盟を危うく壊しかけておいて、よくそんな事を言えるね。民の命を預かる者が容易く騙される事そのものを罪と言わずになんとする? 昔から賢くはないと思っていたが、ここまでとは思わなかったよ。……イザベラ姫、申し訳ない。こんなものをあなたにおしつけてしまう所だった」
溜息交じりの言葉にラインハルツは顔を強張らせ、イザベラが肩を竦めた。
「お気になさらず。夫が道を誤った時に諫め、上手く導くのも、本当ならば妻の果たすべき義務ですわ。……それを成しえなかった己の未熟さを不甲斐なく思いこそすれ、矯正しようと努力なさっていたこの国の方々を恨む事などありません」
「姫の御慈悲に感謝を。さて、ミンツ男爵令嬢の沙汰について、まずはミンツ男爵夫妻及び兄弟からの絶縁状を預かっている。先程も言った通り男爵位の返上を申し出ていたが、男爵と嫡子は文官として誠実な仕事ぶりが認められているゆえ、官位の二階級降格と爵位に応じて与えられる俸給の減額、地方への左遷のみとし、爵位は据え置きとした。しかし君は今この時より貴族籍を失い、身寄り無き平民のリーシャとなる」
「そんなっ……! イザベラがお父様達を脅迫したのね! ヴィクトール様、イザベラは身分が高いからっていつもこんなひどい事ばかりするんです! そんな女から早く離れてリーシャを守って!」
口をぱくぱくさせながら頼る相手を求めて目をうろつかせていたリーシャはその言葉に目を見開いて叫ぶも、事実を受け入れられぬのか、もはや正気ではないのかイザベラを詰りつつヴィクトールに甘えた声を掛ける
「……なぜこの流れでそんな妄言を吐けるのか、私には全く理解できないのだが……君の頭の中が一体どうなっているのか実に興味深……くもないか。知りたくないな。気が狂いそうで」
「……あの方、いつもあの調子ですのよ。わたくしが歩いていると突然走ってきて目の前で転んだかと思うとわたくしが突き飛ばしたと泣き叫びますの」
他にも教室で授業の内容や他の他愛ない事について話していると、別の教室にいる筈のリーシャが現れてイザベラに嫌味を言われたと泣き出すなど日常茶飯事、そのたびにラインハルツや取り巻きがイザベラを非難し、リーシャが、『酷い事はやめてあげて、わたし、イザベラ様が一言謝ってくれればそれでいいの』などと涙ながらに言っては取り巻きが聖女の様だと崇めるのがお決まりの流れなのだと、周囲を囲む生徒たちがひそひそと家族や学外の婚約者に囁いてさざなみのように会場内へ広がっていった。
「ラインハルツ。流石におかしいと思わないのかい? 彼女の中ではどうやら勝手な物語が進行しているようだが、明らかに話が繋がっていない」
呆れた目で向ける従兄弟に、夢中になっていた少女の乱行を知ったばかりのラインハルツは項垂れる。
夢から覚めた頭で、いつもの甘言ではなく追い詰められて狂乱した言葉を聞いてみれば、その言動が異常だと理解出来たのだろう。
「ミンツ嬢については妊娠していない事が判明するまで城で監禁、妊娠していた場合は子が生まれた後で、していなければ判明次第、追加の沙汰を下す。子が生まれた場合、子は男女を問わず不妊の処置をされ、生涯を神殿で過ごす事になる。ミンツ嬢へ下される沙汰は厳しい物になると覚悟するように。イザベラの父君は、ミンツ嬢にもラインハルツにも、楽に死なせるより長く続く罰をお望みだ。ああ、それからミンツ嬢については君がラインハルツの寵愛をたてに苛め抜いた末に自害した複数の女生徒の親と兄からも重罰を求める嘆願状が届いている。君があげつらったイザベラからの虐めとやらは全て君から彼女らに与えられているし、それ以上の酷い事も随分していた様だね。これも加算させてもらうよ」
「し、知らないわよそんなの! あの子達だってイザベラにいじめられたから死んだに決まってるわ! それにあたしが妊娠してたら産むのはライの子よ!? 次の王様になる王子様なのに、どうしてそんな酷い事が出来るの!? その女が親にやらせてるのね! なんてひどい人なの! ヴィクトール、お願い、目を覚ましてよ!」
「おや、君はライと結婚してライ以外の男の子を産むつもりだったのだろうに。それに何度も言っているが私を名で呼ばないでくれ。不愉快だ」
「お忘れなのかしら……ミンツ嬢曰く、わたくし、お父様に蛇蝎の如く嫌われているそうですのに。嫌っている娘のそんなわがままを聞いて下さるのかしら? ……ヴィクトール様、そろそろ彼女にはお黙りいただいてもよろしくて?」
耳が痛くなりましたの、と苦笑したイザベラの言葉にヴィクトールが苦笑を返し、騎士達に指示すると忠実な彼らはすぐさまリーシャを拘束し、わめきたてる口に猿轡を噛ませて会場外へと引き摺って行った。
先程までならば騒ぎ立てたであろうラインハルツは複雑気な顔をしながらも制止せずリーシャを見送り、そして途方に暮れたような顔で会場を見回す。
返される視線は冷たい物ばかりで、救いの手を差し伸べる者がいない事に絶望してか、ラインハルツは壇上で崩れ落ち、項垂れた。
「……ラインハルツ様。わたくしはわたくしなりに、あなたと良い関係を結び、互いの不足を補い合える夫婦になろうと努力しておりましたわ。それでも、殿下を導ききれなかった事、……途中で諦め、諫言をやめてしまった事、お詫び申し上げます。……この先、わたくしたちの道が交わる事はありませんが……元婚約者として、少しでも良い未来に進まれるよう、祈っております」
つい先ほどまで婚約者であった身として思う所があるのか、沈痛な顔でイザベラが告げる。
声を掛けられ、期待を込めた顔でイザベラを見たラインハルツは彼女がヴィクトールと手を携え、寄り添って告げた決別の言葉に再び項垂れる。
打ちひしがれた姿にヴィクトールもそれ以上の追い打ちはかけず、騎士達に命じて彼を連れ出させた。
「さて、皆には折角の祝いの場を騒がせ、心労を掛けた事を詫びよう。今後の詳細は追って公表されるが、今日の所は夜会を楽しむように、と陛下からのお達しだ。王家より詫びと祝福を兼ねて特級のワインと、王家の菓子職人の手による菓子を供するから、心行くまで味わってくれ。私達は陛下への報告もあるゆえ、これにて退出させてもらうとしよう」
ヴィクトールの言葉に会場がわっと盛り上がる。
王家の菓子職人の菓子は、公的な席ではなく王族の私的な席でしか振舞われないため、運よく味わえたものたちの噂でしか知らぬ者が殆どだし、王家御用達の特級ワインもやはり、私的な集まりや国賓をもてなす席、何かの褒賞として与えられることしかない。
騒動はどうにか収まったようだし、不安が多かった次代の王は無事聡明と知られるヴィクトールに変わった。
勿論それによって勢力図は大きく変わり、青ざめる者、忌々しさに舌打ちするもの、様々な画策を胸に秘める者も存在するが、概ねの貴族達はこの変更を歓迎し、祝っている以上、周囲に倣って退出する二人や主だった高位貴族達に拍手と歓声を送るしかない。
拍手と歓声、祝福の声に手を挙げて応え、広間を後にする二人を、貴族たちは様々な思惑を胸に秘めながら見送った。
お読みいただきありがとうございました。
断罪はとりあえずここまで、明日更新分からイザベラとヴィクトールの話になります。
王太子達の処遇はその後に。
もしよろしければ、評価・ブクマなどいただけると嬉しいです。
明日も13時に更新予定です。よろしくお願いします。